第30話 壮大な演目
フレイヤとシルヴェリオたちがロードンから王都に戻って二日後のこと。
コルティノーヴィス伯爵家の王都にある
「ヴェーラ様、あなたの愛する忠犬リベラトーレが戻りましたよっ!」
「……相変わらず仰々しい帰還だな」
ヴェーラはそっと溜息をつくと、書類から目を離した。
そろそろ扉から入ってきてほしいものだが、主人が大好きすぎる秘書は外出から帰るといち早く主人に会いたいため、何度注意してもショートカットして窓から入ってくるのだ。
初めは注意していたが、今は諦めの境地に達してしまった。
仕事は優秀だから、大目に見ることにしている。
「セニーゼ商会の様子は?」
「少しずつですが商品の運送が進みだしたようです。事務所の前に入れ代わり立ち代わり馬車が停まっては従業員が都度やってきて荷物の確認をしていました。この調子だとギリギリ
リベラトーレもまたため息をつくと、ヴェーラの執務机に頬杖をついて、今日も麗しい愛しの主の顔を至近距離でじっと見つめる。
どんなに疲れていても彼女のためなら何だってできる。この世で唯一無二の存在だ。
以前、「ヴェーラ様のご尊顔を拝むだけで寝ずに一カ月は働ける」と父親と同僚に話すとドン引きされた。
「ルアルディ殿の願いだから仕方がない。それに、コルティノーヴィス香水工房がカルディナーレ香水工房より優位に立っているのは変わりないだろう。なんせ王族はルアルディ殿に首ったけだからな」
とはいえヴェーラ自身も、シルヴェリオ様から延期の話を聞かされた時は驚いた。
フレイヤは王族への借りを使って延期させたのだ。もっといい使い道があったはずだと思う一方で、憎い相手にも慈悲を施すその選択に感心した。
「それで、シルヴェリオの香水工房の方はどうだ?」
リベラトーレは黄金の目をすっと細めると、やや嗜虐さを感じさせる笑みを浮かべた。
「相変わらず、フレイヤちゃんが
「ご苦労。予想通り、汚い手を使う奴らだな。ルアルディ殿が一人にならないよう、引き続き人をつけていてくれ。この手の人間はどうにかしてでも妨害しようとするはずだ。ルアルディ殿を誘拐する可能性があるから、警戒するに越したことはない」
自身の目的のためなら手段を選ばない、あの意地汚いセニーゼ家のことだから、なにか仕掛けてくるだろうとは予想していた。
念のためコルティノーヴィス香水工房の周辺にコルティノーヴィス伯爵家に仕える騎士たちを紛れ込ませて警備させていて良かったと胸を撫でおろす。
「かしこまりました。――そう言えば、フレイヤちゃんの父方祖父についてですが、ここ一カ月の間によそ者が来ては、領民たちにカリオ・ルアルディについて聞いていたそうです。領主邸で働く使用人たちのなかにも、街中で買い物しているところ尋ねられたそうです。そのうちの一人の話によると、イェレアス侯爵家の前当主が、その者を探しているそうで……」
今はもう天に召されたのだと言うと、相手はひどく落ち込んでいたらしい。
「なぜイェレアス侯爵家が……。純粋にカリオ・ルアルディと縁があるのか、それとも別の理由があるのか。……いずれにせよ先を越されないよう、早く真相に辿り着かねばならないな」
ヴェーラは今までに聞いた調査結果を脳裏に浮かべる。
フレイヤの父方の祖父であるカリオ・ルアルディはある日突然、ふらりとロードンの街に現れた男だ。
当時の彼を知る者は口を揃えて、整った容姿で人好きのする笑みを湛えており、調香師のカリオと名乗ったと話したらしい。
その美貌の調香師は元修道士らしいが、修道院暮らしが性格に合わず、辞めて王国中を旅していたそうだ。
ロードンのバラの香りに魅せられた彼はしばらく滞在すると決めたようで、街の人々の手伝いをして路銀を稼いで生活していた。
修道士だった頃に薬の調合をしていたと言う噂を聞きつけた
二人は順調に愛情を育み、街の人々に祝福されながら結婚した。
誰も彼の本当の家名を知らないと言う。ロードンの街で人を使って調査しても知る者はおらず、各地の修道院で聞き込みをしているがそれらしい人物がいない。
「イェレアス侯爵家が彼を探る理由が気になるな。いったい、どんな関係があったのだろうか……」
「私怨ではなさそうですよね。恨みがあるなら指名手配して大々的に捜査しそうな家門ですし、隠れて調査するとなると、それなりに隠しておきたい理由もあるのかもしれません」
「イェレアス侯爵家が隠しておきたいことか……」
由緒正しい家門にはそれなりに醜聞がつきものだ。
イェレアス侯爵家もその例外ではないが、カリオ・ルアルディが生存していた期間に合致する醜聞を聞いたことがない。
その頃はむしろ、修道院で働いていた令息が原因不明の病でこの世を去ったという悲劇に見舞われて当主がひどく落ち込んでいたそうだ。
「……本当に、病でこの世を去ったのだろうか?」
ふと、疑問が浮かぶ。
真実は時として、権力によって捻じ曲げられる。
貴族家は都合の悪い真実を、権力や金銭で変えることがしばしばあるのだ。
もしもその令息が修道院を出るようなことがあれば――イェレアス侯爵家はその都合の悪い真実を隠しておきたいだろう。
「あの令息の名はたしか、カエリアン・イェレアスだが……名を捨てて別名を名乗った可能性もあり得るな」
もしそのために醜聞を悲劇に変えたとしたら、件の令息が病にかかっておらず生きていたら、今どうしているのだろうか。
もしその人物がカリオ・ルアルディだったのなら――。
「ヴェーラ様、いかがしましたか?」
「……イェレアス侯爵家の令息で、修道士として働いていた際に亡くなった者の話を思い出したんだ。ちょうどルアルディ殿の祖父と同じ年頃のはずだから……つい、想像をしてしまってな。彼がルアルディ殿の祖父であれば、ルアルディ殿の所作の美しさに納得がいく」
礼儀作法は必死で学んだと聞いた。しかし礼儀作法を学んでも貴族らしい所作はそう簡単に身につかない。
フレイヤさえ気に留めていないほど自然に行う所作の中に貴族らしいものがあった。
どう見ても幼い頃から誰かに教わったとしか思えない。
彼女の家族の中の誰かが貴族家と繋がりがあったのか、それとも近くにそのような者がいたのかもしれない。
「ヴェーラ様の勘はよく当たるから、あり得そうですねぇ。カエリアン・イェレアスについても調べておきますよ」
「ああ、頼んだ。その間に私は
四日後に始まる
王族は新生のコルティノーヴィス香水工房を要人たちに認めさせようと
彼らに踊らされる他家の貴族らも見ものだ。
「話によると、当日は長らく隠居していた前イェレアス侯爵家当主も出席するそうだ。今もなお影響力の強いあのお方がわざわざ出てくるということは――相応の思惑があるのだろう」
それぞれが自身の思い描く未来を勝ち取るための筋書きを描いて現れるだろう。
彼らの演技は悲劇を呼ぶか、喜劇を呼ぶか。
「王族と王族に次ぐ影響力を持つイェレアス侯爵家に、セニーゼ家。彼らの思惑が絡んだ壮大な演目を見られるなんて、今から楽しみだよ」
ヴェーラは唇で弧を描くと、手元にあるベルを鳴らす。
現れた執事頭のカルロに、
演目の
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