第025話


 そして翌日。


 俺は駅前のドラッグストアで、海奏ちゃんと待ち合わせをした。


 今日の海奏ちゃんは淡いピンクの半袖サマーセーターにデニムのスカートという、快活なスタイル。


 美少女は何を着ても似合う。


 俺たちはドラッグストアの中に入って、目的の商品の売り場へ向かった。


「えっと……この商品なんですけど」


 海奏ちゃんがそう言って教えてくれた商品は「デオドラントウォーター」というやつで、いわゆる制汗消臭効果があるものだった。


「友達とかも、これ使ってる子が多いんです。体育の授業の後や部活の後に使ったりとか」


 値段も1本700円ぐらい。


 これなら高校生も手軽に買えるだろう。


 全部で8種類の香りのラインナップで、それぞれのテスターも置いてあった。


 俺たちはそれを1本づつ吟味していく。


「私が前使ってたのが、このハーバルだったんですけど……シトラスかフローラルもいいかなって」


「どれどれ……うん、どっちもいい匂いだね。でも……俺はこのフローラルのちょっと甘い匂いが好きかも」


「そうですか?」


「うん。可愛い海奏ちゃんにぴったりだよ」


「もう……暁斗さん、平気でそういうこと言いますよね?」


 海奏ちゃんが、また照れている。


 俺は彼女のこの「照れ顔」を見るのがメッチャ好きだったりする。


 白飯3杯はいける。


「じゃあ私はフローラルにします。それで暁斗さんは、っと」


「うん。海奏ちゃん、選んでくれる?」


「えっと……『素人なんとか』の香りって、ないですよね」


「……もうそのネタ、やめて……」


 素人童貞の香りとか……売れるわけがないだろ。


 海奏ちゃんはケラケラ笑っている。


「ごめんない。でも実は……このフレーズ、今私のクラスで流行ってて」


「は? 『素人童貞』が?」


「はい。あの日私が友達に聞いたって話、したじゃないですか。そしたらその友達が面白がって、皆に話しちゃって」


「なにそれ……」


「実は暁斗さん、今私のクラスで話題の人なんですよ。『素人なんとかのお兄さん、元気?』とか、会ってみたいとか言われてます」


「もう……風評被害もいいところだよ。ちゃんと訂正しといてよ」


「ちょっと難しいかもです」


 そう言って海奏ちゃんは楽しそうに笑った。


 その笑顔は……いつも俺を幸せにしてくれる笑顔だ。


「アイドル推し」の人たちの心理が少し分かった気がする。


 この笑顔を見ているだけで、辛いことがあっても俺は頑張れる。


 結局海奏ちゃんは、俺にシトラスの香りを選んでくれた。


 会計を終えて、その場で俺に手渡してくれる。


「ありがとう、海奏ちゃん。毎日使わせてもらうよ」


「はい。でも気に入らなかったら、無理しないで下さいね」


「いや、無理させてもらうよ」


 辺りはもう薄暗くなってきている。


 俺は笑顔の海奏ちゃんと一緒に、彼女のマンションに向かって歩き始めた。



 

「俺もなにかお返ししたほうがいいよね? 何がいいかな?」


「お返しなんて……そもそも今日のこれが、私からのお返しなんですよ。そのお返しなんて、本末転倒です」


「そうは言ってもさ。あ、今度なにか一緒に食べに行こうか? ごちそうするよ」


「本当ですか? それは嬉しいです」


 食事に誘ってみたら、好感触だ。


 いやこれ、デートに誘ってるみたいだな。


「海奏ちゃん、何か食べたい物ある?」


「うーん……あ、ラーメンが食べたいです」


「え? ラーメン? そんなんでいいの?」


「はい。友達同士でたまにラーメン屋さんに行ったりするんですけど、やっぱり一人じゃ入りづらいじゃないですか」


「そうなの? じゃあ一緒に行こうか?」


「はいっ。実は行きたいラーメン屋さん、たくさんあるんですよ」


「えー、そうなんだね。俺もラーメン大好きだから、是非一緒に行こうよ」


「是非お願いします。でも……暁斗さん、お忙しいんじゃないですか? だって、来月税理士の試験があるじゃないですか」


 俺は8月に税理士試験を受けるということは、以前海奏ちゃんに話したことがあった。


「ああ、そうなんだけど……ラーメンを食べに行くぐらいの時間だったらあるからさ」


「本当ですか? でも無理しないでくださいね」


 いや、それは無理してでも行かせてもらうよ。


 俺のアイドルへの推し活イベントは、少しづつ広がってきているのを感じる。


「この時期、冷やし中華もいいよね?」「あ、それもいいですね」……そんな会話をしながら、俺たちは海奏ちゃんのアパートに向かって歩いていた。




 翌朝、俺は海奏ちゃんに買ってもらったコロンをつけて通勤した。


 駅のホームではいつものように、海奏ちゃんが「おはようございます」と輝く笑顔を向けてくれる。


 本当に朝から元気が出る。


「あ、早速使ってくれてますね。シトラスのいい匂いがします」


 俺たちが電車に乗り込むと、二人の距離は近くなる。


 その分海奏ちゃんは香りを感じることができたんだろう。


「うん、使ってるよ。爽やかないい香りだよね。海奏ちゃんも使ってるの?」


「はい、使ってますよ。匂いますか?」


「どれどれ……」


「ちょっ……暁斗さん、近いですっ」


「あ、ご、ごめん……」


 海奏ちゃんが胸で抱えていたカバンで、俺の顔を少し押し返す。

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