第9話
二丁目の片隅で青い鳥を見てから十年が経った。
青い鳥の伝説は本当だった。二人は夢をかなえ、生活はそれぞれ大きく、小さく変わった。
しかし、二丁目のファミレスの古くなったテーブルの上に、愚痴や悩みをぶちまける関係は変わっていない。
「なんか疲れた。もう辞めたい」
ミチコがテーブルに突っ伏す。
「そんなこと言って。今更引き返せないでしょ、大先生」
青い鳥を見た半年後、ミチコは意中のシナリオコンクールでグランプリを獲得した。
その後はネットドラマや映画、大きな舞台の脚本をいくつも書き続けている。
そんな状況が十年も続くとは、本人も周囲も誰も思っていなかった。
「うううううう・・・」
ミチコがうなった後、少し体を痙攣させ(実にリアルに痙攣するのは彼女の得意技だ)、がばりと半身を起こした。
両の眼の下にはどす黒いクマがしっかりと、もう何年も鎮座している。
童顔だったミチコだが、今は実際の年齢より五歳は老けてみえる。
「ちゃんと寝れてるの?」
「寝れてない。休みでも寝れない。書き続けてると、変に頭が冴えちゃって、オフにならない」
「医者にでも行ったら」
「うーん、考えてみる」
「大先生も大変だな」
「望んだことだから」
「そうだな・・・」
「でも・・・先頭に立ちたいって願ったけど、それがこんなにきついことだなんて、正直思わなかった。書けなくなるのが怖い。何も思い浮かばなくなるのが怖い。人気がなくなるのが怖い。堕ちるのが怖い。誰にもこの席を譲りたくない」
「大丈夫だよ。いつか、全部色褪せて見える」
「え?」
「執着してたもの、全部がくだらなく見えて、自然と手放すことができる」
俺はそれを【恋】でしか経験したことはないけど。
「そうかな・・・」
「そうだよ。たぶん、きっと、そんなもんなんだ・・・」
「ふふっ、変なの。今夜は詩人なのね」
ミチコが笑って、冷めた紅茶に口をつける。
「何かあった?」
「あったような、ないような・・・ミノルが浮気した」
「え? また?」
「そう、また」
俺はミチコを心配させないために、苦笑してみせる。そうしていると、ほんとになんでもないことのように思えた。
「もう別れたら?」
「いやだ、別れない」
「好きだから?」
「それだけじゃない」
「執着?」
「それもある。でも、違うんだ。なんかミノルとは日常になってて、居るのが当たり前で、いつしか浮気も当たり前になってて、全部いつの間にか流れていくんだ。許したって感覚はないんだけど、流れてしまっているんだよ」
「なにそれ」
「俺もわからない」
「昔は浮気一発アウトだったのにね」
「そうだったな」
「そんなに惚れちゃいましたか」
「そうなんだろうな、結局」
願い事の成果が最初に出たのはミチコではなく俺だった。
俺には、青い鳥を見て一か月もしない間に、ミノルという新しい恋人ができた。
名のある会社で働き高給取りだったミノルは、なぜか俺にひとめで惚れたという。見た目もよく、なんでももっているミノルに激しく求められたことで、俺は浮かれてしまった。
二人はその勢いのまま一緒に暮らすようになり、いまに至る。
十年の間にミノルは職を失い、俺は生活のためにいったんは辞めた店子に戻った。お金のためにミノルに内緒で体を売るようなこともしている。
エリートだったミノルはプライドが邪魔をして仕事が続かない。
最先端の技術が五年後には『化石』のようの扱われる時代で、過去の栄光や実績は何の役にも立たない。
常に生まれ変わり、時代の波に乗らなければやっていけないのに、ミノルはそれができなかった。
そんなミノルが理解できるし、ひどく愛しく感じるのだから仕方ない。
俺はミノルと本気で別れようと思ったことは、一度としてなかった。
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