第14話 屋上神社
お茶の水で聞いた話である。
駅の近くに、屋上にお稲荷さんが祀られているビルがある。
今回は、そのビルで営業しているコンカフェのオーナーから聞いた話だ。
シラカワさんは四十代前半で、髪の生え際に白いものが混じっている。温和そうな雰囲気の人物だ。店には可愛らしい制服をまとったメイドがいて、いわゆる正統派の「メイド喫茶」を営んでいる。シャーロック・ホームズが好きで、本当は「ロングスカートのメイド喫茶」にしたかったが、お客さんのニーズを考えて断念したらしい。
ちなみに、ベーカー街221Bにも行ったことがあるそうだ。
ある日、出勤予定だったキャストが鉄道の人身事故で出勤できず、さらに他のキャストや店長も早上がりとなり、メイドが一人もいないという運の悪い日があった。
本来なら早仕舞いとなるところだが、シラカワさん自らがキャスト代わりを務めることになり、その日限りの「シラカワカフェ」が始まった。今回の話は、そのときに聞かせてもらったものである。なお、メイド服は着ていなかった。
――このビルの屋上には、お稲荷さんが祀られている。
正確には、もともと小さな社だけがあったが、中身は空で、最近になってお稲荷さんが祀られるようになったのだという。ビルの先代オーナーが亡くなり、現オーナーになってからのことだ。
コロナ禍でテナントの経営が思わしくない状況を見かね、現オーナーが商売繁盛を願ってお稲荷さんを建立したらしい。
お稲荷さん自体は、ほかのビルの屋上でよく見かける。新宿の「熊鷹社」や銀座の「三囲神社銀座摂社」などが有名だ。
稲荷信仰は京都の伏見稲荷大社を起源とし、本来は五穀豊穣をもたらす農耕の神である。江戸時代には「商売繁盛」として商人や職人に広まり、さらに「火防(ひぶせ)の神」とされたことから火事の多かった江戸で厚く信仰されるようになった。
このビルの裏には、土を詰めた塩ビ管が設置され、社と大地がきちんとつながるようにしてある。
そのためか、現在は全フロアにテナントが入居し、どの店舗も商売繁盛しているという。
――お稲荷さんが祀られる以前、屋上の小さな社には、一枚の絵が収められていたそうだ。
サイズはA3ほど。シラカワさんは、たまたま店舗にいたときに先代オーナーから見せてもらったという。
絵は油絵とも水彩画ともつかない、独特の塗料で描かれており、少し酸っぱい匂いを放っていた。
背景には雲がかかった青空が広がり、その空にはおわんをひっくり返したような形をした巨大なものが浮かんでいた。おわんの下には長く垂れ下がる二本の触手、全体は淡い桃色で、薄い青色や紫色の線のようなものが書かれている。
要するに、それは「空飛ぶ巨大なクラゲ」を描いた絵だった。
右隅には「ウィルトシャーにて」と記されていた。
作者は不明。先代オーナーは「自分で処分する」と言ってその絵を持ち帰った。
ところがしばらくして、先代は海外出張中に全身打撲で亡くなった。周囲にビルのような高い建物はなく、まるで墜落死したかのような状況だったという。
シラカワさんは「今は商売繁盛しているから特に気にしていない」と笑っていた。
ウィルトシャーはイギリスの地名であり、パイロットであるアームストロング氏の「手記」が発見された場所でもある。1913年に発見されたその手記には、空にはジャングルのような場所があること、そこにはクラゲや蛇のような生物が存在することが書かれているとのことだった。
たぶん、後半のクラゲの話からは、シラカワさんの創作だと思われる。なぜなら、彼は「シャーロッキアン」だからだ。
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