終わりを結ぶ 〈ろ〉

 あの時、僕が骸井九と一緒にふざけ合った教室で渡したエノコログサは、実は対になっていたのである。

 あの桜の樹の下に〝埋まっていた〟エノコログサとの対。

 結界内にいた幽霊が持っていたエノコログサを僕が手に入れて、もう片方の樹の下に埋まっていた方を骸井九が持つ事で条件は整うのだ。

 正確には『両方のエノコログサを同じタイミングで踏む』事によって発動条件を満たす。


 しかし、骸井九は今白井有栖に支配されていて、故意にあの胸ポケットに入っているエノコログサを踏むことは出来ない。


 正直言ってそれは想定外だった。

 何故なら、大占術で見た情報だけでは『骸井九が白井有栖に支配されている』という情報を拾えなかったからだ。

 しかし、侮るなかれ。

 この嵯峨野花には〝骸井九に長いこと仕えてきた〟という大きなアドバンテージがあるのだ。だから、誰も知らない骸井情報を持っているのだよ……。

 言うなれば〝骸井九専用情報屋〟とでも言ってくれたまえ。

 骸井九の好物、骸井九の下着の色からほくろの位置、あれやこれやの性的嗜好までありとあらゆる情報が、このとんでもなく賢くて超弩級に可愛い僕の頭の中にある……って訳!

 だから、〝骸井九がまたたびに反応して足を一歩前に出す〟という癖を知っている。

 要は、その癖を利用して骸井九にエノコログサを踏ませるというわけですよ。

 そして勿論、骸井君にあげたエノコログサにも塗布済みである。

 ……あ、ここにもマッキーあった。


 それで、この行為自体に何の意味があるのか。


 端的に言うと〝内と外を繋げるため〟。

 というのも、この結界はご存知の通り内から外へと干渉する術はほとんどない。

 それでも、唯一あった手段は、骸井九が外に出ていってしまった時点で完全に無くなったと言って良い。

 ではどうすればいいのか。

 つまり、骸井九に仮想の紐を持ってもらって、それで外に出ていてもらう必要があった。

 そうすれば、紐が結界の存在を外に示し、多少の干渉でも効くようになるという仮説である。


 目には見えない運命の赤い糸……ではなく、僕と骸井九を繋ぐ危うい命綱。


 そもそも、骸井九が外に出る必要があったから、あの時白井有栖が連れて行ったとき、死ぬほど悔しかったけどでも、少し安心した気持ちも嘘ではない。

 計画した上でネックになっていた部分が、外的要因で解決したのは実力不足と言えないこともないけど……でも、僕が占った結果で立てた計画は、今のところ概ね順調に進んでいる。ふふん! 甘く見てもらっちゃあ困るなぁ。

 ……よし、こんぐらいあれば十分かな。

 ありとあらゆる大量のペンや絵の具を腕に抱えた嵯峨野は、落とさないようにゆっくりと階段を上がっていく。

 この結界の特異点はあの一本の桜の木にある。

 準備は済んである。

 後は外の〝二人〟にかかっているけど心配はしていない。

 後は頼んだ!


 ――――――………………


 神下冬太郎と骸井九、それと嵯峨野花がいなくなってからどれぐらい経っただろうか。

 なんて、ありきたりな言葉が脳裏に流れたけれど、そんなことなど妹に聞いたら一発で分かるので、こんなのは〝ただ格好つけて言ってみたかっただけ〟という年相応の性なのかもしれない。

 ……年相応なのかは一考の余地があるかもだけど。

 そんなことよりも。

 あたし達は、あの日、あの瞬間に、骸井と神下と嵯峨野がいなくなることを知っていた。

 つまり、結界の中に入れなかったのは偶然ではないということ。

 これもまた、嵯峨野花が計画したうちの〝想定内〟らしかった。

 あたし達に嵯峨野花が託したことは一つだけ。


 来たるべき日、白井有栖と骸井九が幽霊退治を完了し、後日片づけをし終わった後、骸井九が幽霊文字に能力を使おうとして前かがみになったのちに、君の能力を使って結界をぶち壊して欲しい。


「その為には、僕達がいなくなった瞬間から能力を常時発動し続けて、歩数を増やしながら能力の威力を出来るだけ上乗せし続けてほしい」

 嵯峨野花は真剣な表情であたしにそう言った。

 勿論、あたし一人だと能力を発動し続けるには精神力がすぐに底をついて能力が擦り切れる。

 だから、妹の能力で精神と体力を回復しながらいくらか過ごすことになる。

 それをいつまで継続しなければならないのかは分からない。

 ……正直に言ってしまうと怖かった。

 責任がある。

 妹が心配なのも、妹が心配してくれているのも分かる。

 それでもあたしはこの責任から逃げてはいけないのだと思う。

 だって、『神下冬太郎の行く末』を知っているから。

 覚悟と信仰を宿したあの表情を見て、あたしが何もせずにこの役割から降りることなどできなかった。

 そして、八月が終わりを迎える目前。

 あたしは観念をして、覚悟を決めて能力を発動することにしたのだった。


 ――――――………………


「お姉ちゃん……顔色悪いけど大丈夫?」

 妹が眉端を下げて心配そうに話しかけてきた。

 今日はあたしが能力を発動し始めてから〝三日ほど経った〟午後の夕暮れ。

 時間を見つけては朝に散歩したり、人の少ない夜には軽いジョギングをし始めた。

 慣れないことをしたのが祟ったのだろうか、顔に疲れが出てしまったらしい。

「ぜ、全然大丈夫! 能力を発動しながら生活するなんてしたことなかったから、ちょっと、慣れてないだけ! というか、あんたがいるから大丈夫でしょう! ほら、心配する暇があるなら能力使って回復させなさいよ!」

「……うん」

 妹は手の平を私のおでこに付けて、能力を発動した。

 憑きものが落ちたみたいに頭の中と心の具合がスッキリする。

「うん、ありがと! 元気出た!」

「……きつくなったらすぐに言ってね」

「……ははっ」

 その言葉に嘘でもいいから強気な返事をするべきだったと後から後悔した。

 でも、出来ないものは出来ない。嘘を付けない性格なもんでね!


 ――――――………………


 能力発動してから一か月。

 すっかり秋模様ヘと移り変わる世界の中で、あたしは息を吸って吐いた。

 身体も徐々に慣れてきて最早、能力発動の維持を気にせずともやれるぐらいまで、上手に扱えるようになった自分に驚いていた。

 それもこれも、常に一緒にいて、回復し続けてくれている妹のおかげだという事を日々強く感じる。

 でも、不安が完全に無くなったのかと言えばそれは違う。


 今一番不安なのは、〝この状況で能力を使わないといけないほど危険な状況になる〟ことだった。


 今は神下も骸井も居ない。頼れるのは妹のリタだけ。

「……あたし依存してたのかもな」

「え、依存?」

 家に帰ってから歩数を増やす為の日課ジョギングをしようと、玄関で靴ひもを結ぶときに漏れてしまった独り言を、どうやら聞かれてしまったらしい。

「あ、いや、何でもない」

「お姉ちゃんって私に依存してるんだ?」

 リタはからかう口調でニヤニヤしながら言ってくる。

「違う。〝能力に〟依存してたなって思っただけ」

 そう言うと、リタはつまんなそうに口を尖らせた。

「なーんだ。そういうことか」

「変なこと言ってないで行くよ」

「はーい」

 玄関を出て、自転車に跨る妹を横目に、グッと屈伸をしたり足首を回したりして軽い準備運動をする。

 後ろの髪を括りポニーテールにして、三本ラインの入ったランニングシューズのつま先を、地面にトントンとタップする。

「よし、じゃあ行きますか」

「お姉ちゃん」

「……なに?」

「頑張って」

 あたしは何も言わず、ただ前を向いて頷いた。

 夕陽が沈みゆくオレンジ色の町並みに向けて、あたし達は駆け出していくのだった。

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