第34話 失ったものを取り戻していく

 コルティノーヴィス香水工房に原材料が届いた翌日から、レンゾと妖精たちによる精油の抽出作業が始まった。

 

 抽出は工房の裏手にある離れを作業所として訪れたフレイヤは、レンゾ以外誰もいない作業所で道具が宙に浮いてひとりでに動いて原材料から精油を抽出している様子を見て固まってしまう。


(これは幽霊……ではなく、妖精たちがいるのよね……?)


 人間はどうしても視覚の情報に頼ってしまう生き物。だから姿が見えないと怪奇現象のようで恐ろしく思えてしまうのだ。

 フレイヤはビクビクとしながら作業室の中に足を踏み入れた。


「あ、副工房長。おはようございます」

「おはようございます、レンゾさん。その……、今ここでは妖精たちが働いてくれているんですよね?」

「そうですよ。工房長のおかげでいい菓子を手配できたので、みんな張り切ってくれています」

 

 レンゾが視線を動かして窓辺にある小さな机を見遣る。その上に白色の皿が置いてあり、クッキーやら砂糖菓子やらが盛りつけられている。


 どうやらあの菓子の山が妖精たちへの対価らしい。フレイヤがじっと見ていると、机の上に置いているお菓子がひとつまたひとつと宙に浮かび、サクサクと音を立てながら消えていく。

 妖精がそこにいると分かっていながらも、食べている生き物が見えないとちょっぴり恐ろしい光景だ。


(だけど……協力してくれている妖精たちに対して怯えているなんて失礼よね)

 

 ここはひとつ、副工房長としてお礼の気持ちを伝えたい。

 フレイヤは胸の前できゅっと手を握りしめた。

 

「妖精のみなさん、初めまして。私は調香師兼副工房長のフレイヤ・ルアルディです。この度はうちの工房で働いてくださってありがとうございます!」


 ぺこりとお辞儀をするフレイヤに、レンゾは反対側を指差してみせる。

 

「あの、妖精たちはもう副工房長の真後ろにいますよ」

「わわっ! 背を向けてしまってすみません!」


 フレイヤは慌ててくるりと向き直り、姿の見えない隣人たちに平謝りする。


「みなさん、気分を害されていませんでしょうか?」

「大丈夫です。笑って許してくれていますよ。むしろ姿が見えない自分たちに声をかけてくれたことが嬉しかったようです」


 その言葉にフレイヤは胸を撫でおろした。

 

 妖精たちとの関りが今までなかっただけに、彼らのことはわからないことばかりだ。そのため知らずの間に無礼を働いていないか心配になるのだった。


(今度、王立図書館に行って妖精たちについて調べてみよう)


 なんせ妖精たちもまたコルティノーヴィス香水工房の従業員でもあるのだ。副工房長として、彼らが働きやすいように環境を整えてあげたい。

 

「ところで、副工房長からお願いされていた分の精油は抽出が終わりましたよ。重いので副工房長の調香台オルガンまで俺が運びますね」

「ありがとうございます。何から何までしてもらってすみません」


 調香台とはその名の通り、調香するための作業台だ。机の上に三面の棚が取りつけられており、そこに精油や香料が入っている瓶を置く。

 精油の入った瓶が並ぶ様子がまるで楽器のオルガンの鍵盤ようであるため、その名がつけられたのだ。

 

 フレイヤとレンゾは、一階の店舗部分の隣にある調香室へと向かった。

 調香室には三台の調香台があり、どれも以前この建物を使っていた香水工房から譲り受けたものだ。


 使い込まれているがよく手入れされている飴色の調香台の机部分並んでいるのは、スポイトやビーカーや試験管などのガラス製品、そして試香紙ムエットを入れた瓶だ。

 

 レンゾは手に持っていた盆から調香台の棚へと茶色のガラス瓶を移していく。

 瓶にはそれぞれ白いラベルが貼られており、そこにはレンゾの流麗な文字で精油の名前や原材料の抽出部位と抽出方法と原産地が書かれている。

 

 たとえ同じ植物から抽出された精油であっても、その部位によって異なる種類の精油となるため、こうしてラベルに記して区別しているのだ。

 

(何もなかった私の調香台に、香りが揃っていく……)

 

 フレイヤは自分の新しい調香台に加わった瓶を見て、ほうっと感嘆の溜息をついた。


 カルディナーレ香水工房を解雇されて一度は何もかも失った彼女にとって、その光景は心にぽっかりと空いていた穴を埋めてくれるような、象徴的なものだった。

 

「ようやく調香ですね」

「ええ、久しぶりの調香でドキドキします」


 また調香できる嬉しさと、王族に献上する香水を作るという大仕事への緊張と不安が綯交ぜになっている。

 

「副工房長なら大丈夫ですよ。それに、これから俺と妖精たちが力を合わせて最高の調香台にしますから、素敵な香りをたくさん創ってくださいね」

「はいっ! 副工房長の名に恥じない香りを生み出していきます!」


 フレイヤは新しく用意していた白衣の袖に手を通す。白衣の前を整えると、心持ち背筋を伸ばした。


「それではさっそく、調香を始めますね」

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