4-4 ヤマニシ、愛を告白する②


「叔父には若い頃はずいぶん可愛がってもらったよ。でも憧れの対象が偉大すぎた為に、私は自分への自己評価が過分に低くなってしまった。それでも頑張ったよ。一生懸命に追いかけた。でもね。頑張り続けたおかげで調子を完全に崩してしまってね。私は研究職にはずっと昔に挫折していたのだよ。ある日、叔父が言っている研究内容が分からなくなってね。と言うより、全くついていけてなかった。ハハ、それは最初からだったんだけどね。若い頃はずいぶん一途で青臭い考えだったから、いつか叔父に並び立てると思ってしまっていたんだけどね。そうでなくとも少しでも役に立てるようになるつもりだったんだ。‥‥‥人の才能というものは残酷なものでね。諦めてしまうと心が荒んで退廃的になってしまう。私はいつの間にか本当に諦めていたんだな。叔父の後ろ姿を追いかけるのを。‥私も叔父と一緒に世界を変えたかったよ」


 ずっとニコニコしていたヤマニシだが、ここに来て明確に表情が翳った。


「面白い話なのだがね。私がゾンビ化した時、私は若い頃のような使命感を持っていたよ。記憶が欠損して精神だけ若返っていたのかもしれない。大きな憧れを追いかけて、自分の能力に挫折する前のあの頃にね。あの時、私はてっきりバイオ事件を止める側の人間なのだと思っていたのにね。まさかバラ撒いていた主犯だったとは。ハハハ、面白いよね」


 サクラコはどうしてと憤慨していたが、ケンヂには少しわかる気がした。

 彼は医者である自分の厳格な父と、優秀な兄を思い出していた。自分が並び立つことのできなかった人達だった。ヤマニシの言い分はともかく、挫折感という自分に対する失望は、実際に経験のある者にしか分からない。負けた者にしか知ることはできない。

 ヤマニシの話に少しだけ共感したのは、挫折を通してのシンパシーのようなものだった。


「挫折した私は一時、死ぬことも考えたんだ。‥‥馬鹿だよね」


 苦渋が滲み出ている。こうしたヤマニシの表情は初めて見るものだった。

 今となっては善悪の境界線が消えかかっているようなヤマニシも、苦悩をしてい間は普通の人だったのかもしれない。


「だけどある日にね。大切な人に出会ったんだ。私の今までの人生をすべて変える大きな運命に–––。私は彼女に出会ってしまったんだ–––––––。」


 大きな挫折感を味わった者が、新しい出会いをもって人が変わるというはよくある話だ。ちょうど自分とユリナとの出会いのように。

 ケンヂは独白を始めたヤマニシと自分を重ね合わせ、再び共感を強くし、そのように思ってしまった。


「––––––そう、出会ったんだ。私は––––––港区女子のノリコくんにね」


 ん? 

 とケンヂは思う。


「彼女にはあっという間に給料も貯金も全部毟り取られてしまったよ。うんうん。それはもう高速の手際だったよ。彼女はそれはもう手練手管でね。酷いよね。どれだけ貢いだのかと言えば、億は余裕だよ。さすがにきつかったよ。カツカツでね。まずいまずいとはずっと思ってたんだんけど、さっきも言った通り、手練手管でね。そう思えば思うほど、逆にのめり込まされてしまったんだ。恐いよね。ホラーだよ。女性というのはね。本当にね。それで長らく搾り取られてしまってね。だいぶおばさんになったので、いっそ捨てようかようかと思った時もあったのだけれど、彼女はお尻だけはいつまでも若いままなんだ。不思議すぎて困ったよ。いつまでも捨てるに捨てられないから、お金がすっかりなくなってしまったね」


 ケンヂはいま一瞬でもヤマニシに共感してしまった事を後悔した。



          ⚪︎



 いつの間にか場の雰囲気が変わっている。

 大型コンポから流れる曲調が穏やかなものになっており、音楽に同調するようにヤマニシの表情もいつもの柔和なものに戻っていた。

 彼は窓の外の空を見つめながら、さらに口を開こうとしている。

 真相を明らかにしてゆくにつれ彼は、憑き物を落としてゆき、挫折を語った先ほどまでの暗い表情とは打って変わり、良い顔なっていっていた。

 外から差してくる光を眩しげに浴び、晴れやかな笑みをさえ浮かべているのだった。

 彼の見つめる空はどこまでも快晴であった。


「––––––でも彼女のおかげで私は再起する事ができたんだ。新しく研究意欲も蘇った。これは凄いことだよ。私はあんなにも落ち込んでいたのだからね。本当に彼女のおかげだ。そして研究意欲の戻った私は別のお尻も見たくなったのだよ。いや世界中のお尻を崇めたくなったのだ。それほど私はお尻が好きになり、お尻の研究に没頭したんだ。港区でね。論文もいっぱい書いたんだよ。本も出版予定だった。すべて叔父に止められてしまったがね」


 などと言うヤマニシの表情には、感謝が満ち溢れていた。

 ケンヂは呆れてものも言えなくなる。彼はこの五人の中で一番、この面子での人間関係に関与していないので、とりあえずは黙って聞くしかない。不思議とタツヤ(体)も黙って話を聞いていた。


「とにかく私は紳士で真摯にお尻を探求したかった。お尻への情熱を持って、私はようやくなりたかった研究職に復帰できたのだよ。私の研究意欲と研究対象は日に日に増えていった。ヒトミくん。ジェニファーくん。ミュンくん。その他にもまだまだいるがね。彼女たちのお尻への愛情は止まらないよ。しかし、お尻を実地で漁るにはお金がいたのだよ。それはもうたくさんのね」


 サクラコはさらにヤマニシを睨みつけて言う。


「‥それで横領したの。叔父を殺したの。‥この無能!」


 ヤマニシは曇りのないニコニコした表情で答える。


「ふむ、一言だけ。本当の無能は30億も横領できないよ」


 ケンヂはサクラコの言葉に違和感を覚えていた。サクラコはヤマニシを無能と罵るが、ケンヂの印象ではそんなことは全然なかったからだ。むしろ有能な部類の人間だと思っていた。

 自分が凄みさえ感じていたヤマニシが、簡単に無能と蔑まれる。職種や分野が合わなければそうなってしまうのか。

 自分は医者なれず、ホストにもなれたとは言えなかった。

 ついぞ、自分には天職というものが見つからなかったが、もし見つけることができていたら低い自己評価も人生そのものも変わっていたのだろうか。人の有能無能は紙一重なものなのだとケンヂは思った。


「とにかく私にはお尻への研究意欲がある。他の分野では力を発揮できなかったが、好きはものの上手なれと言う事だろう。私はお尻の権威を名乗れるだけの自信があるよ。全世界の論客たちに反論の用意もある。私がNo.1だ。その世界的権威である私が言うのだがね。–––その中でも君のお尻は特別だった」


 サクラコはビクっと体を震わす。女性特有の本当に生理的に無理な人間に対して出てくる反応だった。

 隣の美しい顔をしたタツヤ(頭)は、ずっと、なんと言っていいか分からない表情をしている。


「愛を告白しよう。サクラコくん、どうか私に君のお尻を見せてはくれないか?」


 サクラコは頭をブンブン振る。


「それでは君のお尻を買おう。10億ほど隠している財産があるんだ。どうかね?」


 サクラコは続けて拒絶する。

 今まで幾人もの男性から恋情を告白されてきた彼女だった。話の流れからヤマニシからの告白も予想していた。しかしこのようなものになるとは予想外だった。完全に想定を上回るものだった。

 罵倒してやろうと思っていた事も忘れて、彼女は本気で恐れているようだ。


「それではやむをえまい。タツヤくんに頼むしかないね」


 ヤマニシはタツヤ(体)に話しかける。


「1000人目の女性は彼女でいいのではないかね。確か彼女は処女だったはず。子供の頃、約束を交わし、心変わりしてしまった幼馴染を待っているのといっていたよ。だとしたら君と性交をしていないのだろう。だったら条件に合うのではないかね? 大丈夫。確かな情報だ。私が精度の高い盗聴器で調べた情報だからね。間違いないよ」


 サクラコ、タツヤ(頭)、ケンジはドン引きする。


「タツヤくん。私は君の夢を応援するよ。私は君の夢を聞いて、あの時、甚く感動したんだ。ビビっと電撃が走ったよ。むしろ君の夢こそが私の夢だったんだ。1000人斬り? 大変よろしい。では私と一緒に2000、3000と目指そうではないか」


 ヤマニシはさらに演説をするように語る。


「さあ、あの美しい顔を取り戻したまえ。そうすれば彼女も嫌とは言えないだろう。なんだったら無理矢理でもいいじゃないか。君は必死に腰を動かす、私は舌を動かすとしよう。これはWIN ––WINの関係だよ。私の性向は知っているかい? 私は女性のお尻を舐め回すのが好きなんだよ。こんな風にね」



          ⚪︎


 

 再び場の雰囲気が変わり、一気に緊迫したものになる。

 コンポから流れてくる曲調が攻撃的で激しいものとなり、これから現れるものの畏怖を想像せるものとなった。

 紡がれる音楽が壮大さを作り上げている。–––禍々しい何かが生まれるのだ。

 ケンヂはこの聞き覚えのある曲を思い出す。これは某映画の中でボスとなるモンスターがついに現れた時のものだった。



   レロレロレロレロレロ

   レロレロレロレロレロ



 今まで散々、思わせぶりな態度を取ってきたヤマニシのすべてのベールが剥がされ、ついに正体が明らかにされる。

 そう、なんと、ヤマニシは–––––ただの変態中年であったのだ!



   レロレロレロレロレロ

   レロレロレロレロレロ



 そして、オープンに完全変態化した彼は、高速で舌をレロレロし出す。縦横無尽であり、動きが早すぎて舌が八つにも見えてしまう。もはやそれは人間の持つ動きではなかった。


「ぐわあ、ドクズが二人に増えやがった! あんたら逃げろ! ドクズ同士が完全合体したぞ!」


 ケンヂがサクラコたちに逃げるように呼びかける。

 忘れてはいけない。ヤマニシの下にはタツヤ(体)がいる。今のタツヤ(体)は、最強の肉体と、変態の頭脳が合体した危険な存在だ。何をしでかすのかわからない。

 流れ続けている音楽が、圧倒的なものへ遭遇する絶望を奏で出していた。



   レロレロレロレロレロ

   レロレロレロレロレロ



 パパ活で幾人いくにんもの婦女子のお尻を舐め回してきたヤマニシの舌が自由自在に動き回る。蛇の舌のようであり、タコの足のようでもあるそれは、もう人の動きをしていなかった。


 人類よ、絶望するがいい。

 彼こそはすべての女子に怖気を起こさせるエナジー・サイエンス社のバイオ生体兵器であり、人類を震撼させる新たな超生物である。

 ここにバイオ実験により生み出された完全体変態モンスターが誕生しようとしていた。



   レロレロレロレロレロ

   レロレロレロレロレロ



 (それは違うよ。本当に見苦しいな)



   レロレロレロレロレロ

   レロレロレロレロレロ‥



 ずっと黙っていたタツヤ(体)がヤマニシを両手で持ち上げる。そして、ドッチボール投げで、ヤマニシを投げ飛ばした。

 レロレロした顔のまま、ヤマニシは大型コンポにぶつかって、それを壊した後、次には家具にぶつかり、また次には壁にぶつかり、ピンボールのようにあっちこっちに跳ね返ると最後には爆散した。

 ヤマニシ、華麗に退場。


 (おじさんにはガッカリだよ。僕はおじさんみたいに女の子を金で買わないし、暴力は振るわないんだよ。言ったよね?)


 タツヤはそう言うと、両手投げの投球動作に入る為に、床に落としていたケンヂを拾い上げて頭として装着する。そして彼らに対面する。目の前の少し離れた先には、タツヤの美しい頭と、具合が悪そうに胸を押さえているサクラコがいた。









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