転がり続ける少年少女

バネ屋

第1章 幼馴染編

#01 抑圧された少年は血迷う




 ウチの母は躾と称して幼少期から厳しかった。


 物心つく前から頭髪は、ずっと坊主。

 服装は、冬でも半ズボンで靴下は白オンリー。

 家でテレビを見て良いのは宿題が終わってからで、夜8時まで。

 お小遣いは無しで、必要な時に必要な額をキッチリ1円単位で支給。

 お遣い等頼まれた時にお釣りを1円でもチョロまかすと、正座させられ烈火の如く怒られる。

 クリスマスのプレゼントは毎年図書券で、しかもマンガを買うのは禁止。

 お年玉は貯金すると言われて、全額ボッシュート。

 他にも幼少期から小学時代の逸話は事欠かないが、今思い出しても悲しくなる話ばかりだ。


 例えば、学校の後、近所の公園に友達と集まると、みんなスイッチ持ってきててポケモンやらスマブラやらフォートナイトやらで対戦を始めるが、俺だけスイッチ持ってないからみんながプレイしてるのを横から覗き込むように眺めるだけだった。

 みんな俺がスイッチを買って貰えないことを知ってるから、同情してたまにプレイさせてくれるが、素人ではまともに対戦相手は務まらずに即死し、俺が対戦相手ではつまんないのか直ぐに相手にしてもらえなくなり、結局毎回みんなが対戦に飽きてゲーム以外の別のことを始めるまで待つだけだった。


 他にも、一度友達連中が俺の家に遊びに来たがったので、3人の友達を連れて家に招くも、ウチには碌な娯楽が無いので家族共用のパソコンでオセロの対戦を始めたが直ぐに飽きて1時間もせずにみんな帰ってしまい、翌日にはその友達たちが他のクラスメイトに「ケンサクんち、何も無くてつまんなかった」とこっそり話しているのを耳にした。そして、それ以降ウチには誰も来たがることは無かった。


 夏休みにいつも遊ぶ友達みんなで電車に乗って遊園地に遊びに行くことになった時は、母親にお小遣いを貰おうとしたが電車賃しか貰えず、遊園地ではジェットコースターやティーカップに乗ってはしゃぐ友達たちを外から眺めているだけで、お昼もみんなが売店や出店で買ったジャンクフードをわいわい楽しそうに食べる中、俺だけ母親に持たされた手作り弁当を食べた。


 真冬でも半ズボンしかダメだったのに、小5になった時に初めて長ズボン買って貰えた時は滅茶苦茶嬉しくて毎日それ履いて学校に行ってたら、他の服は持ってないの?って貧乏認定された時はちょっと泣けた。

 半ズボンならいくらでもあったのに・・・




 いつも周りのみんなのことが羨ましかった。

 当時の友達連中は、ほとんどの家が共働きで、毎日夕飯の代わりに現金を渡されている家も多く、遊んでる時は頻繁にお菓子やジュースを買い食いしてて、そういうのが凄く羨ましかった。


 だからずっと、スイッチ持ってない事やお小遣いが無いことに劣等感を感じていた。

 自分が惨めだとすら思ってた。



 ウチは貧乏じゃない事は、子供ながらにも分かっていた。

 父は地元では有名な企業に勤めていたし、乗ってる車も国産高級車だった。

 母は専業主婦だったが、今思えばこのご時世でも専業主婦で居られたのだから、家計に余裕はあったはずだ。


 母が『厳しい躾けが子供の為になる』と妄信していたのか、それとも単純にケチだったのか。

 多分両方だと思う。



 そんな俺を取り巻く環境も、中学に上がって少しはマシになった。

 小学校と違って制服だったからね。みんな同じ制服なら、服装で優劣を付けられることは無い。

 坊主頭なのもたまに野球部と間違えられることはあったが、そんなことは気にならない程度には慣れていた。


 それに小学校と違って中学では学力に明確な順位が付けられ、運動部に入ればレギュラーか補欠かで天と地ほどの差が生まれ、それまで放課後の遊びの中で決められていた友人間の格付けに、学力や部活が大きく影響するようになっていた。

 実際に定期テストで学年上位1割以内に入り、「3年になったら辞める」という条件で母から許可を貰い入部した陸上部で、1年では数少ない大会出場メンバーに選ばれると、同級生や先輩からの扱いが格段に良くなり、もう誰も俺をバカにしたり憐れんだりしなくなった。



 そして俺自身、ゲーム機などへの羨望は薄れ、異性への関心が強まった。

 思春期だからね、異性の視線は気になるし、可愛い女子のことはどうしても気になる。


 しかし、染み付いた劣等感は制服を着てたくらいでは薄まることは無く、異性との会話は常にテンパっていた。

 寧ろ、小学時代よりも酷かったと思う。


 女子に話しかけられただけでドキドキしてしまい、ついつい格好付けようとしてしまう。

 そして、見栄張って大言壮語をのたまい、要らないことまで喋り、場を白けさせて、後で泣くほど後悔する。そんなコミュニケーションを異性と繰り返す中学生だった。



 最も酷かったのは、中学2年のバレンタイン。

 人生で初めて女子に告白された時だ。


 相手は家が近所で小学校も同じ女子で、ちょくちょく話しかけてくれていた六栗雛(むつぐり ひな)。

 小学校の中学年までは大人しくて目立たないイメージだったが、5年だか6年の時に急にパーマあてて茶髪に染め垢抜けて可愛くなり、性格も明るく社交的になって、クラスの中心ポジションが定着していた子だ。


 そして六栗は、中学生になると更に可愛くなり、すっかり陽キャとなっていたが、近所のよしみで俺にもよく絡んで来ていた。

 俺はそんな六栗にずっとドキドキしてて、気になる存在だった。

 特に中学に入ってからは顕著で、まともに目を見ることは出来なかったが、話かけられると嬉しくて、でもそれを態度に出さない様にクールぶって格好付けて接していた。


 そんな六栗に突然告白された。

 中2のバレンタイン、部活が終わって学校から帰る途中、家の近所で待ち伏せされて「ずっとケンくんのことが好きでした!」と言われて可愛くラッピングされたチョコを渡された。


 可愛くて明るく学校では人気者の六栗がまさか坊主頭の自分に告白するなど1ミクロンも想像したこと無かった俺は、テンパり過ぎて嬉しさよりも恐怖を感じて血迷い、馬鹿丸出しの言い訳をして拒絶してしまった。



「俺には女子に構ってる暇は無い!御免なさいだ!」



 俺は受け取ったチョコを握りしめながらそう宣い、その場に六栗を残したまま走って逃げた。


 家に帰ると母が俺の手にあるチョコに気付いて、「そのチョコどうしたの!?誰かに告白されたの!?」と騒ぎだしたが「義理だから!」と押し通し、いつも気になってた美少女六栗からの折角の告白を拒絶してしまった愚行に、その晩マジ泣きする程後悔した。



 因みに3月のホワイトデーには「お返しが必要よ」と母に教えられ、お小遣いを貰ってない俺は母にお願いして買ってきて貰った不二家のミルキークリームロール丸ごと一本を六栗の自宅のポストに投函しておいたが、しばらく六栗とは顔を会わせても猛烈に気不味かった。










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