第41話 信じられない想い(天霧柊)

 パチッ…と小さな音と共に耳からイヤホンが外れた。

 少しの痛みを感じてキーボードから手を離し、パソコンの画面から顔を上げて、すぐ横を見る。

 青空を思わせる瞳の前にさらりと下りてきた前髪は白金の様に煌き、光を反射した。


 中腰の姿勢でこちらを覗いて来た少女の手には俺のイヤホンが握られている。


「…おかえり」


 とりあえずそう言うと、最上はポカンとした表情で俺の顔を見てきた。

 何を思ったのかがわからなくて返事を待っていると、彼女は瞳を閉じて微笑んだ。


「何気ないけど、実はかなり変だよね…これ」

「えっ…?なにが?」

「なんでもない」


 私服姿なので一度自室に戻ってからこっちに来た様子。特におかしな所はないし、おかしな事を言ったつもりは全く無い。


 嬉しそうな表情とは裏腹に、何度か言葉を飲み込んで…自嘲するようにため息を吐いた。


「ただいま」


 それはいつもより、なんとなく気持ちのこもった言葉に聞こえた気がした。


「天霧、熱は?」

「…一応、落ち着いてるよ。君こそ機嫌いいみたいだけど…。何かあった?」

「特別な事はないかな。小さな悩みが一つ無くなっただけ」

「……悩み?俺の事じゃないよな」

「天霧の事」

「………そんなに心配かけた?」


 俺が思わず頬を引きつらせると、「そうじゃないよ」と呟きながら最上は突然俺の頭を軽く抱き寄せる。


「…ん?」

「『おかえり』…なんて、家族に言われた事無い気がする」

「あぁ、それで…。俺が言うのはおかしい?」

「んー…家族よりも、天霧に言われる方が嬉しい…かな」

「………さり気なく言ってるけど、それなんか…」

「同棲してるみたいだね、って?」


 すとん…っと膝の上に座って、上目遣いで見上げてくる。どうも甘えてくる様な行動が多い様に思う。


「…それも良いよね」

「……」


 それはほぼ告白なのでは?と思ったので一言物申すべきかと思っていると、最上は「まあでも…」と先に口を開いた。


「それも必要ない、かな。やっぱり括りとか肩書は、好きじゃないから」


 なんて言いながら俺の前髪に手を伸ばして、指先で弄る。


「…どうしたの、急に」


 上機嫌で気まぐれな行動をしながら妙に甘えてくる、まるで猫のような振る舞いだ。


「別に」


 何も無くて、突然そんな事を言うだろうか。


「…なんか、ちょっと意外だ」


 なんて、思わず呟いた。


「……そう?」

「君はもう少しクールなイメージだった」

「自分がクールなタイプだと思った事なんてないけど…。失望した?」

「いや、琴葉のこと思い出したよ」

「…?あの子とは似てないと思うけど」

「兄貴と話してる時の琴葉って、柔らかいんだよ、毒気が抜けてるっていうか。色々隠さずにいられる感じ」


 これだと言いたいことがあまり伝わらないかも知れない。

(要するに………そう)


「今の最上は…。なんか、いつもよりラフなのかなって。思ってることと言ってる事が一致してるって言うか。普段隠してる部分を隠さずに話してる……気がする」

「…普段、そんなに取り繕ってるつもりはないんだけど」

「取り繕うっていうか…さ。“俺相手には”言い難い様な事、結構あるんじゃない?」


 俺としてはどうしても核心に迫れない感覚があった。一番知りたい部分と言うか、気になっている面を絶妙に隠されている気持ちになる事があった。


 そんな面が今日は見られない。


 彼女の言うように、今日は「取り繕ってる」様には見えないからか少し上機嫌に見えていた。

 …なのだけど、こんな話をしたせいで最上は眉をひそめた。


「…ごめん…そんなつもり無かった」

「あ、いや。それが悪いとか嫌だとか言うつもりは無いんだよ。ただ…」


(…ただ、なんだろう?)


 一瞬言葉に詰まってから、想いを口に出した。


「磯谷君と再会した頃から、特にそんな感じだから…気に入らない……」


 正直な話だ、寧ろ正直過ぎる気がする。

 自分でも自分の言葉に少し驚いた。


 それはそうと、最上はぷふっ…と吹き出してから小さく肩を揺らして笑った。


「ふふっ…意外なのはこっちだよ。天霧からそんな事言われるなんて思っても見なかった」

「……聞かなかった事にして」

「やだ」


 さっきよりも上機嫌になって、ぐりぐりと頭を押し付けて来る。


「…そっか…。一緒だ」

「……一緒…って何が……?」

「んー…?」


 ふふっ…とまた笑って寄りかかってくる。

 悪い気はしないが、どうも誤魔化されている様に思う。


「…ヤキモチされるのは悪い気しないね」

「……ヤキモチって言うか……。いや、まあそうか」

「悪い気はしない…けど、しなくて良いよヤキモチなんて」

「…しなくて良いって何?」


(別にしたくてしてる訳では無くて、単純に嫉妬の一種だし…)

 最上は柔らかく笑顔を浮かべたまま顔を上げて、俺の頬を指でなでた。


「ちゃんと両想いだから、『俺の女だ』くらい言ってくれて良いよ」

「……そう言うつもりで言ってた訳じゃないんだけど」

「大和とかと話してるのが嫌だって言うなら控えようか?」

「いや、だから…んっ…ちゅ」


 からかう様に「天霧の為なら全然やるよ?」なんて言う彼女は、俺の言葉を遮る様にして唇を重ねて来た。

(………は?)


「…───っ!?」


 思わず最上の事を突き飛ばしそうになったが、肩を掴んで距離を取るだけに留めて、自分の口元を触る。


(……えっ今…は???キスしてきた?キスしたよね今…?)


 恐る恐る顔を上げると、最上は俺の反応に微笑んだあと…少し真剣な表情に変わった。


「天霧にそのつもりが無いのは分かってる。でも、私も他の誰かに天霧を取られるのは


(…それは俺が、最上以外の誰かと付き合う事になったりするのが嫌だ…って事だよ…な?絶対に……)


 逆の立場だったら少なくとも嫉妬はすると思う、という程度。ここまでハッキリと言葉として口に出せる様な想いだと言い切れる自信はない。


「この際だからハッキリ言うけど、天霧の事は初めて話した時から好きだよ」


 そう言われて…あの時の、子猫を見ていた彼女の姿を思い出す。

(…確かに悪印象は持たれてなかったと思うけど…)


「毎日の様に一緒に部屋に居るのだって、信頼してるから…って前提はあるけど…天霧になら押し倒されたり、ベッドに連れて行かれたりしても良いって思ってるから」


 一ミリもそんな事を考えた事はないが、冷静になってみるとそれはそれで失礼な気がした。思っても行動に出す事はないだろう、ということに間違いはないが。


「天霧が隠してるって思ってたのだって、そんな気持ちばっかりで口に出せなかったから」

「………」

「今は天霧には分からないかも知れないけど…。大和が私を好きって言う時と、私が天霧を好きって言う時は同じ…。端的に言うと“恋してる”の」

「…あの、分かった。分かったからさ……その…。近いって…」


 ずいっと顔を近づけながらそう言われては、目を逸らすことしか出来ない。

(本当に、反応に困るって……)


「…まあ…」


 小さく息を吐いてから微笑み、下のソファの位置へと戻って座り膝を抱えた。


「分からなくても今は良いから。私がそう思ってるって事を頭に入れててくれれば」

「……なら…さ、どうすんの?磯谷君のこと…」

「私が一回大和のこと振ってるの知ってるでしょ。何回言われても変わんないよ、そんなのよりも天霧の事好きなの。ちょっと迷ってはいたけど…どうでも良くなったよ。私は天霧が愛おしいから、もう決めたの」

「……なんか、分かんねえよ……」


 くすくすっと微笑んでこっちを見る彼女の瞳は、いつもより輝いて見えた。

 その奥にある感情まで伝わって来るのは初めてだった。


(………好き…なんて……)


 どうしてなのだろう。

 その言葉がどうしても信じられないのは。

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