将を射んと欲すればまず馬を射よとは言うけれど

こう

将を射んと欲すればまず馬を射よとは言うけれど

 わたくしは怒っていた。

 プンスコプンスコ怒っていた。


「リーンベトさんはヒューベルトに近すぎですわ!」

「そうだね」

「今日も休み時間の度にお傍に侍ってましたのよ! わたくしの婚約者ですのに!」

「それはよくないね」


 王立学園から伯爵家への帰り。上品というよりは重厚な馬車に乗りながら、私ははしたなく頬を膨らませた。不満を一生懸命表現していますのに、同乗している方の相槌は他人事のようです。

 わたくしはびしっと閉じた扇を付きつけました。


「わかってますの!? ヒューベルト!」

「わかってるよ。カテレイネが大好きな俺を見る為にわざわざ移動教室の度に遠回りしてること」

「そそそそそそそそそんなことしていませんわわわわわ!」


 確かにヒューベルトの教室は遠回りになりますが、それは運動の為であってヒューベルトを一目見る為じゃありませんわ!? 本当よ!!

 わたわたしていれば微笑ましそうに見つめられました。もう! わたくしは怒っていると言っているでしょう!? 誤魔化す気ですの!?


 わたくしは、婚約者のヒューベルトがリース・リーンベト男爵令嬢と距離が近いことを怒っている。


 わたくしとヒューベルトはクラスが違うので、休み時間にこっそり見に行くことしか出来ない。他クラスには入りにくいのです。

 残念なことにこの三年間、ヒューベルトと同じクラスになったことがない。だからわたくしがヒューベルトを視認出来るのは移動教室、合同授業、昼食の時くらい。あとは騎士団に足繁く通うようになり、騎士団に用事のあるわたくしと同じ馬車で下校する時くらいです。

 婚約者のわたくしが切なく時間と相談しているというのに、クラスメイトでもない女生徒が婚約者周辺で目に入るようになってしまった。クラスメイトでもない癖に! 同じ学年ですらないのですけれどどういう事ですの!?


 それがリース・リーンベト男爵令嬢。

 桃色の髪と若葉色の丸い目をした、小リスのように愛らしい少女。新入生の十五歳。


 令嬢と呼ぶよりも、少女と呼称したほうがしっくりくるわ。それだけ幼気で可憐な方。一目で分かりましたわ。男性に好かれる女性です。

 …それに比べてわたくしは、背が高くて目が吊り上がっていて無表情だと怒っているように見えるって怖がられます。色味の強い金髪、きりっと上がった眉に、これまた色味の強い赤い目の印象が強すぎるのでしょうね。ええ、強すぎるんです。第一印象が。知ってますもん。くすん。

 うう…どうせ殿方は守りたくなるような令嬢がお好みなんでしょう? 特に騎士はそうです。守りたい願望の強い方々が多いですもの。父がそうですからわかります。亡くなった母は、小柄で儚げ、子ウサギのように可憐な乙女でした。どうしてわたくしは母に似なかったのか。騎士団長を務めるお父様の強さを受け継いでしまいましたわ。女の子は父親に似るものなのです。

 どうせどうせ、私は守られるというよりは私から相手を守りたくなるような悪役臭の強いご令嬢です。乗馬服で鞭が似合うってなんですの失礼ですわ。

 どうせヒューベルトもそうなんだわ…婚約者のわたくしより、リーンベト男爵令嬢の方が好みなのよ。だからいつも優しく対応しているのだわ。わたくしには見せない満面の笑みで対応しているのだもの。きっとそうだわ。

 なんだか悲しくなってきて、ヒューベルトに突きつけていた扇をそろそろ下して広げ、何事もなかったかのように口元を隠す。ちら、と正面に座るヒューベルトをこっそり窺った。

 ヒューベルトはわたくしを微笑ましそうに見詰めている。

 その子供を見守るような視線はおやめになって! わたくし子供ではなくてよ!


 彼はヒューベルト・ヘンキュニュス。ヘンキュニス伯爵家の次男。

 ヒューベルトは数年前から騎士団に所属している騎士見習いだ。学園卒業後に騎士団の入団試験をクリアすれば正式に騎士団に登録される。今は騎士見習いとして訓練に参加し、心身共に鍛えている最中。

 身体を動かすのに邪魔だと短く揃えた深緑の髪。生命力に溢れた若葉色の瞳。鍛えられている途中の身体はしなやかで、日増し逞しく成長する彼に令嬢達の視線が集まっているのをわたくしは知っている。彼といるとわたくしに嫉妬の視線が向けられますからね!

 ちなみに私の名はカテレイネ・クラジーナ。クラジーナ子爵令嬢。強そうなのは見た目だけで、身分的にはわたくしの方が下ですわ。

 そんなわたくしが彼の婚約者になったのは、彼がわたくしのお父様に憧れているから。


 わたくしのお父様、ガストン・クラジーナ子爵はこの国の騎士団長。


 お父様は熊のような大男で、両手剣を片手で振り回す豪腕の騎士。無敗の騎士として各国で有名で、獅子奮迅の戦い振りに憧れる男子は多く、父の武勇伝を聞いて騎士を目指す男子の多いこと。嘘のように本当な武勇伝が沢山ありますの。絵本にもなっているのよ。

 そんな父は若くして亡くなった妻の絵姿が入ったペンダントを肌身離さず持ち歩くという愛妻家としても知られており、父に憧れる騎士達は浮気をしないともっぱらの評判だ。それが本当なのか、わたくしはちょっと疑っているけれど。

 そんな父に憧れて騎士を目指したヒューベルト。彼は父に憧れるがあまり、その娘であるわたくしに求婚してきた変わり者。お父様の義理の息子になりたいって言いながら求婚してきましたもの。変わり者ですわ。

 …そんな変わり者と婚約したわたくしも変わり者ですわね。でも仕方がないじゃない。好きなんですもの。

 ヒューベルトにとってわたくしはお父様と自分を繋ぐパイプでしかないけれど、わたくしにとってヒューベルトとの結婚は、初恋の成就とかわりないんですもの。

 うう、成就とは言いがたいですわ。でもこの初恋が邪魔をして拒否出来ませんでしたの。

 だってだって、父親に似て目付きが鋭くて怖い顔って言われるわたくしを、可愛いねって言ってくれたのはヒューベルトだけだったんだもの。褒められることに飢えていた幼い乙女はそれだけで恋に落ちますわ!


 そんな経緯でした婚約なので、ヒューベルトがお父様より優先出来る者と出会ってしまえばこの婚約は破棄されてしまう。

 わたくしはぷんすこ怒っていますけど、本当はいつさよならを言われるかと戦々恐々してますのよ。


 広げた扇の奥でぎゅっと唇を噛み締めて、ヒューベルトから視線を外す。

 ヒューベルトは微笑みを変えることなく、小さく肩をすくめて見せた。


「愛しい婚約者殿。君は勘違いをしている」

「…どこがですの」

「リーンベト嬢が狙っているのは俺ではないよ」

「えっ」


 ぐるっと視線を戻せばヒューベルトが満足そうに笑う。ちょっと待て下さいませ、衝撃の一言でした。


「で、では誰を? わたくしは彼女がヒューベルトに侍っている所しか見たことがありませんわ」

「彼女はしつこく俺にファビアンの好みを聞いてきているだけだ」

「ファビアンお兄様の!?」


 ファビアン・クラジーナ子爵子息。騎士団所属。

 母親似の桜色の髪。短く柔らかい髪はふわふわしていて、まるで花弁のよう。わたくしと同じ赤い目なのに茜色のような温かみがあり、男性としては小柄な優男と称されても仕方のない体躯のお兄様。お父様と親子だと知られると三度見されるお兄様。

 二十五歳のお兄様は学園を卒業後、無事騎士団に入団。役職持ちではないけれど、順調に実績を積んでこつこつ評価を上げているそうです。団長の息子だからと贔屓はなしです。毎日筋肉を虐められています。

 そんなお兄様の好みを、ヒューベルトに聞く?

 妹のわたくしを差し置いて!?


「信じられませんわ!!!!!」

「俺も聞かれた時は信じられなかった」

「お兄様を出しにヒューベルトと会話しようとしているのではなくて!?」

「本当にファビアンの事しか聞かれないよ。今度クラスの奴に確認してくれてもいい。あのご令嬢はカテレイネの婚約者で騎士見習いの俺に聞けばファビアンの情報が知れると思っている」

「接点はありますけど何故わたくしを通しませんの! わたくし! 妹でしてよ!」


 純粋に寂しいですわ! 何故無視しますの!


「ああ、そういえばカテレイネのことも聞かれたよ」

「そらみたことかヒューベルトを通して婚約者を探っているのですわ!」

「好きな食べ物や好きな教科、好きな色に好きな花、好きな武器を聞かれた」

「最後おかしくなくて?」

「ちゃんとライフルと答えておいたよ」

「間違いではありませんがおかしくなくて!?」


 確かにわたくし、遠距離タイプですけれど! 三㎞以内でしたら対応可能でしてよ!


「愛しい婚約者の話でついつい盛り上がってしまったことは確かだが、彼女とは何の関係もない。多分趣味は似ているけど俺は同担拒否だから仲良くはなれないな」

「仲良く語り合っていたではありませんか!」


 わたくしちゃんと見ましたわ! 満面の笑みでしてよ!


 ぷんすこするわたくしを宥めるように、ヒューベルトが正面から隣に座る。走行中に席を立つのは危なくてよ! 予想外に近くてびっくりしたわけじゃなくてよ! なくてよ!


「推しの話が出来るのは貴重だからね。語るのは良いけれど手を取り合えと言われたら拒否する」

「ちょと何のお話になっているのか分かりかねますわ」


 なんだか違う話をしていませんか? わたくしの気の所為?


 隣に座ったヒューベルトの距離がやけに近い。くるくると彼の指にわたくしの髪が絡め取られている。絡めては解いて、絡めては解いて。翻弄されている自分を見ているようで、つんと視線をそらした。首を逸らして露わになった耳元に、彼の唇が寄せられる。


「カテレイネ、心配しないで。俺が愛しているのは君だけだし、君以外と結婚する気はないし、楽しく語っていたのは君のことだから」


 ぴぎゃっヒューベルトの吐息が…!

 ま、負けませんわ…! 大体わたくしのことで楽しく語らうって何ですの!? 何のネタがあるというのです。そんなものないでしょうに。


 耳を真っ赤に染めながらつんっとそっぽを向くわたくしの髪をいつまでも弄るヒューベルト。そっぽを向いていたわたくしは、ヒューベルトがわたくしの髪に口づけたこと、全く気付いていませんでした。


 それはそうと。


「リーンベト嬢、お時間よろしくて」

「ぶひっ」


 じっとしているわたくしでなくてよ!

 ヒューベルトはクラスメイトに確かめれば良いと言いましたけれど、直接本人に確認した方が確実ですわ!

 そう思って次の日には一年生の教室に乗り込んでいました。声を掛けられたリーンベト嬢。リース・リーンベト男爵令嬢は驚いた豚のような声を出し…なんて声を出していますの?

 ちゃんと休み時間、それも長めのお昼時間に声を掛けましたのよ。移動教室なら遅刻の不安もあるでしょうから一年生の時刻表を確認して、お昼を食べ終わった頃を見計らって声を掛けました。ヒューベルトの教室に向かおうとしている所を捕獲したとも言います。


 わたくしはリーンベト嬢をそのまま空き教室へと誘いました。

 わたくしと二人きりでは怖がらせるかもしれないので、ちゃんと教室の扉は開けておきます。楽しい話ではないので、簡単に声が拾えないよう窓際へ移動しましたわ。リーンベト嬢は震えながら着いてきます。小柄な愛らしい令嬢が震えながら着いてくる様子は、余所から見れば…わたくしが虐めているみたいですわ。

 ふん、別によくてよ。場合によっては虐めになるかもしれませんし。気弱な子ならわたくしの顔が怖くて追い詰められるかもしれませんもの…って、気弱な子なら婚約者のいるヒューベルトに近付きませんわ! 騙される所でした!


「あなた、わたくしが何故声を掛けたのか分かって…」


 手早く用事を済ませようと、わたくしは着いてきているリーンベト嬢を振り返り。


 とても綺麗な土下座を見ました。

 とても綺麗な土下座をなさっていました。


 …何してますの?

 何してますの!?


 突然の土下座。スカートの令嬢が躊躇うことなく地面に這いつくばって土下座。脈絡のない土下座にさすがのわたくしも言葉が出ません。そんな私を置き去りに、リーンベト嬢は大きな声で嘆願してきました。


「娘さん! お父さんを私に下さい!」


 …何を言っていますの?

 カテレイネ、本気の困惑ですわ。


「第一印象から決めてました! 結婚を前提に交際を許可してください!」


 だから何を言っていますの?

 お父様が、なんて?


「あ、あなた…自分が何を言っているのか分かっていて? 頭を打ちましたの?」

「分かっています。ふざけていません。ちょっと気持ちが高ぶって言いたいことを言ってしまいました。麗しのカテレイネ様に声を掛けられたと思えばもうだめ。正気が保てない。なんて素敵な鋭い鷹の目。スコープの向こう側から見つめ合いたい」

「自分が何を言っているのか分かっていて?」


 支離滅裂なことを口にしていると分かっていて? わかっていて?


「本気です。初めて騎士団長…ガストン様を目にした時から…あの太くて逞しい丸太のような腕、熊のように屈強な身体、厳めしくも清廉としたお顔、全てを損なうことなくむしろ引き立てるように存在する傷跡全てが頭から離れません。騎士団のパレード。あの真っ赤な鷹の目に射貫かれた日から私の心臓は不整脈を繰り返し度々気絶してしまいます」

「それは恐怖心ではなくて?」


 父は顔が怖いので、目が合っただけで女子供が恐怖から気絶することがある。夢に見るほど怖いと言われた事もある。娘としてはそこまでかしらと思うのだけれど、そこまでらしい。


「いいえ! これは! 恋であり愛です!」


 がばっと顔を上げたリーンベト嬢。土下座で額を打ち付けたのか赤くなっている。

 普段は愛らしい丸い緑色の目が爛々と輝いていて怖い。


「あの方の腕に抱かれてお花畑を歩いてみたいと思います!」


 森の熊さんと幼女みたいな図ですわね。


「是非あの方のお子を生みたいとも思います! 理想は一姫二太郎!」


 いきなり生々しくてよ! しかも二子生む気ですわ!

 というか!


「お父様が貴方のような小娘を相手にするはずがありませんわ! 諦めなさい!」


 お父様は亡きお母様一筋なのよ! 一昨日来やがれですわ!

 此処は娘のわたくしがガツンと言わなくては、とガツンと言ったつもりでしたが、リーンベト嬢は曇りなき眼で真っ直ぐ言い放ちます。


「一度や二度の挫折では、諦められないのが恋です」

「気持ちは分かりますが! 家庭を持つ相手にやめなさい…!」

「諦めません勝つまでは!」

「諦めも肝心でしてよ!」


 なんてご令嬢でしょう。ヒューベルトかファビアンお兄様狙いかと思えば、まさかのお父様狙い!

 確かにお父様の妻の座は長らく空いていますが、その席は亡きお母様のもの。死に別れて尚母を愛している父に、こんなよく分からない令嬢を近付かせるわけにはいきませんわ。わたくしはキッとリーンベト嬢を睨み付けます。睨み付けましたら、頬を染めて口元を押さえて涙目で見上げられました。なんですの。


「なんて鋭い鷹の目…! まるでガストン様に睨まれているかのようです! ありがとうございます!」

「あなたなんですの!?」

「将来はファビアン様とカテレイネ様のよき母となる為により精進致します!」

「まさか貴方お兄様とわたくしの嗜好を探っていたのはその為ですの!?」

「仲良くなるには相手をよく知るのが近道…!」

「迷走していますわ!」


 まさかそこまで考えるほど父と懇意になっていたりします!? なっていたりしますの!? どうなんですお父様!!


 わたくしが目を回し始めた時、敢えて開けていた扉とは別の閉まっていた方の扉がガラッと開きました。


「俺の愛しいカテレイネを困らせているのは君か」

「ヒューベルト!?」

「同志!」


 同志ってなんですの!? 同志ですの!?

 …同志ですわね! お父様大好き同士の同志ですわね!!


「俺は同担拒否と言っただろ。諦めてその辺の若い男で妥協しろ」

「何を言うのですか同志ヘンキュニュス様。男は五十を過ぎてからです。貴方を含めこのあたりの男はまだ殻を被った雛。そんな雛を選べと? 雛を? 恥を知りなさい」

「五十を過ぎた男から見れば君こそ殻を被った雛だよ。恥を知りなさい」

「正論!」

「推すのはいいけど押しかけるのは迷惑だからやめるよう言っただろう。エロ親父ならともかく騎士団長が娘より若い子に想いを告げられても困るだけだよ」

「若さなら…若さなら負けないのに…!」

「お前の若さは過ちにしかならない」

「せめてあと十年…早く生まれていれば…!」


 ぽんぽん会話をしながら、ヒューベルトはわたくしの肩を抱いて教室を出る。地面に蹲って拳を叩き付けるリーンベト嬢だけが残された。結局なんだったんですのあの子。


「言っただろう、彼女とはクラジーナの話しかしないって」

「言っていませんわ…!」


 確かにファビアンお兄様とわたくしの話をするとは言いましたけれどクラジーナ家全体とは一言も言っていなくてよ!


 ヒューベルトの誘導で別の空き教室へ誘われました。ヒューベルトはしっかり教室の扉を閉めて、鍵も閉めます。そこまでする必要ないのでは?

 と思っていたら適当な机に腰掛けて、わたくしを膝に乗せました。鍵を閉める必要ありましたわ! 誰かに見られたら恥ずかしい体勢じゃないの! しかも正面から向かい合う形で乗せられましたわ!! わたくしが跨ぐ形! 何故!? はしたなくてよ!?


「彼女はクラジーナ家が…騎士団長が大好きでね。家族になりたいと本気で思っている。俺がカテレイネと婚約関係にあると知って、将来の義息に挨拶に来たんだ」

「何一つ分かりませんわ。ところで座り方間違ってません?」

「俺も驚いた。目に曇りが一切なくて」

「恐怖体験ではなくて…? あの、座り方」

「同志と判定されるくらい騎士団長の話をしたのは失敗だった」

「やっぱり同志なのですね…!?」


 まさかヒューベルトもお父様と結婚したいくらいお父様がお好き…!? 同性婚が認められていないから娘のわたくしで妥協を…!?


「いいや、同志じゃない。俺は推しには健やかであって欲しいだけで、自分の物にしようだなんて烏滸がましい事は考えたこともない」

「…お、お父様と家族になりたいからわたくしと婚約したくせに白々しい…」


 家族としてのポジションが違うだけで、やっていることはリーンベト嬢と変わりないのかもしれませんわ、わたくしの婚約者。

 そう考えると寒々しく感じるのは何故でしょう。


 ヒューベルトは困ったように髪を掻き上げて、視線を遠くへ飛ばした。


「…それは、恥ずかしがった俺の失敗だ」

「失敗…」


 婚約を申し込んだこと、失敗だと思っているの…?


 しょんぼりが顔に出たのか、ヒューベルトがわたくしの両肩に手を置いた。剣を握る手の平はたこができてでこぼこしている。


「カテレイネ。俺が騎士団長のファンであることは偽りない事実だけど、君に婚約を申し込んだのは騎士団長が理由じゃない」

「信じられませんわ…」

「全く関係がないと言えば嘘になるけど…俺が君を気にするようになったのは確かに、騎士団長の娘だからだ。でも君を目で追うようになったのは、君がしっかり者のようでうっかり者な可愛い子だったからだ。軽度のツンデレ娘が可愛すぎた」

「信じられ、なんて?」

「君はいつも強気でハキハキしていて強そうなのに、他人への気配りが細やかでとても純粋だ。いつからか騎士団長よりも、騎士団長の周りで父親の為にと手伝う君を目で追うことに必死になっていた」

「え、え、え」

「だから君に婚約を申し込んで…照れてしまって、推しの話をしてしまったのは俺の失敗だよ。それでも君は受けてくれた…俺がその夜、情けないのに嬉しくて眠れなかったこと、君は知らないだろうね」


 ええ知りませんでしたわ。照れると推しの話をしてしまいますの? そしてそろそろ推しとは何か伺ってもよろしいかしら!?


「情けない俺の婚約を受けるくらい、君は俺が大好きだろう?」

「しっ!? 知りませんわ!!」


 何を今更! 何を今更!

 何を今更当然のことを!!


 わたくしはつんとそっぽを向いて視線を逸らす。両肩を押さえられているので身体の向きは変えられない。顔だけ横を向きながら、クスリと笑うヒューベルトの口元が横目で見えた。何を笑っていますの!


「カテレイネ、こっちを見て」

「うぐぐぐぐ…っ」

「普段の君はいつだって真っ直ぐ俺を見てくれるじゃないか」

「わっ、わたくしと目を合わせても楽しくないでしょう!」

「君が自分の目付きを気にしていることは知っているけど、気にするほどじゃない。それに君の目元は照れると真っ赤になって、とても愛らしくなる」

「しししし知りませんわそんなこと!」

「教えてあげる。此処が赤くなるんだ」

「きょえっ」


 両肩に置かれた手に引き寄せられて、一気に距離が縮まった。

 目元に柔らかな感触。一度だけではなく何度でも、小鳥のように落とされる口づけに耳が熱くなる。ヒューベルトの手が移動して熱を持った耳に触れた。それだけのことなのに身体が大げさに跳ねてしまう。お、驚いただけでしてよ! 急に触れたりするから驚いただけでしてよ!

 ええい思い通りになってたまるものかとぷるぷる震えながら横を向き続けるわたくし。懲りず目元に口づけを落としたり耳を弄ったりしながら、ヒューベルトがクスクス笑う。


「目を合わせまいと強情な君が可愛いよ。そんな可愛い君が、大好きだ」


 ぴぎーっ!!


「カテレイネ?」

「はっ!」


 自宅の談話室。晩餐後の兄との団欒。

 騎士団長のお父様はいつも帰りが遅いので、晩餐はお兄様と二人で取ります。代わりに朝食は家族三人で取りますわ。本日もお父様はお忙しいので晩餐には間に合いませんでした。


 夕飯に出た林檎と豚肉のポットローストが美味しかったとお兄様とお話ししていただけなのに、豚から今日のお昼休みの出来事を連想してしまいましたわ。お兄様の前なのにはしたない!! ちなみにあの後は腰が抜ける前に気合いでヒューベルトの膝から抜け出しましたわよ! 午後の授業がありますもの!!


「疲れているのかい? お前はいつものめり込みすぎてしまうから心配だね」

「お気になさらないで。お兄様こそお疲れなのでは? 顔色が悪うございます」


 わたくしはむしろ血色が良いくらいですがお兄様は些か青ざめてやつれているように見えますわ。

 お兄様のふわふわした桜色が、心なしかしおれているように見えます。


「ああ…何というか、強烈なご令嬢がいてね」


 嫌な予感を察知。


「騎士団の訓練所の一部が一般公開されているのは知っているだろう? 遠目にだが、騎士達の姿が覗けるようになっている」

「え、ええ知っていますわ。侵入禁止の柵がありますけれど、わたくしも行ったことがありますし」


 差し入れを持って行ったことも数多くありますわ。お父様とかお兄様とかヒューベルトとかに。


「最近そこに現れるご令嬢が差し入れをくれるのだが…いつもメモが入っていてね」

「…愛のメッセージという奴ですの?」

「いやあれは…愛…愛かな…?」

「…わたくしが聞いてもいい内容ですの?」


 ちょっと怖い話みたいになってません? わたくしが聞いても大丈夫なものです?


「【ファビアン様が好きだと聞いたのでスパイスクッキーを焼きました。是非騎士団長様とお召し上がり下さい。未来の継母より】」


 やっぱり怖い話ではなくて!?


「妹より年下の令嬢が…満面の笑みで…どこからか得た情報を駆使して…何かと私の好物を差し入れしてくるが全部父上と一緒にどうぞ、継母よりというメッセージ付きなんだ…」


 情報源はヒューベルトですわ。


 といいますかそれ、絶対リース・リーンベト嬢でしょう!? 彼女以外にそんな令嬢がいたら恐怖で泣きますわよ!!

 心当たりがあるとわたくしが告げてお互い特徴を照らし合わせましたけど、やっぱりそうでしたわ。リース・リーンベト嬢、なんて恐ろしい子…。


 お兄様は連日の継母アプローチにすっかりやつれておしまいだわ。好物なのに素直に受け取れないご様子。ソファに深く腰掛けて、組んだ両手を口元に当てながら俯いている。


「あの子は本気で俺たちの母親になる気だ…」

「何それ怖い…」

「ちなみに父上に認識すらされて居ない」

「それなのにあの行動…怖い…」


 騎士団長、意外と訓練所に姿を現しませんの。現わしても訓練をしているわけですので、差し入れを渡す余裕もないですわ。お忙しいのです。

 成る程まだお父様と交流は無い…無いなら、ご家族に交際の許可をもらうとかそんな段階じゃないわ…。


「母上一筋の父上が誘惑に屈することは無いと思うが、あの勢いだ。娘より若い小娘…子供と侮って父上も油断するかもしれない。うっかり既成事実なんて作られては敵わない。あの子の動向は気を付けるんだよ」

「なんて行動力のある娘なのでしょう…肝に銘じておきますわ」


 ヒューベルトの行動ですっかり茹だっていた頭ですが、リーンベト嬢を考えればあっという間に現実と向き合うことになりましたわ。

 まあ残り少ない学園生活。この一年を乗り切れば接点などほぼなくなりますし、あの娘も諦めることでしょう。

 年上趣味なのは個人の自由ですけれど、出来れば結婚していない、独身男性に目を向けて欲しい所ですわ。それが出来ないのがままならない恋というものではありますが…。

 ありますが…お父様がわたくしより年下の令嬢と結ばれるのは…ちょっと…娘として…。

 …やっぱり諦めて下さいな。そもそもお父様と面識がないのにあの行動怖すぎてよ。恋って怖い。


 恋…。


 …ヒューベルトがわたくしを好き、大好きだって言ってくれたのよね…。愛しの婚約者って言われるより響きましたわ…。ずっと横を向いていたらか顔の半分をちゅっちゅされて自分の顔なのに半分だけ温度が違う気がしますわ…。思い返せばわたくしたち学園の教室で何とふしだらな事をしてしまったのかしら…。

 あ、明日からどうヒューベルトと顔を合わせれば良いかしら。馬車の中密室で二人きりとか実ははしたなかったのではなくて…? はしたないこと…はしたないことをしてしま…それってどんな…いけませんわ! そ、卒業まではいけませんわ!

 あああああわたくしがはしたないわ―――!!


 ちなみにわたくしの百面相は、対面しているお兄様にしっかり観察されていた。


「…通じ合っている恋は応援出来るんだけどね…」


 まさかの、年若い令嬢が父への恋慕。

 若い令嬢の恋を邪魔するような真似、本来ならば罪悪感があるのだが。

 不思議と防衛本能が刺激され、妨害せねばと思ってしまうファビアンだった。


 申し訳ないが、クラジーナ兄妹はリーンベト嬢の恋を応援出来そうにない。












 数日後。


「新しい使用人を紹介致します」

「ご機嫌ようクラジーナ家の皆様! 末永くよろしくお願い致します!」

「「帰って!!」」


 向上心溢れる使用人は大歓迎ですが、野心溢れる妻の座狙いの使用人はいりません!!


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