第038話


 知奈美ちゃんはそのまま、俺の腕を取って自分の頭をつけた。


 俺は……知奈美ちゃんの寂しさが、伝わってくるような気がした。


「これから……行きませんか?」


「知奈美ちゃん……」


 これはダメだろう。


 俺は返す言葉を探した。


 俺と知奈美ちゃんの間に、沈黙が流れる。


 すると知奈美ちゃんは……




「諭吉5で手を打ちますから」


「……値上げするんかい!」



 結局俺は最後までからかわれていただけだったようだ。


 コイツ、本当にタチ悪いわ。


 ていうか、財布の中に諭吉5とか入ってないぞ。




「ごちそうさまでしたーー!」


 会計を終えて出口に向かうと、知奈美ちゃんは満面の笑顔でそう言った。


 結構食いやがって……かなりの出費になったが、さすがに高校生に払わせるわけにはいかない。


「まったく……とんだ出費だぞ」


「まあいいじゃないですか。こんなに可愛い女子高生とカラオケに来れたんですよ?」


「それにお前……ああいう誘い方はやめろよ。自分の下着見せるとか、どんな高等テクニックだよ」


「あ、あれはウチも計算外でした……あそこまで見せるつもりはなかったんですけど、結果的に見えちゃいましたね。まあサービスってことで」


「どんなサービスだよ」


 それをサービスと考えると、これくらいのカラオケ代なら安かったのか?


「暁斗さんは……黒の下着とか好きですか?」


「なんつーこと訊くんだよ……俺は白とかピンクとかの淡い色の方が好きだな」


「うーわっ、やっぱ素人童貞キモッ!」


「なんでだよ!」


 キモいらしい。


 まあ自分で言っててもキモかったが。


「でも本当に冗談にならないときもあるから、やめろよ。なにか起こったあとじゃ遅いんだぞ」


「冗談じゃなかったとしたら……一緒にいてくれましたか?」


「……」


「もしあのとき『それじゃあ行こうか』って言われたら、ウチ……イヤって言えなかったと思います」


「諭吉5でか?」



「……そんなんじゃないわよ、バカ……」



「なんだって?」


「なんでもないですぅー! ばーかばーか!」


 カラオケ屋の出口で、知奈美ちゃんは大声で俺を罵倒し始めた。


 こいつマジでなんなの?


 しばらくすると、奥から別の女性客が出てきた。


「あ、あれ? 暁斗先輩」


「菜々世? お前、なにしてんの?」


「何って……カラオケに来たんですよ。他になにするんです?」


「いやまあそうだけど……一人でか?」


「え? いや、あの……大悟先輩と二人ですけど……それより……」


 偶然に出くわした菜々世の視線が、俺と知奈美ちゃんの間を往復する。


 同時に知奈美ちゃんの視線が、俺と菜々世の間を往復していた。


「先輩、この子……この間の子とは違いますよね?」 


「え? ああ、違う子だな」


「……先輩、マジで何やってるんですか?」


 菜々世の目が細くなった。


 その様子をじっと見ていた知奈美ちゃんが、ニヤッと悪い笑顔を浮かべると……


「もう暁斗さん、行きましょうよ。やっぱり諭吉3でいいですよ。ホテル代別で」


 俺の腕を取って、妖しげにそう口にした。


「はぁ?! ちょ、ちょっと暁斗先輩! それマジでダメでしょ!」


「おい知奈美ちゃん、なに言ってんだよ! 行くわけないだろ!」


「えー、なんでですかー? さっきウチのパンツ見たくせに!」


「見てない! いや、見たけど!」


「暁斗先輩! それ犯罪ですよ! 未成年の高校生になにやってるんですか!」


「違いますぅー。ウチ、先月誕生日を迎えて18歳になったんで。だから淫行じゃないですぅー」


「淫行じゃなければ、売春じゃない!」


「お待たせ……って菜々世、どうした? あ、暁斗。お前なにやってんの?」


「大悟先輩! 大変ですよ! 暁斗先輩が犯罪行為に!」


「犯罪行為ってどういう……暁斗、その子が例の痴漢冤罪の女子高生の子か?」


「いや違うけど……もう勘弁してくれ……」


 カラオケ屋の出口でワーワーと騒いでいたら、店員が出てきて注意されてしまった。


 俺は菜々世と大悟に説明して誤解を解くのに、15分ほどの時間を要した。



 ◆◆◆



 カラオケ屋での一騒動のあと、俺はなんとか家に戻ってきた。


 幸いなことに、その日海奏ちゃんは夜のシフトではなかった。


 あのとき俺は知奈美ちゃんに、なかば強引にLimeを交換させられた。


「またご馳走して下さいねー」という貼り付けた笑顔とともに。




 数日後、定時に仕事を終えた俺は駅に向かって歩いていると……



「暁斗せんぱーい」



 後ろから大きな声をかけられる。


「菜々世。あんまり大きい声出すなよ。恥ずかしいだろ?」


「暁斗先輩、ちょっとプロンテ寄って行きましょうよ。いろいろ尋問したいことがあります」


「尋問って……まあいいけど。俺も訊きたいことあるし。30分だけな」


 俺は菜々世と二人でプロンテに入った。


 ハッピーアワーでビールとトルティアチップス。


 いつもの節約パターンだ。


「で、暁斗先輩。この間の女子高生、あれから本当になにもなかったんですか?」


「ないない。二人ともそのまま帰ったわ」


 俺は知奈美ちゃんを最寄り駅まで送ろうとしたが、「まだ明るいですし。それに駅まで親に車で迎えにきてもらいますから」と固辞された。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る