第10話 おとぎの森の住民

 翌日の昼下がり、フレイヤとシルヴェリオとレンゾとフラウラを乗せた馬車が、コルティノーヴィス香水工房を発った。

 

 フレイヤは父方の祖父の形見のトランクにいくつかの精油を入れて持ってきている。

 噂の長命妖精エルフが香りをご所望かどうかはわからないが、何かきっかけになるかもしれないと思い、持ってきたのだ。


 一行を乗せた馬車は王都から離れ、西へとしばらく草原地帯を移動すると、森に差し掛かる。

 フレイヤたちは森の入り口付近で馬車から降りる。

 

 御者と馬たちはここでお留守番だ。

 ここから先は、フラウラの案内で森の中を歩く。

 

「この森、王都に住む貴族たちがピクニックに来る場所ですよね。本当に素敵な場所ですね」

 

 フレイヤは目の前の景色に心を奪われており、きょろきょろと忙しなく周囲を見回す。

 

 以前訪れた王都北部の近くにある森と比べると、明るくて歩きやすい。

 生息している木の種類が異なるようで、葉の色は柔らかな黄緑色で目に優しい。

 

 足元には、ピンク色や黄色や水色の可愛らしい小花が咲いており、そよ風に揺れている。

 穏やかで、おとぎ話に出てきそうな森だ。

 

 フレイヤは深く息を吸い込む。

 陽だまりに咲く花の、甘く芳醇な香りに頬が緩んだ。

 

「貴族が立ち入るのはこのあたりまでだ。そこから先は意外と深いから入らないよう言われている。迷って帰れなくなるという言い伝えがあるからな」

「か、帰れなくなる……」


 フレイヤはぶるりと身を震わせた。

 綺麗な花には毒があるというが、美しい森にはとんだ言い伝えがあるものだと、恐ろしくなったのだ。


『大丈夫よ。私はこの森をよく知っているから、皆を無事に帰せるわ』


 そう言い、フラウラはえへんと言わんばかりに胸を張る。

 頼もしい言葉だが、フラウラが先ほどから猫でしか通れないような道を案内するため、本当に無事に人間が通れる道を案内してくれるだろうかと、いささか不安にもなるフレイヤたちだった。

 

 そうしてフラウラの後を続き、生い茂った蔦でできた洞窟を這って進んだり、森を流れる小川の上に倒れた木を橋代わりにしてついて行った。

 

「あとどれくらいで着く?」

『もうすぐよ。あの水色の魔法石が下がっている木を越えたら、例の長命妖精エルフ――オルフェンの住む小屋があるわ』

 

 フラウラが指し示す先を見ると、木から水色の魔法石が下げられている。

 魔法石と木を結んでいる黒色のリボンが、風に吹かれて揺れている。


「なるほど、妖精の魔法だな。あの魔法石を等間隔で配置して結界と幻視の魔法を発動させているのか」

『そうよ。だから、あいつが拒絶したら私たちは永遠にあいつのいる場所に辿り着けないの』


 この世界には、妖精の魔法と呼ばれる魔法がある。

 それは、妖精たちが編み出した魔法や、妖精の魔力でしか発動しない魔法を指している。


 妖精の魔力の性質は、他の生物とは異なる。

 なぜなら妖精とは、自然界にある魔力が結晶となって生まれる生き物だからだ。

 

 水の要素を持つ魔力が集まって生まれた妖精は湖や海に生息しており、炎の要素の魔力が集まって生まれた妖精は民家に住んでいることもある。

 どのような規則性で生まれてくる妖精の種族が変わるのかは、まだ判明していない。

 

『安心して。あいつはいつも暇を持て余しているから、余程でなければ追い返さないわ』

 

 その木々を通り過ぎると、途端に景色が変わった。

 先ほどまでは見えなかった草原が目の前に広がっており、そこにぽつんと、石造りの小屋がある。

 

 小屋の前には小さな畑があり、そこには香草が植えられている。

 どの香草もフレイヤにとって見慣れたものだ。


『畑の前に立っている雄の長命妖精エルフが、オルフェンよ』

「あそこにいるのが、長命妖精エルフ……」

 

 後姿しか見えないが、線の細い男性のように見える。背丈は人間の男性ほどありそうだ。

 おそらく、シルヴェリオと同じくらいの高さではないだろうか。


 陽の光を溶かし込んだような、輝く白金色の髪は彼の足元に届くほど長く、そして美しい。

 珍しい服を着ており、首元の詰まった丈の長い白色のチュニックのようなものに、同じく白色のズボンを合わせている。その上から、丈の長い白色の上着を羽織っているのだ。

 その姿は、学者のようにも見えた。

 

『オルフェン、来たわよ』


 フラウラが名を呼ぶと、オルフェンは振り返った。

 

(わあ、人形みたいに綺麗な顔……!)


 フレイヤは息を呑んだ。

 

 オルフェンは中性的な顔立ちをしており、優美さがある。

 フラウラはひねくれものと言っていたが、そのようには見えない。むしろ、人懐っこささえ感じる。

 

 白皙の肌は滑らかそうだ。彫りが深く、そのきめ細やかな肌に高い鼻梁の影が落ちている。

 ぱっちりと大きな目は薄荷色で、薄い唇の色は淡い紅色。

 髪の色も相まって、淡くはかなげな色彩が神秘的な雰囲気を醸し出している。

 

 耳は人間のものよりやや長く、先端が尖っている。

 左側の耳にはピアスをつけており、それがとても彼に似合っているのだ。


 ピアスは銀色の細く長い鎖の先に、水晶らしき透明な宝石が下がっている。

 鎖はオルフェンが顔を動かす度にしゃらりと緩やかに動いた。


 人外めいた美しさとは、この見目麗しさを讃えるために作られた言葉だろうとさえ思う。


『また来たの? ほんと、懲りない猫ちゃんだねぇ』


 オルフェンは大儀そうに伸びをした。

 

『今日は協力者も一緒よ。今度こそ、あんたの気に入るものを当てるわ!』

『協力者?』


 オルフェンはフラウラの後ろにいるフレイヤの姿を捕らえると、途端に目を柔らかく細めた。

 

『カリオ! 久しぶり。なんだか背が縮んだような……いや、そもそも性別が変わったような……?』

 

 コテン、とあざとさを感じるような仕草で首を傾げると、息もつかぬ速さでフレイヤに近づいた。

 距離が縮まると、彼から微かに香草の香りがした。

 

『もしかして、姿変えの魔法を使っている? でも、魔法の痕跡がないな……それとも、突然変異で性別が変わった? 人間にもそういうことってあるの?』


 フレイヤの周りをまわり、頭のてっぺんからつま先まで注意深く観察している。


 まるで珍獣扱いだ。

 いたたまれなくなったフレイヤは、シルヴェリオの後ろに逃げ隠れた。

 

「い、いえ! 違います。私は産まれた時から女です」

『そんなことを言っても騙されないよ。その髪と目の色はどう見てもカリオのものだし……魔力も同じだし、香草の匂いがするのも一緒だし……なにより、僕が作ったそのトランク、持っているじゃないか』

「このトランクは、譲り受けたものです」


 フレイヤは、トランクの持ち手を握る手にきゅっと力を込めた。


「カリオは、このトランクを私にくれた――亡くなった祖父の名前です」

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