第26話 桜という名前

「これ…組織ぐるみの犯行じゃないですか」と私は林檎を食べながら、ぼんやり言った。


「あーお前を監禁したやつ〜?それとも藤田と高瀬をレイプしたやつ〜?」とイイダさんは林檎を剥きながら言った。


「両方ですよ。」と私は言った。


「はぁーあ、頭殴られて手首折れてボロボロなのに熱心だねぇ全く」


「姉様は休まなければいけません!!代わりにマシロが林檎を食べます!!」とマシロちゃんは私が寝ているベッドに飛び込んだ。


「お前は食うなマシロ。ったく…なんで冬梅の救出に向かわせたのに重症なんだよ。バカ。」


「そんな!そんな!だってマシロ!姉様が荒ぶっているところ久しぶりに見たかったんだもん!」とマシロちゃんは泣きながら言い訳をした。


「見たかったん“だもん”じゃねーよ。バカ。」とイイダさんは林檎を切っていた包丁をマシロちゃんに向けた。


「でも!でも!マシロはちゃんとやりました!ほら姉様!約束通りマシロの活躍話してください!!」


「はぁ…」と、私はため息をついてイイダさんにマシロちゃんの活躍を報告した。


「あの時、私と一緒に弁護士さんも監禁されたんですよ。頭を殴られて。」


「まぁ、示談の話をした帰りだもんな」


「それで、その監禁されている途中で弁護士さん意識を取り戻しちゃって。私とアイツ等がしている会話聞かれちゃって」


「はぁ…それで?」とイイダさんも事の大きさを察し始めたようだ。


「マシロがその弁護士の頭をぶん殴って、記憶を奪いました!!!」とマシロちゃんが割って入った。


「お前に聞いてねーよ。マシロ。」


「はい…」とマシロちゃんはシュンとなって下を俯いた。


「いやまぁ、マシロちゃんの言った通りなんですよ。」と私はマシロちゃんのフォローをした。


「マシロ、本当にその弁護士はあの時の記憶失ったのか?」


「はい!バッチグー!です!」


「そうか。良くやったマシロ」とイイダさんはマシロちゃんにリンゴを一切れあげた


「うさぎ!リンゴさん!」と言って一口で林檎を食べた。そしてマシロちゃんは満足したのか寝室を出て、ヒソカのいるリビングに向かった。


寝室は私とイイダさんの2人になった。


「はぁーあその不良一味も、もっと弁護士のこと本気で殴れよなぁ」


「イイダさん、なんてこと言うですか。」


「その弁護士の名前、一応教えて。変な動きしないか、こっちで見張る。」


あの弁護士さんの名前…。どこか自信家で、おっちょこちょいで、猫が大好きな、あぁ思い出した。


「黒瀬さんです。」


 そう私が言った瞬間、寝室の空気に緊張が走った。イイダさんの顔が急に険しくなり、私のことを睨みつけた。


 イイダさんの初めて見るその顔に心臓がキュッと止まりそうになった。


「黒瀬…って…下の名前はなんだ…?」


「下の名前!?…えと、え…」


 私は急いで、黒瀬さんから受け取った名刺に書かれた名前を思い出そうとした。


「倫太郎です!倫太郎!!黒瀬倫太ろ…。えっイイダさん…?」


 イイダさんの顔を見ると目から一粒の涙が浮かんでいた。涙はイイダさんの頬を静かに伝い床に落ちた。まるで絵画のような美しさだった。


 泣いた。イイダさんが。何故。初代マシロちゃんが私達から離れたときも泣かなかったのに。仲間が逮捕されたときだって。何故。何故今。


どうして黒瀬倫太郎の名前を聞いて涙を流したの?


「イイダさん…」と言ってもイイダさんは一才反応しなかった。


 無言の時間が寝室に流れ続けた。


そこにドアがバンと音を立てて開いた。


「イイダさん!ヒソカがうんちを出しました!マシロにおむつ替えを伝授してください」とマシロちゃんが血相を変えて部屋に入ってきた。


 イイダさんは我を取り戻したのか、ニヤリと笑い「今行く」と言ってリビングに向かおうとした。


「待ってください。イイダさん…今…どうして…」


「桜、あの時約束したよな。レイプ犯は皆殺しだ。」


 イイダさんは部屋のドアノブを強く握りしめ、背を向けて言った。


「なんですか。イイダさん。急に下の名前で呼んで。冬梅でいいですよ。」と私はつっこんだ。


「…冬梅、今日はゆっくり休め」と言ってイイダさんは寝室から出て言った。


 その時、イイダさんは私の方を一切振り向いてくれなかった。


 イイダさんに久しぶりに呼ばれた“桜”という名前。全然嬉しくない。


 誰に向けて言ったの。イダの馬鹿。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る