ドラゴン退治
sousou
第1話
マヌエルたちが王から依頼された仕事は、まったくもって前時代的な仕事だった。すなわち、交易都市ファーゼの周辺に出没するドラゴンを、退治してほしいとの依頼だった。
ファーゼに危険が及ぶということは、商人がファーゼに寄りつかなくなることを意味していた。結果的に、王国の主要な収入源である、ファーゼからの税収が減ることになるため、王は困っていた。騎士仲間のジョージはこの依頼について、「まるでおとぎ話だ」と表現した。
「というのも、ドラゴンの首を持ってきた騎士には褒美として、王女さまとの結婚を認めるらしい。な、典型的なおとぎ話の展開だろう?」
「どの姫さまだ?」
とウィリアムが尋ねた。マヌエルも気になったので、ジョージの顔を見やった。
「おれが聞いた限りでは、好きな姫さまとの結婚だと」
「よし、ウルスラ姫さまだ」
と言ってウィリアムが身支度をはじめた。ウルスラ姫は、国でいちばんの美女と評判の姫だった。そのため王に仕えるほとんどの騎士が、姫の虜になっていた。すっかりやる気になっているウィリアムを見て、ジョージが呆れたように言った。
「ウィリアム。ドラゴンは百年以上前に絶滅している」
「知っているよ。ドラゴンであろうとなかろうと、ようはファーゼに居座っている怪物を退治すればいいんだろ?」
「まあ、そういうことだ」
「おれも行く」
と言って、マヌエルも旅支度をはじめた。ジョージがやれやれ、と首を横に振った。
「おれはドラゴンの首には興味ないよ。でも、困っている人たちを放っておくのは騎士道精神に反するからね」
「じゃあ、首は早いもの勝ちだぞ。マヌエル」
マヌエルは頷き、外套を首に巻いた。
そういうわけで三人の騎士は、都から七日七晩馬を進めて、ファーゼにやってきた。王の依頼を聞きつけた他の騎士たちも町に滞在しているらしく、どの宿も満室で宿さがしに苦労した。六軒目でようやく、一部屋あきがある宿を見つけた。しかし空いていたのが狭苦しい屋根裏部屋で、天井が低いために、部屋の中心以外は頭を下げて歩かなければならなかった。そのことでウィリアムがぶつくさ文句を言っていたが、ジョージが「野宿よりはましだろう」とたしなめた。
腹をすかせていた三人は、宿の一階にある酒場にやってきた。「ファーゼは魚料理がうまいんだ」とジョージがうんちくを垂れたが、マヌエルとウィリアムは問答無用で肉料理を三皿注文した。それから麦酒、麦酒、麦酒、麦酒……。よりいっそう陽気になったウィリアムが、ドラゴンの情報収集のために他の席に行った。彼が粗相をしないよう見張るために、ジョージもついていった。マヌエルは一人飲みしている壮年の男に目を留めると、向かいの席に座った。それから、ドラゴンについて知りたいのだが、と言った。
「バックギャモンのルールは知っているか」
と男が尋ねた。知っている、とマヌエルが応えると、男は給仕の娘に、バックギャモンの道具一式を持ってこさせた。娘はマヌエルを哀れみの目で見た。
「運が悪いですねえ、騎士さま。ティム爺さんはテーブルゲームで負けなしなんですよ」
それを聞いて、マヌエルの負けん気根性に火がともった。
「おれも馬上槍試合で負けなしだ」
一時間後、マヌエルはティム爺さんにコテンパンに負け、爺さんの酒代を負担することになった。「何を遊んでいるんだ」と言って、ジョージとウィリアムが戻ってきた。マヌエルはむっとして、駒を片付けながら尋ねた。
「貴殿たちこそ、収穫はあったのか?」
ジョージが頷いた。
「ドラゴンは月明かりのない夜に現れるらしい。もうすぐ新月だから、ここ数日は月が早く沈む。明日は手始めに、ドラゴンがよく見えるという丘で待機してみよう」
マヌエルはティム爺さんを見やった。
「貴殿はドラゴンについて話す気はないのか」
「わしに何かを尋ねたいなら、ゲームに勝ってから尋ねるんだな」
「強情な。そうやって旅人から金を巻き上げ、ただ酒を飲もうという魂胆なんだろう」
爺さんはにやりとした。
「マヌエル卿。あんたはなかなか見込みがあるよ。もういちど勝負しようじゃないか」
「望むところだ」
とマヌエルは意気込んだが、「部屋に戻るぞ」とジョージが押しとどめた。
「明日に備えて旅の疲れを取らないと」
そうして三人は、酔いが回っていたこともあり、部屋の天井に何度も頭をぶつけながら、それぞれ横になって就寝した。夜が明けると、ドラゴンの目撃情報が最も多い、ファーゼ近郊の丘の上にやってきた。万が一の場合に備えて、マヌエルが剣の刃を研いでいると、「その音、やめてくれないか」とウィリアムが言った。
「頭に響くんだよ……」
ウィリアムは二日酔いらしかった。マヌエルは「自業自得だろ」と言って、剣身を鏡面のようにぴかぴかに磨きあげた。しかし、切れ味をよくしたからといって、ドラゴンの身体に傷をつけられるかは分からなかった。ドラゴンは百年以上前から目撃されていない。だから、ドラゴンとの戦闘経験がある者は、彼らの周りには一人もいなかった。
やがて西の空に細い月が輝きだし、すぐに沈んでいった。星々が輝きだし、空気が冷えてきた。三人はかがり火を焚かずに、毛布にくるまり温まっていた。ウィリアムが寝息を立てるなか、森に目を凝らしていたジョージが「見ろ!」と小声で叫んだ。マヌエルはウィリアムを叩き起こした。
一行が待機する丘とは別の丘で、何かの動く気配がした。と思うと、ぱっと翼を広げ、それが上空に飛翔した。鳥にしてはあまりにも大きかった。翼が風を切る音が、だんだんと近づいてきた。
「こっちに来るぞ!」
騎士たちはいっせいに剣を抜いた。一呼吸おいて、彼らの上を、立っていられないほどの風圧とともに、巨体が通り過ぎていった。星明りにきらきらと鱗が光り、夜空を背景に、怪物のシルエットが浮かび上がった。ウィリアムがそれに剣先を向け、子供のように興奮した様子で叫んだ。
「見ろよ、ドラゴンだ! どう見てもドラゴンだろ!」
「信じられないな」
と言いつつ、ジョージも怪物がドラゴンであることを認めたようだった。マヌエルはドラゴンを睨みながら、剣を一振り、二振り、素振りした。しかし、ドラゴンは彼らには目もくれずに、天高く飛びつづけ、やがて見えなくなってしまった。
騎士たちはドラゴンが降りてくるのを待ちながら、作戦会議をした。
「首をとるには、ドラゴンを地上に降ろす必要がある」
とジョージが言った。
「翼の柔らかい部分を狙って、矢を放とう。少しでも翼が傷つけば、均衡を崩して地上に降りてくるはずだ。あるいは、激昂してわれわれに襲いかかってくるか」
「おれに任せろ」
とウィリアムが胸を叩いた。
「鳥を射落とすのは得意だぜ。ドラゴンもでかい鳥だと思えばいい」
どこからか、翼が風を切る音が聞こえてきた。ウィリアムが矢筒から矢を抜いて、上空に目を凝らした。「あそこだ」とマヌエルが指をさした。
雲の合間から、黒い影が飛び出した。かと思うと、翼をたたんで、急降下してきた。ウィリアムが弓に矢をつがえ、射る機会をうかがった。木立すれすれまで降りると、ドラゴンは翼を広げ、降下速度をゆるめた。すかさずウィリアムが矢を放った。
その瞬間、ドラゴンが方向転換して、矢をかわした。「なにっ」とウィリアムが声をあげた。マヌエルとジョージも、今の一撃は確実に当たると思った。金色の瞳がぎろり、と一行を睨んだ。「来るぞ!」とジョージが叫び、一行は剣を抜いた。ところが、ドラゴンは牽制しつつ、木立の陰に消えていった。一行は急襲に備えて、しばらく構えを解かなかった。しかしついに、ドラゴンが反撃してくることはなかった。
翌日、マヌエルが昼近くに起きたとき、ジョージとウィリアムの寝台はすでに空だった。服を着替えて階下に降りていくと、人がまばらな酒場の一卓を、二人が囲んでいた。手には麦酒の入った杯を持っていた。席についたとき、二人が深刻な面持ちをしていることが分かった。
「どうした?」
と尋ねながら、マヌエルは給仕の娘を呼んだ。娘がやってきて、焼きたてのパンが入った籠と、水を注いだコップを置いていった。ウィリアムが麦酒をぐいっと一口飲んだ。
「マヌエル。ウルスラ姫さまとの結婚は諦めたほうがよさそうだ」
「……べつにおれは、ウルスラ姫さまとは言っていない」
「なに⁉ じゃあ、どの姫さま狙いなんだ?」
勢いよく立ち上がるウィリアムをよそに、ジョージが言った。
「貴殿が寝ている間に、町に滞在する他の騎士たちにも話を聞いてみた。どうやら、あのドラゴンに矢を当てられた者は、一人もいないらしい。それに、奴はいくら挑発されても、反撃してこないんだ」
マヌエルはコップに満たされた水を飲みほして、一息ついた。
「やっぱり。闘争心がまるでないと思ったんだ」
「うん。ドラゴンは他の獣と違って賢い。だから、挑発されても応じないという態度がとれる。だがその態度が、人を襲わないという保証にはならない。よって、ファーゼ周辺にドラゴンがいる限り、商人はますますファーゼから遠ざかっていく」
「なあ、どの姫さまなんだ?」
黙ってくれ、とジョージがウィリアムをたしなめた。
「だからマヌエル。これは長期戦になりそうだ」
マヌエルたちがファーゼに来てから、ふた月が経った。ドラゴン退治の難しさを理解した騎士たちは、一人、また一人と去っていき、ついに、ファーゼに残る騎士はマヌエルたち三人のみとなっていた。宿屋の部屋に空きができたので、一行は屋根裏部屋とおさらばし、騎士にふさわしい、十分な広さがある部屋に移ることができた。
このふた月の間、マヌエルたちは、ドラゴンの寝床を探すことに注力していた。ドラゴンを地上に降ろすことができないのなら、飛んでいないときに奇襲をかければよい。そのような結論に至ったからだ。ところが、ドラゴンはファーゼから見て、毎回べつの方角の森から姿を現した。そのため寝床の特定に難航していた。
全く成果をあげられないまま、時間だけが過ぎていく。そのような鬱憤がたまる状況下では、酒と賭博がなければやりきれなかった。そこで、三人は酒場の常連であるティム爺さんと、毎日のようにテーブルゲームを行っていた。
「ティム爺さんには、細君はいないのか」
ある日、四人でトランプゲームをしているときに、ウィリアムが尋ねた。ティム爺さんは、ウィリアムの手札から一枚、カードを引き抜いた。
「いないよ。若い時には好きな子がいたんだがね。勇気がなくて、告白できないうちに、他の男に取られてしまったのさ」
ウィリアムが訳知り顔で、頷いた。
「だからこうして毎日、酒場に入り浸れるというわけだな」
「そうさ、おかげでわしは自由。だがときどき、酒場に怒鳴りこみにくる細君のいる男が、うらやましいこともあるよ」
ふうん? とウィリアムが考えていると、ティム爺さんがにやりとして、「あがりだ」と言った。三人が驚き、爺さんの手元を見ると、手札が一枚もなくなっていた。マヌエルはテーブルを拳で叩いた。
「くそ、また爺さんの勝ちか!」
「もうおれは金がないぞ」
「ビリにならなければいいのさ、ウィリアム」
爺さんは一行の様子を、目を細めながら眺めていた。
「あんたたち。宿屋の主人から聞いたが、ドラゴンの寝床を探しているらしいな。おれは森で採った山菜や薬草を売って生活している。だから、奴の寝床には目星がついているぞ」
一行は顔を見合わせた。それから、ジョージが代表して尋ねた。
「タダでは教えてくれないんだろうね?」
「もちろん。テーブルゲームでおれに勝てたら教えてやる」
「どのゲームだ?」
「あんたたちの好きなゲームでかまわない」
それからというもの、一行はドラゴンの寝床探しを中断して、本気でティム爺さんに勝つ方法を考えた。というより、寝床探しにはうんざりしていたため、降ってわいた希望にすがりついた、と言ってもいいだろう。ティム爺さんに「見込みがある」と言われた通り、マヌエルはこのところバックギャモンの腕を上げていた。そのため、爺さんとは彼がバックギャモンで勝負することにした。そこで、ファーゼで評判のバックギャモン名手たちに相手をしてもらい、訓練を重ねた。
二週間後、マヌエルはティム爺さんにバックギャモンの勝負を申し込んだ。ゲームは長丁場に及んだが、ついにマヌエルが爺さんに勝った。ゲームの行方は酒場の誰もが見守っていたから、決着がついた瞬間、わっと歓声があがり、マヌエルは人びとにもみくちゃにされた。駒を片付けながら、ティム爺さんが言った。
「約束通り、明朝にドラゴンの寝床に案内しよう」
翌朝、武装した一行は、ティム爺さんを先頭として森のなかを進んだ。三時間ほど歩き通したあと、「いったん休憩しよう」と爺さんが提案した。一行は腰を下ろして、水を飲んだり、軽食をとったりした。マヌエルはパンを食べている爺さんにじっと視線を注ぎ、昨日から疑問に思っていることを尋ねた。
「昨日のゲームでは、手加減しただろう」
爺さんは片眉をあげて、にやりとした。
「よく分かったな。卿が腕を上げた証拠だ」
「どうしてそんなことをしたんだ? 貴殿は頑固者だと思っていたが」
「しおどきだと思ったんだよ」
「なんの?」
ティム爺さんは微笑んで、三人の騎士を順番に見わたした。
「実はな。ドラゴンの寝床はこの森にはないんだ」
「なんだって?」
ジョージが眉をひそめた。ティム爺さんは立ち上がると、原っぱのほうへ歩いていき、三人と距離をとった。
「なぜなら、ドラゴンはファーゼで寝起きしているからな」
次の瞬間、強風が騎士たちを襲い、三人は咄嗟に腕を顔にかかげた。風が弱まり、腕を下ろすと、なんと、ティム爺さんがいたはずの場所にはドラゴンがいた。ドラゴンの身体は鎧のような銀の鱗に覆われ、森の緑を反射していた。
騎士たちは咄嗟に剣を抜いて、応戦の体勢をとった。その後、我に返ったように、ウィリアムが叫んだ。
「ど、どういうことだ! ティム爺さんはどこにいった⁉」
ここだよ、とドラゴンが喋った。
「わしがティムだ。本当の名前はルカリバン。人間に化けていたんだ」
騎士たちは呆気にとられて、言葉を失った。しかし実際にドラゴンは人語を喋っているし、爺さんは跡形もなく消えてしまった。マヌエルは剣を構えなおした。
「おい、爺さん。おれたちは騎士だ。テーブルゲームと違って、剣の腕には自信があるぞ。勝負するか?」
ルカリバンは大きな口を開けて、笑った。
「まさか。あんたたちは友達だ。だからわしは、ファーゼを出て遠くへ行こう」
マヌエルが剣を鞘におさめると、他の二人もそれに倣った。三人とも、ルカリバンの首を落とそうという気にはなれなかった。ジョージが前へ進みでた。
「どうして人間に姿を変えていたんだ?」
「わしはもう二百年以上、ドラゴンの仲間を目にしていない。しかし話し相手もなく、ずっとひとりでいるのは寂しいものだ。だから人間と酌み交わしたり、テーブルゲームをしたりするのが楽しみなんだ。だが、ファーゼやあんたたちの国に、これ以上迷惑はかけられないからな」
ウィリアムが眉尻を下げた。
「ずっと人間の姿のままでいることはできないのか? そうすれば、人間として暮らせるだろ」
ルカリバンが首を横に振った。
「わしにはドラゴンとして生きてきた、何千年もの思い出や、誇りがあるんだよ。だからときどきは、ドラゴンの姿になって天を駆け、自分や仲間のことを忘れないようにしなければならない」
やるせない気持ちで、マヌエルたちはドラゴンの友達を見返した。「マヌエル卿、ジョージ卿、ウィリアム卿」とルカリバンが言った。
「この数カ月間、わしはあんたたちと過ごせて楽しかった。だから、テーブルゲームの相手がほしいときには、わしの名前を呼びなさい。どれだけ遠くにいても、名前を呼ばれれば分かるから。そうしたら天を駆けて、あんたたちに会いに行こう」
三人は顔を見合わせ、口元をゆるめた。
そうして、マヌエルたちの冒険は終わりを告げた。三人の騎士がドラゴンの巣に行ってから、ドラゴンが姿を見せなくなったことから、ファーゼの住民の間では、三人の騎士がドラゴンを追い出したと噂されるようになった。不思議なことに、ティム爺さんがいなくなったことについては話題にならなかった。それどころか、「ティム爺さん」というお爺さんがいたこと自体、住民の記憶から抜け落ちているようだった。それはドラゴンの魔法によるカラクリに違いなかった。
三人の騎士は、七日七晩馬を進めて、都に帰還した。三人は宮廷に呼ばれ、王や姫たちからの感謝の言葉をさずかった。ドラゴンの首を持って帰ったわけではないので、姫との結婚という褒美は与えられなかったが、マヌエルもウィリアムも気にしなかった。なぜなら今回の冒険では、テーブルゲーム好きなドラゴンの友達を得られたのだから。
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