第011話

 だからあのレジの時、俺と指が触れるだけで、ビクッと驚いた表情を見せた。


 あそこのレジは現金で支払う場合、おつりはレシートと一緒にトレイの上に置いて客に返す。


 なので客との接触は起こらない。


 ただカードの場合はレシートと一緒に客へ手渡しする。


 あのときたまたま、俺の指と彼女の指が接触してしまった。


 でも、そんなことを言ってたら……


「海奏ちゃん」


「はい」


「ひょっとしてなんだけど……朝の通学ラッシュって、凄く辛かったりするんじゃない?」


 俺は山下町の交差点を過ぎた所で、それとなく訊いてみることにした。


 案の定、彼女の目が見開く。


 あ、これも可愛いけど。


「はい……実はそうなんです。朝のあの時間は、本当に緊張するんです。男の人が近くにいると、『こっちこないで!』って思っちゃって……痴漢にも注意しないといけないですし、毎朝学校に着く頃には、なんだかグッタリしてしまうんですね」


「やっぱりそうだったんだ」


 多分俺にはかなりの信頼を寄せてくれているけど、それでもこの距離感だ。


 知らない男の人なら、そりゃ辛いだろうな。


 俺はなんとかしてやりたいと思った。


 朝のラッシュさえ凌げれば、高校生なら夕方は問題ないはずだ。


 彼女のマンションが見えてきた。


 俺は……ない知恵を絞って、海奏ちゃんにこんなことを話していた。


「えっと、海奏ちゃん。もしもこうだったら、っていう仮定の話をするね」


「? はい」


「もし仮に……朝あの駅で、海奏ちゃんと同じ電車・同じ乗り場に、俺が『偶然』いたとしたら……気持ち悪いかな?」


「……はい、ちょっと気持ち悪いかもです」


「即答だった」


 アキトに100,000Pのダメージ。


「うん、わかった。この話、忘れて」


「え? すいません、どういう意味ですか?」


 どうやら俺の話が伝わっていないようだった。


「いや、もしだよ。もし俺が同じ電車に乗っていたら、海奏ちゃんを痴漢なんかに指一本触れさせないって、思っただけなんだ」


「あっ! そういう……でも、それはご迷惑では」


「だから。『偶然』俺がいたとしたら、っていう仮定の話だよ」


「暁斗さん……」


「もちろん俺だって寝坊するかもしれないし、朝の準備で送れるかもしれない。だからもし『偶然』いたとしたら、って話」


 俺は彼女に負担だと思ってほしくない。


 伝わっただろうか?


 彼女は少し泣きそうな表情をして……それから俺に顔をあげてこう言った。


「はいっ。もし暁斗さんが電車の中で隣にいてくれたら、とっても心強いです」


 彼女は最後に、今日一番の笑顔を俺に見せてくれた。


 よかった、俺は心から安堵した。



 正直に言おう。


 俺はこの天使のような可愛らしい女子高校生と、もっと仲良くなりたい、そしてデートしてあわよくば……という考えが少しはあったかもしれなかった。


 でも俺は今この瞬間、ただただ純粋に彼女のことを守りたいと思った。


 この素敵な笑顔を壊そうとする全ての害悪から、災いから、痴漢どもから、ストーカーから……彼女を守りたいって思ったんだ。



「うん、わかった。じゃあもし朝偶然に、会ったらね」


「はい……その時は、よろしくお願いします」


「それじゃあね」


「はい、おやすみなさい」


 そう言って彼女は、マンションの中へ入っていった。


 途中振り返って、俺にペコリと頭を下げる姿が可愛かった。


「さてと……明日からちょっと早起きになるな」


 俺は目覚ましを何分早くしなければならないか考えながら、家路を急いだ。


 

 ◆◆◆



 そして翌日。


 俺は少し早起きをして、いつもより1本早い電車に乗れるように駅に着く。


 そしていつもの乗り場へ行ってみると……いた!


「海奏ちゃん」


「あ、暁斗さん……おはようございます」


「ああ、おはよう」


 少し驚いた表情を見せた後、海奏ちゃんはきらめくような笑顔を俺に向けてくれた。


「昨日の今日で……なんだかすいません」


「だから言ったでしょ? これは偶然なんだって」


「暁斗さん……ありがとうございます」


 ちょっとバツが悪そうな表情をする海奏ちゃんの隣に、俺は並んだ。


「エビマヨ、昨夜1個食べました。美味しかったです」


「そう。よかった」


「残りは今日のお弁当にいただきますね」


「ああ。あんなんで良ければ、また持っていくよ」


「本当ですか? じゃあ私も何か作ってお返ししないといけないですね」


「いいよいいよ。海奏ちゃん、勉強大変だろうし」


「そんなこと言ったら、暁斗さんだってお仕事大変じゃないですか」


 俺たちがそんなことを話していると、電車がホームへ入ってきた。


 俺と海奏ちゃんは他の乗客と一緒に電車のドアから中に入ると、海奏ちゃんはドア横の手すりの位置に入り込んだ。


 俺はすばやく海奏ちゃんの前に回り込み、ポジションを確保する。


 そして俺と海奏ちゃんの前に、一定のスペースができるように立ち位置をとった。


 プシューッという音とともに、電車のドアが閉まる。


 そして電車はゆっくりと走り出した。


「海奏ちゃん、どこの駅で降りるんだっけ?」


「はい、xxx駅です」


 その駅は、俺が降りる駅の一つ前の駅だ。


 ちょうど都合がいい。

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