第051話
しばらくすると知奈美ちゃんの「おまたせー」という言葉と共に、カーテンが開けられた。
海奏ちゃんは少しだけ起こしたベッドに横たわっていた。
「海奏ちゃん、どう? 調子は?」
「はい、随分元気になりましたよ。まだ何も食べてないので、お腹が空いてきました」
海奏ちゃんはいつものアイドルスマイルを、俺に向けてくれた。
顔色も悪くはないが、やはり少しやつれた感じがする。
ただ昨日海奏ちゃんの体に繋げられていたいろんな管は、全て取られていた。
だからあとは回復していくだけだろう。
「ウチ、ちょっと飲み物買ってきますね。暁斗さん、襲っちゃダメですよ」
「襲わねーよ」
知奈美ちゃんは笑いながら、病室を出ていった。
「暁斗さん……いろいろと本当にありがとうございました」
「いやいや。でもこの程度で済んでよかったと思わないとね。盲腸は破裂すると腹膜炎になりかねないから」
「そうなんです。おかげさまで3日後には退院できそうなんですよ」
海奏ちゃんは嬉しそうに笑顔を浮かべる。
「でもあの時さ。海奏ちゃんの部屋まで行って、本当によかったよ。実家に帰ってるのかなって思ったんだけどね」
「本当に助かりました。でも……どうやってエントランスのドアを入ってきたんですか? 誰かの後について入ってきたとかですか?」
「えっ? いや、実はさ……」
俺は正直に、海奏ちゃんが暗証番号を押しているところを盗み見していたことを話した。
そしてその番号が、俺の誕生日だったから覚えていたことも。
「そうだったんですね。すごい偶然です。それに……10月25日って、もうすぐじゃないですか!」
「えっと……まあそうだね」
「一緒にお祝いしてもいいですか?」
「え? 祝ってくれるの?」
「あたりまえです。ここまでお世話になってるんですから」
海奏ちゃんの声が弾んでいる。
俺は自分の人生で、こんな美少女に誕生日をお祝いしてもらえる日が来るとは思っていなかったぞ。
「あの時本当にお腹が痛くて、動けなくて……それで『暁斗さん、助けて』って、心のなかで叫んでたんです」
「そうなの?」
「はい。そしたら呼び鈴が鳴って、暁斗さんの声が聞こえて……どうして?って。そしたら暁斗さんが本当に助けに来てくれて。私、本当に嬉しかったんです」
「……」
「それに……救急車で手を握って励ましてくれて。あの時痛みが半分ぐらいになった気がしました」
「大げさだよ。でもごめんね。勝手に手なんか握っちゃって」
俺は少し恥ずかしかったが、海奏ちゃんはゆっくりと首を左右に振った。
「暁斗さんはやっぱり私のヒーローなんです。何度も助けてもらっちゃって……本当にありがとうございます」
海奏ちゃんが俺にペコリとお辞儀をした。
俺はなんだかむず痒くなった。
「退院したら、私はそのヒーローさんの推し活をしますよ」
「やめてよ! アイドルへの推し活が俺の楽しみなんだからさ。俺の楽しみをとらないで」
「ダメです。私も推し活しますからね」
海奏ちゃんはそう言って笑ったが、すぐに「笑うと手術のあとが痛いです」と言って顔をしかめてしまった。
「ところでさ……うちの会社の岩瀬課長のことって、お父さんから聞いたんだよね?」
俺は前から気になっていたことを聞いてみた。
「はい。以前岩瀬さんっていう綺麗でスタイルのいい課長さんが入ってきたんだよって……お父さんが嬉しそうに言ってたのを覚えていて」
海奏ちゃんがバツが悪そうに言った。
「お父さんのことも話そうかとずっと思ってたんですけど……暁斗さんが会社でやりにくくなっちゃうかな、とか思ってしまって。多分余計な気遣いでしたね」
「そんなことないよ。海奏ちゃんなりに気を遣ってくれたんだね。お陰で謎が全部解けたよ」
なんにせよ海奏ちゃんが元気そうでよかった。早くまた一緒に朝の電車に乗ったりできるといいな……俺はそんなことを思った。
「あー、よかった。海奏襲われてない」
「お前、なに言ってんの?」
「もう、知奈美……」
知奈美ちゃんは、ペットボトルの紅茶と缶コーヒーを手に持って戻ってきた。
「はい、暁斗さん。えーっと……130円」
そう言って知奈美ちゃんは、缶コーヒーを俺に差し出した。
俺は知奈美ちゃんの分も合わせて、300円を財布から出して知奈美ちゃんに渡した。
「ありがと。釣りはいらないから」
「あ、ウチの分もいいの? ラッキー、じゃあご馳走になります」
知奈美ちゃんは笑いながらそう言った。
「ところで海奏のお父さんって、もうじき来られそうなの?」
「ああ。部長は夕方会議があるんだけど、それが終わったらすぐに病院へ向かうって言ってたわ」
だから多分1時間以内には来るだろう。
その入れ替わりで俺たちが帰ればちょうどいい。
「ところで知奈美ちゃん、何時ぐらいにここへ来たの?」
「ウチは……1時半ぐらいかな」
「……えっと、今日って月曜日だから学校は普通にあるよね?」
「はい。午後からサボっちゃいました」
いいのかよ? とは思ったが、それだけ海奏ちゃんのことが心配だったんだろう。
まあそういうことにしておこう。
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