1-7 ゾンビなヤマニシ②


「なるほど、それでタツヤくんは、起きたら首がなくなっていたと?」


 (そうだね。困っちゃうよねー)


 夜23時を回っているというのにまだ喧騒は途絶えない。表通りでは若者たちが、若者特有の際限のないエネルギーを振り回し、奇声を発してはしゃぎ回っている。彼らの声は遠く離れた人気ひとけのないこの場所にもよく聞こえてくる。そのような人と人がごった返す大都会の街で、ゾンビ状態の二人が偶然に邂逅できた。それは奇跡的な事だっただろう。

 私たちは互いの事情を話し合い、いくらか打ち解け合えた。


 (あーあ、やっぱり、頭がないと、ナンパが難しいよね。ほんとっ、誰が持っていったんだろう。困るよね。早く返してほしいよね。僕の頭)


 タツヤという男は、この後に及んでも頭を失ったことよりも、ナンパをしづらくなった事の方を重要視して嘆いている。変わった男だ。

 私はこの奇妙な男に、今から提案をしようと思っている。

 迷いはある。印象も宜しくない。背に腹は変えられないとは言え、本当に信用できる男なのだろうか?


 ‥‥愚かな事だな。私は自嘲する。

 私には迷いを持てるような贅沢な時間など一瞬たりともないのだ。少しでも可能性のある示された道があれば、即断即決する他ない。

 それに凄まじい勢いで、また飢えがぶり返して来てもいる。

 もはや状況が状況だ。悠長なことなど言ってられない。この男だ。この男にすべてを賭けるしかない。

 グッと理性が崩れかかるのを私は堪える。ここからは交渉だ。彼の前で狂態を晒し、危険と見なされ信用度を下げてはいけない。必死に冷静を装いながら、なんとか作り物の笑顔を造形し、彼に話しかける。


「どうだね。タツヤくん、協力し合わないか?」


 (ん、協力?)


 私、ヤマニシはタツヤに提案をする。

 協力者とするにタツヤの能力はだいぶ低いと見た。人格にも問題が多いようだ。しかし、いまは現状を打開する為に、苦肉の策でも彼に縋り付かねばならなかった。


「君は頭を探すのだろう? 見れば分かるよ。ならば私も協力しよう。その代わり君も私の目的に協力してくれないか?」


 (ふーん、探してくれるの。ヤッタ。おじさん、いい人じゃん)


 うん?

 ずいぶん淡白な軽い反応に思える。

 相手の一番欲している要求に応えようと言うのだ。もう少し食いついてくれてもいいと思うのだが。

 恐らく喜んでいるのだとは思うが、やはり顔がないと分かりづらい。


「と言っても私の方は脳がだいぶ劣化してしまったようでね。その目的自体を思い出す、‥‥いや、探すことから始めなくてはならないが」


 (アハハ、忘れたんだ。ウケるー)


 それにしても彼の異常な状態に興味が惹かれる。なぜ彼は頭を失って、体の方に意識が保てるのだろうか?


「ふむ、やはり君は不思議だね」


 (えっ、なになに。あ、そのセリフ。僕も女の子を口説く時によく使うセリフだよ。あー、早くナンパしたいな〜。やっと1000人目なのになー)


 年の差のためか、話がいちいち噛み合いづらい。私は細かなニュアンスの違いは気にしない事に決めた。構わず話を続けた。


「かつての私はこのゾンビ化という奇怪な状態の知識を完全に持っていたはずなんだ。残念ながら脳の劣化で、ほとんど欠落してしまったいるようだがね」


 (うんうん)


「だから記憶は、はっきり定かではないが、君はいま、とても特異な状態にあるのだと判断できる。通常は脳がある頭の方に意識があるはずなんだ」


 (うんうん)


「ゾンビ化しても脳の重要性は変わらない。脳が損傷すれば、体の機能は全停止する。しかしだね。どう考えても不思議なんだよ。君の状態はとても異常だ。君は頭を失って、なぜだか胴体の方に意識を宿しているのだから」


 (うんうん。どういうこと?)


「つまりありえないという事だ。脳を持たない君が意識を持つことなど」


 (えっ、じゃあ。おじさんが僕と同じ状態になればどうなるの?)


「間違いなく体の方は活動を停止し死に絶えるだろう。‥‥そうだな。体から切り離されても、頭の方は大丈夫だ。喋る生首のような状態になるだろうな」


 (は〜、そっか。首切っても頭の方は使えるんだね)


 使える? 妙な表現だな。

 まあ、若者はその時々のメディアや同世代の間の流行りで、言葉を正確に使わずに、言葉を変化させて使っていたりするからな。


 (そっかそっか、ところで、おじさん、白衣を着ているよね。それって何か関係あるんじゃない。知らんけど)


 白衣? そうか私はそのような服装をしていたのか。そんな事も分からないほど自分を見失っていたのか。

 そこで私は自分という人間の身元を探るのに簡単な方法を思いついた。

 私は着ていた服の各所を漁りだす。ポケットに財布があれば身分証明になるカードが入っていると思ったが、持っていなかった。スマホも持っていない。どこかで落としてきたのかもしれない。

 だが––––


 (そっか。そっか)


 ポケットから複数の写真が落ちる。拾い上げて見てみると、そこには笑顔の私に腰に手を回されている中年の女性の写真あった。別の写真を見てみると、同じように穏やかな表情の私に腰に手を回されている若い女性が写っていた。その他の写真もだ。別の若い女性たちが写っている。

 それを見た時、私は分かってしまった。


 (そっか。そっか。ふーん)


 中年の女性、これは恐らく私の妻だろう。そして若い女性の方は娘たちだ。

 私はうつむき、考え込む。

 これらの僅かな資料から多くのことが察せられた。ヒントは十分だった。


「私は分かってしまったのだよ、タツヤくん」


 推測しよう。着ている白衣から察するに、私は恐らくどこかの研究施設に所属していたに違いない。脳から知識がだいぶ欠如しているが、ゾンビ化というこの奇怪な状態の知識を、元々の私は十全に持っているようだった。なぜこのような専門的な知識を私が持っていたか、ここでその理由の理解を得た。

 であるならば、––––なるほど、そういう事だったか。

 恐らくだ。まだ終局的な災害までには至っていないこのバイオ事件を止めるべく、私は秘密裏に行動していたのではないだろうか?


 とすると、–––。


 –––私は誰かに連絡を取ろうとしていた‥?

 もしや抗体となるウィルスの知識を誰かに伝えようとしていたのではないか‥?

 妻に? 娘に? ‥いや––––、


 (そっか、頭は残るのかー。じゃあソレは使えるね)


 ––––ああ、そういう事か。

 閃きを覚えると、麻痺した感情が蘇ったようだ。

 喜びで笑いが込み上げてくる。

 私は恐らく正義感と使命に駆られ、日本を救うべく動いていた研究者だったのだ。

 ようやく朧げな自分の正体が分かってきた。

 そして、これからやるべき事も。


「私は日本を救わなくてはならない。‥そういう事か」


 劣化しているとは言え、研究職であったなら優秀だったはずの脳だ。だからこそ、これまで理性を保てたのかもしれない。

 色々と合点がいってしまった。


 –––ならば急がなくてはなるまい。早急に日本を救う行動を起こさなくては。


 思考をやめ、彼に協力を仰ぐため、ある提案を持ちかけようと顔を上げた。

 タツヤくん、提案があるのだが、–––––

 私はそう言おうと、口を開きかけた。




 (えいっ、首チョンパー!)


 


 と彼が言うと、首筋に強い衝撃が走った。

 ––––いったい何をされたのだろう?

 視界が斜めになり、私はゆるりと倒れようとしている。

 いや、これは違う。胴体から頭が切り離されたのだ。


 中世時代。断頭台にかけられた生首は、転がりながらも、すぐには死なず、しばらくは意識があったらしいとの説があり、推測なのだが、自分の首を切った残忍な首切り役人、集まった冷酷な大衆、切断された自分の胴体の様などを、その生首は、まざまざと見せつけられることになったのだろう。


 いま私が見上げているのは、タツヤという男だった。

 どういった怪力なのだろう。彼は手刀で私の首を、綺麗に切り離してしまったらしい。

 そして、私(頭)を拾い上げてこう言った。


 (じゃあ、これでナンパに行けるね)


 頭のない彼が今、とても無邪気な笑顔をしていることが私には分かった。


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