第28話 焦がれる

藤田がくれたリップは、さくらんぼのような甘い果物の香りがする。


 私はそれを唇につけた。


 藤田のくれたリップは特注なのか、ガラスで出来ていて少し重たい。


 唇を右手の人差し指で優しく挟む。

 あの時の藤田との感触を思い出したくて。

 

 時々無性に藤田に会いたくなる。


 私はあの時、藤田がアメリカで出稼ぎに行くって言った時、「いかないで」ってちゃんと言ってたら結果は変わったのかな。


 変わらないよ。分かってる。


 藤田、今何してるの。今日はどんな客を相手にしたの。耳は舐められていない?ヒソカは元気だよ。会いたいよ藤田。


 藤田とのキスや愛撫を何度も思い出して、1人真っ暗な部屋のベッドで声を殺して静かに喘ぐ。



 あの時のホテルの思い出は飴玉のようなものだ。どんどん思い出して舐めるたびに小さくなって消えていく。


 新しい飴玉が必要だよ。


 藤田には聞きたいことがいくつもある。何故、柊木と出会い子供を身籠ったのか。どうして借金するまでホストに落ちたのか。


 ありえない藤田が。そんな風に落ちるのが想像できない。


 私は藤田を神聖視しているのかな。


 あーあ。余計なことを考えるのはやめよう。


 そしてひとしきり飴玉を味わったら、眠気が襲ってきた。このまま目をつぶって眠ってしまおうと思った時、電話がかかってきた。




「もしもし冬梅さん、夜分遅くに失礼致します。弁護士の黒瀬です。」


「あ、黒瀬さん」


 こんな遅くに黒瀬さんからの電話。悪い予感しかしない。あの時の記憶戻ったとかだったらどうしよう。


 それにイイダさんの件も気になる。何故イイダさんは、黒瀬さんの名前を聞いて涙を流したのか。


「冬梅さん、今お時間ありますか。」


「はい…」


「あの、貴方のご友人の高瀬ユウナさん、ここ2.3日姿が見えないそうですが何か知っていることはありますか?」


「え、高瀬さん?どうして黒瀬さんが高瀬さんの名前を?」


「柊木から話を聞いたんですよ。高瀬もレイプしたと」


「それを私に話して良いんですか。守秘義務では?」


「柊木から許可をとっています。高瀬さんの居場所をどこかご存知ですか?」


 何故、柊木は許可をした。

 ていうか高瀬さん失踪…このタイミングで。


「高瀬さんのお母さんから話を伺ったんですが、“彼氏と駆け落ちする”というメモを残していなくなったそうです」


「え、彼氏?」と私は思わず聞き返した。


 そんなはずはない。だって高瀬さんは事件をキッカケに彼氏と別れた。復縁?いや、そんなことあるのか。


「そうですか。私は何も知りません。」と、彼氏の件はもちろん黒瀬さんには話さなかった。


「分かりました。ところで冬梅さん、あなた高瀬からレイプ被害のこと聞いてたでしょう。それも含めて俺は高瀬さんから話を聞こうとしていたんですよ」


「私は高瀬さんから何も聞いてないですよ」


「そうですか。こんなタイミングよく居なくなるものなんですかね。」


「疑っているんですか。私は本当に知りませんってば」


 事実、私は本当に何も知らない。高瀬さんが居なくなるのはこちらも予想外。何故、嘘をついて突然家を出た?


 ふと唇を舐めるとリップの苦い味がした。匂いはサクランボなのに、舌に触れると苦くなる。


 藤田の顔がよぎる。


 藤田は柊木にレイプされて、そこから風俗で働いてホストにハマって借金地獄に追い込まれた。本当に藤田は自らの意識で風俗で働こうとしたのか…?


 なんだか嫌な予感がする。 


 高瀬さんと藤田をレイプしたのは柊木と丸井だ。でも、あの2人は実行犯なだけ。レイプした動画を管理している奴は別にいる。


そして前回の監禁。ヒソカを売って金にすると言ってた半グレ。アイツらはヒソカが柊木と藤田の子供だと知っていた。そして、それをイイダさんと私が匿っていることも。


 女の子をレイプして、その動画で揺さぶって性産業で働かせる。そしてホストにメンタルケアをさせてドンドン借金地獄にさせていく。


 そうなると相当規模のでかい犯罪集団だ。


 いや、あくまで予想だけど。でも、それなら他の被害者が警察に被害を訴えないのも納得できる。


 レイプした被害者を全員風俗に落とした…?。そんなこと可能なのか。


もしそうだとしたら…


高瀬さんが危ない。


「…」


「もしもーし。あの、冬梅さん聞こえていますか。」


「聞こえていますよ」


もうでも今は高瀬さんの話は避けよう。


「黒瀬さん」


「なんですか?」


「イイダさんってご存知ですか?」


「イイダ…」と黒瀬さんは小声で呟いた。


「すみません。僕の記憶にはいない人です。どなたでしょうか?」


「いえ、なんでもありません。失礼します」と言って、一方的に電話を切った。


 黒瀬はイイダさんの名前を知らない。


 ということは黒瀬さんは、私があの人に“イイダ”という名前を与える前の知り合いなのか。


 なんで今、黒瀬にこんなこと聞いちゃったんだろう。自分から悩みの種を増やして自爆をしたことに腹が立つ。


 とりあえず洗面台に向かって、私は藤田のリップを落とした。

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