第3話 大魚

「隣に座ってもいいかい?」


 そう言って、リトラは答えも聞かずに彼女の正面に座る。


 羽根飾りを付けた女は、リトラをちらりと見ると大きな溜め息を吐いた。


「その反応はあんまりじゃない?」


「見かけに寄らず図々しい人だなと思っただけ。何の用? あなたも私をからかいに来た?」


「違うよ。とっても困ってるらしいから、まずは本人から話を聞こうと思ったんだ」


 リトラは上機嫌に笑っているが、一方の彼女は非常に怪訝な顔をしている。こんな時に笑顔で近付いて来る人間ほど信用出来ないものはない。


「貴方の狙いは何?」


 女は警戒心を露わにしている。


 彼女はこの二日で、この地下に生きる連中の思考に染まってしまったようだ。昨晩、自分がそうされたように、リトラを鋭く睨み付けた。


「湖の古城に案内して欲しいだけさ」


「はあ?」


 迂遠な言い回しはせず、リトラは単刀直入に告げた。


 剥き出しの警戒心をすり抜けるような物言いに、羽根飾りの女も面食らったようだった。リトラは続けた。


「大体の話は聞いたよ。友達とはぐれたんだろ? 実は俺も似たようなものなんだ。喧嘩しちゃってさ。あ、ごめんよ、話が逸れた。俺はリトラ、君は?」


「……フェザー、フェザーって呼んで」


「ああ、なるほど」


 彼女の頭にある美しい羽根飾りを見て、リトラは納得した。


「フェザー、君は湖の古城で友達とはぐれて、それで助けを求めて此処へ来た。そう聞いたけど間違いないか?」


 フェザーは無言のまま頷いた。


「俺はさ、その湖の古城ってのに興味があるんだ。勿論、君の友達を捜す協力はするよ。君がいいならすぐに案内して欲しい」


「……私には渡せるものがない。報酬がなければ話にならないって、そう言われた。あなただってそうじゃないの?」


「報酬なんていらないよ! 珍しいものが見られるなら十分さ! さあ、もう行こうぜ? 友達も君を待ってるはずだ」


「そうだけど、でも……」


「人手が足りないなら、他の奴も何人か連れて行こうか? 金を渡せば何とかなると思うよ?」


「いい」


「えっ?」


「貴方だけでいい」


「そう? 君がそれでいいって言うならいいけど」


「ねえ、貴方こそ、本当に良いの? 私が騙しているとか、仲間が待ち伏せしてるとか思わないの?」


 隠しきれない期待と、昨晩の手酷く断られた記憶とが混ざり合い、フェザーは複雑な表情を浮かべている。


 それはまるで、突然差し伸べられた手に戸惑っている迷い子のようだった。


「別に騙されたっていいさ。もしそうなっても何とかするし気にしないよ。と言うかさ、そもそも俺は疑ってないんだ。だって……」


 リトラはフェザーの翠の瞳を真っ直ぐに見つめた。


「なに?」


「だって、君は嘘を吐いてないだろ?」


 そう言って、置かれてあった酒を一気に飲み干して渋い顔をする。そんなリトラを見て、彼女は自分でも気付かないうちに笑みを零していた。


 いつまでも意固地になって彼を疑うのは果たして正しいことなのだろうか。少なくとも、彼は私の言葉を信じようとしてくれている。ならば、自分も信じてみるべきではないのか。


 フェザーはそう考え、腰に差した短剣にそっと触れると、少し間を置いてからゆっくりと口を開いた。


「……リトラ、行く前に、古城について話しておくことがあるの」


「それは是非聞かせて欲しいね」


 きらきらと瞳を輝かせてるリトラに、フェザーは自分が昨晩体験したことを語り始めた。誰にも信じてはもらえなかった話を。


「湖の中?」


「そう。昨日の晩、湖の近くを歩いていたら水面が光った。友達と二人で覗いてみたら湖に古城が映ってた。映っているような沈んでいるような、不思議な感じだった」


 フェザーはそこで頭を振って、グラスに注いだ酒を一口飲んだ。自分でも要領の得ない、おかしな話をしている自覚はあるようだった。


「しばらく見ていたの。とても綺麗だったから。でも、何を思ったのか友達が水面に手を触れて……そして、消えた……」


「君は水面には触れなかった?」


「ええ、あの子が突然消えて、私は突然一人になって、もう何が何だか、訳が分からなくなった」


「だからって、何だってこんな所に? ここじゃなくたって頼れる人間はいたと思うけどな」


「……それは、湖に着いたら話す。ここでは話したくない」


「そっか……うん、分かったよ。それじゃあ、もう行くかい?」


「そうね、行きましょう」


 何やら浮かない表情のフェザーが席を立つと、リトラはそれに続いた。彼等が揃って酒場を出ると、悪党たちはリトラを笑いの種にして酒を飲んだ。


 美女に釣られて小僧が騙された。高い勉強代を払う羽目になるに違いない。きっと今は夢見心地だろう。もうすぐ地獄に突き落とされるとも知らずに。そう言って嘲笑った。


「好き勝手に言ってやがる」


 その様子を眺めていた店主は、おそらくはその通りになるだろうなと思う反面、怪しい女の言葉を信じたリトラに疑問を抱いていた。


 ほんの少し話しただけだが、あの青年があんな話を容易く信じたり、騙されたりするようには思えなかったからだ。


 あの女は確かに良い女だった。いや、単に良い女なんて言葉では言い表せない女だ。此処の連中が余計に警戒してしまうのも分かる。


 だが今、連中はこう思っている。


 もし、あの女の言っていたことが本当だったら。もしかしたら人生に一度あるかないか、そんなとんでもなく大きな機会を逃してしまったのではないか。


 そうであって欲しくない。だから、リトラが痛い目に遭うことを願っているのだ。分かりやすい嫉妬だ。


 だが、心のどこかでは感じている。きっと自分達の望むような結果にはならない。あの青年は何かを掴んだのだと。


 自分達には掴めなかった何かを。

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