リトラと夜の幻想曲
本居 素直
湖上の花園
第1話 楽園の子どもたち
悪党は夜に集う。
彼らは日の光と人目を避けて暗がりに潜み、身を寄せ合って知恵を絞り、大小様々な悪事を企てる。
そのはずなのだが、どうやら此処の悪党は違うらしい。
「てめえ、騙しやがったな!?」
「ふざけんな、俺は聞いたことを話しただけだ。それをお前が勝手に早とちりして盗みに入った、それだけの話だ。どうせ、一人だけ儲けようとしたんだろ? その罰が当たったのさ!」
「んだと、この野郎っ!」
立派な髭を生やした大の大人の男が子供のように言い争い、今や殴り合いにまで発展している。辺りの大人たちも囃し立てるばかりで、喧嘩を止める者など誰一人としていない。
ここは真っ当な人生を歩む人々の足下、灯りに照らされた街の地下、本来明かりの届かぬその場所に、悪人の集う場所がある。
そこは明るく、それなりに暖かく、とても煙たく、決して美味しくはない酒と食べ物があり、大人と子供、男と女の区別なく、ありとあらゆる種類の悪人が詰め込まれた楽園のような場所だ。
「何でもかんでも人のせいにすんな! そういうところが前から気に入らなかったんだよ!」
「口先だけの奴には言われたくねえな!」
いよいよ殴り合いが始まるかと思われたその時、彼らを囲む群衆の中から一人の青年が抜け出してきた。
そのすぐ後ろで怒声が響き渡る中、彼はとても上機嫌な様子でカウンター席に腰を下ろした。
「いやぁ、此処は賑やかだね。あんなに怒ってたら財布盗んだって気付かれないよ、多分」と、此方に向かって人懐っこい笑顔を見せる彼に、この地下酒場の店主である大男が声を低くして忠告した。
「よせ、お喋りが過ぎると絡まれるぞ」
「でも、本当の事だからね。ほら」
青年の手には、汚れた財布が二つ握られていた。店主は慌てて取り上げると、青年の羽織っているコートの中に強引に突っ込んだ。
「バカたれ!」
「あっははは! ごめんごめん!」
青年は悪びれる様子もなく笑っている。大人を相手にしてやったのが痛快なのか、大人が顔を真っ赤にして殴り合っているのが滑稽なのか、それとも酒に酔っているのか、青年は尚も楽しそうに笑っていた。
「……まったく、年の割に手癖の悪い奴だな」
「まあ、そうじゃなかったらこんな所には来ないよ」
「だろうな。年の割に腕が良いって言うべきかもしれん。その細腕でよくやるもんだ」
良くやったとでも言うように、店主が彼の肩をぽんと叩いた。此処は悪党の巣、財布を盗られた悪党が間抜けなのだ。
「財布がねえぞ! てめぇだな!」
「ふざけるな、俺じゃねえよ!」
と、今になって盗られたことに気が付いた二人が喧嘩を再開したようだが、店主は犯人を突き出すつもりなどなかった。そんなことよりも、目の前の若き有望な悪党に興味が湧いた。
「ほら、飲め。ここは初めてだろ? 今日は奢ってやる」
「いやいや、お金は払うよ。懐は暖かいからね」と言って、財布から幾つかの硬貨を取り出して店主に渡す。勿論、彼自身の物ではないから懐はまったく痛まない。
「若いのに随分と長いことやってるみたいだな。さっきの盗みも慣れてなければ出来ない芸当だ」
「両親は優秀だったらしいから、血筋なのかもしれないね。誕生日に会ったきりだけど」
「まったく、子供がこんな世界で生きなきゃならんとはな。嫌な世の中になったもんだ」
「そんなことないさ。俺はこの世界が好きだし、かなり楽しんでるよ。知りたいことも欲しい物も沢山あるんだ」
子供っぽく笑ってグラスの酒を一気に飲み干し、口元をぐいっと拭う。まだ少年の域を抜けきらない歳であろうが、その姿は妙に様になっていた。
「……うん、あれだね。全部忘れて酔っ払いたい人間には最高の酒だね、これは」
「最高の酒か、そう思うなら遠慮しないでもっと飲め」
「いいよ、俺には忘れたい過去なんてないから」
「口の減らない奴だな……」
「はははっ、今まで言われなかったことがないよ」
それはこの場に似つかわしくない笑顔だった。店主にとって、それは〈上の世界〉で生きる子供のような、太陽の下でしか見る事のない笑顔だった。
彼は益々、目の前の名も知らぬ青年に興味が湧いた。こんなにも濁りの無い瞳をした奴が、何故このような陽の当たらない世界に来たのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます