第7話「ただ名誉だけ」

サトゥーの宇宙船ロビーにいるアルタコ達は、何故か対環境バリアを解除していない。


対環境スーツの使用者はその効果により、仮に未知の惑星に降り立ったとしても、細菌あるいはウィルスの汚染を受ける心配はない。

仮にバリアに何かが付着していたとて、後部ハッチの防御フィールドを通過する際に全て弾かれる為、宇宙船内部の安全は保たれている。

気圧、気温ともにアルタコに問題のない宇宙船内部で、彼らが対環境バリアを解除しない理由はひとつ。


(臭いからな……ヤウーシュ)


臭気対策に尽きる。


ヤウーシュの頭部には多数の、棘状になっている放熱器官――ドレッドヘアーに見える――が生えている。

それらは一本一本の内部が空洞になっており、老廃物を含んだ体液――要はおしっこ――を排出する事で体温を下げる働きをしていた。

勿論、頭部からそんな事をしては全身が尿塗れとなるが、それ自体も気化熱による冷却を兼ねている。

そんな習慣を持ったヤウーシュは、強烈な体臭を持っているものが多い。


当然、他種族からすれば悪臭に外ならず、銀河同盟の手前、ヤウーシュ首脳部は『外殻を清潔に保ち、体臭を予防しようキャンペーン』を展開している。

だが残念ながら、他種族と触れ合う事の多い若年層側が『セイケツって美味しいのか』だとか『この臭気こそヤウーシュ』とあまり興味を持っておらず、進展は芳しくなかった。


そんなヤウーシュの宇宙船内部がどんな匂いだと思われているかなど、推して知るべし。

そして残念ながら対環境バリアは、降り注ぐ酸性雨と使用者が飲もうとする液体を区別しない。

アルタコが携帯食を口にしたければ、対環境バリアを解除するしか無かった。

だが解除した瞬間、己を包み込んでいる臭気に晒される事になる。


(悪臭のひどいゴミ屋敷の中に入って、マスク着用中だからまぁ何とかって思ってたら)

(「お茶でもどうぞ」ってお茶が出てきて、でもマスク外したくない……そんなトコか)


アルタコの心中を推察するサトゥー。


だが勿論サトゥーは体と、そして宇宙船内部を清潔に保ち続けており、悪臭など発生していない。

前世日本人的な衛生観念を持ち続けているが故に、ヤウーシュ族としては異常な程に『綺麗好き』だった。

だがそんな事を、初対面のアルタコ達が知る由もない。

だからサトゥーはをする事にした。


「大変失礼いたしました。を忘れていましたね」


そう言いながらガントレットを操作するサトゥー。

次の瞬間、天井から白いガスが噴き出し、ロビーの中を包み込むと瞬間的に消えて無くなった。

ウィルスはおろか匂い分子も消し去る、除染用のナノマシン剤だった。

本来不要なそれだが、アルタコ達への『悪臭は消しましたよ』アピールである。


「さぁこれでの心配はありません。心置きなくお食事をどうぞ」


そう言われたアルタコ達はお互いを見合わせてから、恐る恐る対環境バリアを解除した。

アルタコの嗅覚器官は口のそれと同様、触手の先端にある。

あからさまに船内の匂いを嗅いでは、命の恩人に『お前、体臭くないか?』と告げるも同じ。

サトゥーに気取られない様に、アルタコ達はテーブルの下に伸ばした触手でくんくんと少しだけ嗅覚を働かせてみた。


――臭くない!


≪≪≪私たちはいただきます!≫≫≫


一斉にテーブルの上の携帯食に触手を伸ばすアルタコ達。


《私はアセチルコリン味が必要!》

《ガストリン放出ペプチド味が私を呼びます!》

《世界は今、私と下垂体アデニル酸シクラーゼ活性化ペプチド味のみを観測!》


それぞれが好みのフレーバーを確保し、触腕で封を突き破る。

突き入れた触腕の先端で内容液を吸い込み、嚥下したそれが膨らみとなって触腕を駆け上がっていった。


しばらく食事に専念するアルタコ達。

静かなロビーには、ちゅーちゅー、ちゅーちゅーという音だけが聞こえていた。

ヤウーシュならば一口で飲み切ってしまう容量でも、アルタコ達には十分な量。

それでもそれぞれが2つ、あるいは3つ飲み干した。


≪≪≪蘇生のような気分を観測しています……≫≫≫


アルタコ達は専用椅子に深く腰掛け、背もたれに体重を預ける。

胃袋を満たし、ようやく人心地つけたようだった。





シャーコに指定された宙域でサトゥー機を待っていたのは、巨大な球体だった。


「でっけー……」


航宙交通管制用自動応答装置STCトランスポンダによれば、アルタコ宇宙艦隊所属の移動要塞『チチッチッチチッチッチチッ号』。

この巨大な球体は、海を持った惑星にうかつに接近すると、その質量から来る引力ゆえに地表で潮の満ち引きを発生させ、津波被害を起こしてしまう程の大きさだった。

もはや小惑星だった。


「こちらヤウーシュ族、シフード氏族の戦士サトゥー機。着陸許可を願う」

《私は格納庫管制塔です。365番ポートが貴方を待っています。チチッチッチチッチッチチッ号は歓迎します!》


サトゥーは指定されたポートへと宇宙船を向かわせる。

球体の表面は複雑な構造物でびっしりと覆われており、相当数の箇所が光を放っていた。

その光のうちのひとつが、365番ポートだった。


光の正体は内部と宇宙空間を隔てている防御フィールドの光であり、開放型の格納庫の中へと進入する。

格納庫自体も巨大であり、内部には山の一つや二つ入りそうだった。

そしてそこには、大量のピンク色の粒々が並んでいる。

よく見れば、それは全部アルタコだった。


ガイドビーコンに誘導され、指定箇所に宇宙船を停泊させるサトゥー。

後部ハッチを開放し、船内から要救助者だったアルタコ達が降りていく。

大勢のアルタコ達のクリック音がそれを出迎えた。

チチチチチチチチチと鳴り響くその音は、アルタコ達の拍手だった。


そして救助されたアルタコ達が、出迎えの最前列にいたアルタコ達――救助された側の親族――と触手を絡ませ合う。

アルタコ流の抱擁だった。


同じく船を降りてから、そんな感動の場面を離れた場所で見守っていたサトゥーの元に、出迎えた側のアルタコ数名が近づいて来る。

視線を向けるサトゥー――正装としてマスクを装着している――の視界に、拡張現実として情報が表示された。

先頭にいるアルタコの名前がチッチチッチッチッチッで、今回の仕事の依頼主である事。

そして備考欄には氏族長名義で『くれぐれも失礼無き様。及び次の仕事乞う事』と但し書きが付け加えられていた。


(うるせーボケ!)


心の中で悪態をついているサトゥーに、チッチチッチッチッチッが声を掛けてくる。


《勇敢なる戦士サトゥー、我々は貴方の偉大な尽力にとても感謝します。

 そして、それに見合う謝辞を探すのは簡単ではありません》

「礼には及びません。銀河の同胞として、すべきことを成したまでです」


サトゥーはヤウーシュ流儀として、軽く頭を下げた。

どんなに困難な任務であっても、遂行した暁には”まぁ大した事無かったな”と強がるのがヤウーシュの文化だった。


と、そこへ他のアルタコ達も近づいてくる。

救助したアルタコと、その親族たちだった。

ありがとう、ありがとうと代わる代わる謝辞を述べられ、頭を下げて応じるサトゥー。

その時、ひとりのアルタコがサトゥーの前に出てきた。

宇宙船内部で下垂体アデニル酸シクラーゼ活性化ペプチド味を3つ飲み干したアルタコだった。


《戦士サトゥー……私たちは貴方に謝る必要があります》


そう言われてサトゥーは内心、首を傾げた。

謝る事――空手演武の為に不要なリスクを冒した――ならあれど、謝られる事は思い浮かばない。


《私たちは正直……銀河の友たるヤウーシュ族を見下していた過去を確認します。

 粗暴で短気で暴力的で……そして悪臭を発生させる野蛮人だと》

「あー……」


全て事実だから何も言えねぇ。


《ですが今回、戦士サトゥーの振る舞いは私たちの認識を打ち壊しました。

 私たちが抱えていたを解消し、空腹も解決した。

 何より恩人の悪臭を疑って、無礼を働いた私たちの心にまでを配ってくれました》

(バレテーラ)

《私たちは古い観測を捨て、ヤウーシュ族に関する新たな常識を得るでしょう!》


そう宣言したアルタコが触手を振り上げる。

それに呼応する様に、周囲のアルタコがチチチチチとサトゥーに向かって拍手した。

感動的な空気だったが、サトゥーは焦っていた。

下手に誤解させると、あとで失望される危険があった。


「あー、えーと……私がヤウーシュ族としては変わり者なだけと言うか……

 粗暴で短気で暴力的で悪臭を発生させる野蛮人なのは事実と言うか……私を基準にされると、それはそれでマズいと言うか……」


だがそれを聞いたチッチチッチッチッチッが声を張り上げる。


《私は感動します!

 戦士サトゥーは私たちの”謙遜”の文化にも精通しています!》

≪≪≪流石は戦士サトゥー! ヤウーシュの偉大なる戦士!≫≫≫

「あ……はい」


サトゥーは誤解を解く事を諦めた。

あとはヤウーシュ首脳部が何とかするだろう。

チッチチッチッチッチッが話を続ける。


《それで戦士サトゥー、我々が貴方に感謝を伝える方法として、幾つかの催し物を企画しています》

「ほほう」

《その中のひとつは食事会です》

「ほほほう」


食事、と聞いたサトゥーのテンションが上がった。


サトゥーは『ヤウーシュ族の会食』が嫌いだった。

ヤウーシュ同士が食事会をする時、テーブルの周囲は鉄格子で囲まれる。

そしてテーブルの上には、サトゥーが見た事もない生物が複数、生きたまま放たれる。

それをとっ捕まえ、頭から丸かじりにするのがヤウーシュの食事会だった。

獲物はが良いほど上物であり、どうでもよい事に、逃げ惑うそれを誰が最初に捕らえるか、という一定のゲーム性持っていた。


確かにサトゥーの前世は、世界的に見ても生食が多い文化だった。

だがそれと、背中から棘を発射するマントヒヒみたいな生き物を生きたままカジるのとは訳が違う。


一方でアルタコの主食は薄い塩水めいていて、全く期待出来ない。

しかしながらサトゥーが主賓の食事会とあれば、メニューを指定する事が出来るだろう。

何を食べたいか聞かれた時に、前世日本人的な感覚でも満足出来る料理を注文すれば良い。

変わり者だと思われても、本人が満足ならばそれで良いのだ。


うっきうきで催し物に期待しているサトゥーに、チッチチッチッチッチッが続けた。


《だったのですが、私は氏族長シャーコ殿と新たな情報を共有しています》

「新たな情報?」


嫌な予感を感じつつ、サトゥーが尋ねる。

チッチチッチッチッチッが答えた。


《私は、サトゥー殿がすぐにでも次の狩りに向かう計画を把握しています!

 もう少しで我々は、サトゥー殿のたゆまぬ研鑽の歩みを邪魔する寸前でした!

 催し物は全てキャンセルしてあります! この点について、サトゥー殿が心配する箇所はありません!》

「スゥー……」

《この点について、私たちは氏族長シャーコ殿より助言を取得!

 ヤウーシュの戦士に歓待は不要! より謝意を示したい場合は、氏族長への謝礼の支払いが有効! 戦士には、ただ名誉だけが必要です!!》

「あ、ハイ」


さようなら、食事会。

サラリーマンとは取引先に、自社の社長と異なる事を言えはしないのだ。


「では……私は次の狩りへ向かうとしましょう」


サトゥーは移動要塞と別れを告げる事にした。

たゆまぬ研鑽の歩みとやらの為に。

ちくしょーめー!!

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