第33話 水晶花の香り

 競技会コンテスト会場は王宮にある大広間で開かれる。

 普段は舞踏会が開かれるその場所に、今日は机と椅子が運び込まれて並んでいる。


 部屋には縦に長い机が五つほどあり、それぞれ王族、宰相や大臣ら要人、高位貴族、男爵から伯爵までの貴族、調香師や香水工房関係者たちに用意されたものだ。

 

 今回の競技会コンテストの審査員は国王と王妃、そして宰相と大臣たちだ。

 審査員たちは調香師たちが持ち寄った香水を回して香りを嗅ぎ、その間に調香師たちは香水のコンセプトを審査員たちに説明する。


 全ての香水の香りを嗅ぎ終わると、審査員たちは各々の選んだ香りを発表する。

 最も多い票を獲得した香水を作った調香師が優勝となる仕組みだ。

 

 フレイヤは緊張した面持ちで部屋に入り、案内されて自分の席に座る。


「見ろ、カルディナーレ香水工房をクビにされたフレイヤ・ルアルディだ」

「あそこを辞めさせられたのに調香師になれたとは、運がいいな」

「王族に香水を献上したとは羨ましい……」

 

 他の調香師たちから不躾な視線を向けられるが、隣にシルヴェリオが座っているおかげでそれほど気にならなかった。

 

 調香師が全員揃うと貴族、王族の順に入場する。

 

「わあ、コルティノーヴィス伯爵もいらっしゃるのですね」

 

 フレイヤは入場する貴族の中にヴェーラを見つけた。

 今日は深紅のドレスを着ており、髪は三つ編みにして肩にかけて流している。


 周りにいる貴族男性の数人が頬を赤く染めて彼女をチラチラと見ており、ヴェーラの人気具合が垣間見えた。

 

「姉上は社交の場にはたいてい当主の義務として足を運ばれるが――今日はフレイさんを応援すると張り切っていた」

「そんなにも気にかけてくださるなんて……私、頑張ります!」

 

 応援してくれる人がいてくれるのはありがたい。

 フレイヤは少し緊張が解れた。

 

 ふと、高位貴族の席に座っている人たちが上座にチラリと視線を送っている様子に気づいた。

 視線の先には老齢の、銀髪と黄金色の目を持つ男性が悠然と座っている。


(あの人、なんだかロドルフォさんに似ているいるような……)


 しかし彼は平民で、あの席に座る事ができるのは高位貴族だ。

 他人の空似だろうと思い、視線を外した。


 そして貴族が全員揃うと王太子やネストレたちが、最後に国王と王妃が大広間の中に入り、席に着く。


 司会を務める宰相補佐官の女性が前に立ち、競技会コンテストの開催を宣言した。

 

「それでは調香師の皆様にくじを引いていただきます」


 まずはじめに発表順を決めるためのくじ引きをする。

 調香師たちは宰相補佐官が持っている小さな宝石箱の中にある魔法石を一つとった。

 

 紫色の透明な魔法石はフレイヤが触れると光を帯び、ややあって光が消えると表面に金色の数字が刻まれていた。

 この数字が発表の順番となる。

 

 フレイヤは最後の一つ手前、アベラルドはその次でトリだった。

 そうして、競技会が始まった。

 

 調香師の男性は席を立ち、審査員たちの机の前へ行くと、持ってきた香水の入っている瓶を宰相補佐官に預ける。

 宰相補佐官は受け取った香水瓶を目視で確認した後試香紙ムエットに吹き付けて香りを確認すると、国王にその香水を手渡した。


 毒などの有害なものが含まれていてはいけないため、国王に渡す前に彼女が確認するのだ。

 

 国王が受け取った香水瓶を片手に持ち、机の上にある試香紙ムエットに香水を吹き付ける。

 試香紙ムエットを揺らして香りを嗅いだ。


「バラの華やかな香りが印象的だな」

 

 国王の言葉に、調香師の男性はにっこりと微笑む。

 

「祝祭で賑わう王都を表した香りです。バラとジャスミンとネロリの香りを合わせております」

「なるほど。今回のテーマである『祝祭』を豪華に祝う祭りと解釈して香りにしたというわけか」


 それっきり、国王は言葉を止めて他の審査員たちを眺める。

 審査員たちは神妙な顔で香りを嗅いでは、思い思いの感想を口にした。

 

 香水は調香師たちにも回ってきたため、フレイヤもくんくんと嗅いでみる。

 いかにも貴族の好きそうな華やかな香りだった。

 

 続いて他の調香師たちが順に発表していく。

 

「果実と花の甘い香りで繁栄する我が国の祝祭を表現しています」

「私の香水はバラの香りにムスクを合わせました。祝祭の華やいだ宴をイメージした香りです」

「こちらの香水はユリとマグノリアを使い、祝祭の日に女神様へ捧げる祈りをイメージした神聖な香りに仕上げました」


 どの香水も豪華さや華やかさがあり、貴族が好きそうな香りだ。


(審査員は貴族だから、みんな豪華な香りにしたのかもしれない……)


 自分もそうするべきだったのだろうかと不安になるが、ぶんぶんと頭を横に振って迷いを振り払った。

 そんなはずはない。

 気品に香水を贈る国王と王妃の想いを考え、今回のテーマである『祝祭』という内容を吟味して、彼らの求めるものを考えた結果辿り着いた香りなのだ。

 自信をもって発表したい。

 

「――次はコルティノーヴィス香水工房のフレイヤ・ルアルディ殿の香水です」


 名を呼ばれ、フレイヤの心臓が大きく跳ねる。

 

「い、行ってきます……」


 震える声でシルヴェリオに声をかけると、シルヴェリオは柔らかく微笑んだ。

 彼の微笑みを見た観衆がざわりと騒がしくなったが、緊張しているフレイヤの耳には届かなかった。

 

「良く言おうと気を張らなくていい。俺に説明した時のように話せば、きっと伝わる」


 フレイヤはこくりと頷くと席を立ち、宰相補佐に歩み寄って香水瓶を手渡す。 

 その香水瓶が国王の手に渡るのを見届けて、深呼吸して自分を落ち着かせた。


 試香紙ムエットに香水を吹き付けた国王は、香りを嗅ぐと目を見開いた。


「この香りは……柑橘類の果実と香草だな。……いや、微かに甘い香りもあるが、これは何だ?」

「水晶花です」


 フレイヤの答えに、会場がまた騒めく。

 彼らにとって水晶花の香りとは薬品の香りだ。それを香水に用いるなんてあり得ないのだ。


「水晶花だって? そのような庶民くさい香りを調香して、エイレーネ王国を笑い者にするつもりか?」


 アベラルドは鼻で笑うと、フレイヤに野次を飛ばす。

 彼の後ろで、妻のベネデッタがクスクスと笑っている。


 調香師たちからは呆れた顔をしており、貴族たちは鼻白んだ様子でヒソヒソと耳打ちしている。

 水晶花の香りを使ったフレイヤを、目立つために奇をてらったのかと非難しているのだ。


 しかし国王がやや大きな空咳をすると、皆口を噤んで居住まいを正す。


「水晶花は国花だ。国花の香りを使うというのに、なぜ笑い者になる?」

「――っ!」


 国王がゆったりと落ち着いた、しかし低い声で問うと、アベラルドは震え上がってその場で固まった。

 フレイヤを非難していた調香師たちや貴族たちもバツの悪そうな顔になる。

 

 そこに、香りを嗅いだ外務大臣がややはしゃいだ声を上げた。


「素晴らしい! 言われてみると確かに水晶花の香りだが、他の香りと合わさると、どことなく気品のある香りになるな!」

「柔らかな香りで、しかし奥行きがあって面白い」

「正直に言うと、甘く濃厚な香りの香水をたて続けに嗅いでいたから、このような爽やかな香りに飢えていました」


 他の大臣たちも目を輝かせている。

 香水が手元に回ってきた調香師たちは、香りを嗅いで目を丸くした。外務大臣が言う通り、自分たちの知る水晶花とはどことなく違う雰囲気の香りだったのだ。


 彼らの反応を見た貴族たちは、自分たちもあの香水の香りを嗅いでみたいと興味を閉めす。

 

 するとこれまで沈黙を貫いてきた王妃が、微笑みながらフレイヤに問うた。

 

「この香水は、どのようなイメージで作ったのか教えてくれるかしら?」

「エイレーネ王国の豊かな自然や、王国中の人々が楽しく日々を営んでいる様子を香りに込めました。香水の名前は『日々を祝うセレブラエ・イ・ジオーニ』です。エイレーネ王国がこれから毎日、祝祭の日のように賑わうようにと願いを込めまております」

「まあっ、名前まで素晴らしい!」


 王妃の声が弾んでいる。

 

 審査員たちが絶賛する様子を見た他の調香師たちは、自分の香水に自身を失くして肩を落とすのだった。

 

 しかしアベラルドは自信満々だ。

 ふんぞり返りそうなほど胸を張ると、堂々と審査員の前に立つ。

 

「この香水は、華やかなこの王城をイメージした香りです。国の豊かさを他国にアピールできる豪華な香りにしました。香水瓶には宝石をちりばめ、高級感のある外観にしています」


 国王と王妃は香水の匂いを嗅いだが別段何も言わず、大臣の間では多少称賛の声が上がったが、フレイヤの時ほど盛り上がらなかった。


 フレイヤもまた香りを嗅いでみたが、先に発表された香水と同じような貴族が好きそうな濃厚な花の香りの香水だった。

 

 思っていたよりも自分の香水が話題にならず、アベラルドは焦りを見せる。

 

「素材は全て最高級品です。エイレーネ王国を代表する香水として恥ずかしくない一品で――」

「もういい。席に戻りたまえ」


 しかし国王に止められてしまい、悔しそうに拳を握りしめて自分の席に着いた。


「――では、そろそろ投票に移ろう。審査員は手元にある紙に、気に入った香りの香水を作った調香師の名前を書いてくれ」

 

 ついに選考が始まった。

 フレイヤは胸の前で手を組み、その様子をじっと見守った。

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