第22話 企み

 フレイヤとシルヴェリオが香水工房を開くための物件を探していた頃、王都の貴族区画にあるカルディナーレ香水工房では、工房長であるアベラルドが大変荒れていた。


「なにもかも、あのルアルディのせいだ!」

 

 彼は工房長室にある豪奢な椅子にどっかりと座っており、苛立たし気に指で机を小突いている。

 目の前には部下らしき男性が委縮して立っている。アベラルドがまた癇癪を起すのではないかと、ハラハラとして彼の顔色を窺っていた。

 

「おい、ルアルディは見つかったか?」

「いえ……まだ――」

「まだだと?」


 低く唸るような声が言葉を遮る。男性は言葉を呑み込み、ぶるりと震え上がった。

 アベラルドが機嫌を損ねると、今度は自分が解雇されるかもしれない。その恐怖に頭の中が真っ白になりそうなのを堪え、深く頭を下げて謝った。

 

「も、申し訳ございません!」

「謝っている暇があるなら探して来い。ルアルディを見つけるまで帰ってくるな!」

「しょ、承知しました!」


 勢いよく返事をした男性は弾かれたように飛び上がると、すぐに部屋から出て行った。


「くそっ……どうして俺がルアルディごときで煩わせられているんだ!」


 フレイヤ・ルアルディを専属調香師にしたいという内容が書かれた王妃の手紙を受け取ったアベラルドは、翌日にはフレイヤをクビにして自分が王妃の専属調香師になろうとした。

 不当な解雇であるのにもかかわらず、彼はフレイヤが顧客に無礼を働いたから辞めさせたという嘘を王妃への手紙に書いた。そして自分が彼女の代わりになるという申し出も付け加えた。


「どうして俺だとダメなんだ。俺の方がルアルディよりも長く調香師をしているし、工房長という地位だってあるというのに!」

 

 事態は彼の思うようにはならなかった。フレイヤをクビにした翌日、王妃の使者たちが王宮からカルディナーレ香水工房にやって来て、フレイヤの居場所を教えてくれと言ってきたのだ。

 自分が専属治癒師になれるとばかり思っていたアベラルドは面食らったが、すぐに笑顔を取り繕った。そうして、彼女の居場所を知らないと言った後、再度自分を売り込んだのだった。

 しかし使者たちはアベラルドの言葉には耳を貸してくれなかった。彼らが探しているのはフレイヤ・ルアルディであって、アベラルド・カルディナーレではないのだ。

 今までずっと下に見てきた部下が自分よりも優遇されている状況に、アベラルドのプライドは大いに傷つけられたのだった。

 

「おまけに王宮の人間に余計なことを言った奴らのせいで、客足が遠のいてしまった。告げ口した奴らは探し出して、二度と調香師になれないようにしてやる!」

 

 怒りに任せて机を叩くと、数枚の書類がはらりと床の上に落ちた。それらはアベラルドが専属調香師として契約を結んでいた貴族から届いた、専属解約通告書だ。

 どうも従業員の中に、アベラルドがフレイヤを不当に解雇したことを王妃の使者に告発した人物がいるらしい。その人物のせいでアベラルドの行いが王妃の耳に入ってしまった。

 普段は温厚で微笑みを絶やさないと言われている王妃だが、アベラルドの行いを聞くや否や大変怒ったそうだ。カルディナーレ香水工房の香水は今後一切買わないと宣言したのを彼女の侍女たちが聞き、その話はあっという間に社交界に広まった。


「まったく……貴族の客が一人もいなくなってしまったではないか。こうなれば一刻も早く、ルアルディを見つけてあいつに弁明させないと……!」

 

 大量の上顧客を失ったアベラルドは、反省するどころかフレイヤを利用して名誉を回復しようと企てている。フレイヤを探し出して再び調香師として雇い、アベラルドが自分を解雇したのは根も葉もない噂だと言わせて王妃や貴族たちを取り込む算段だ。

 

「それにしても、王都を探しても見つからないし、故郷にもいないようだし……いったいどこにいるんだ?」

 

 アベラルドは従業員たちを使ってフレイヤを探しているのだが未だに見つからない。彼女の故郷であるロードンに送り込んだ従業員からは手紙が届いたが、フレイヤは実家にもいなかったと記されていたのだ。


 フレイヤを探しに来た従業員たちがロードンに着いたのは、フレイヤがシルヴェリオと一緒に王都へと発った日だった。彼らは行き違いになっていたのだ。

 しかしその真実を知らない従業員たちはロードンの街を彷徨ってフレイヤを探した。彼女の姉のテミスに聞いても、ロードンの街の人々を片っ端から捕まえて聞いてみても、誰もフレイヤの居場所を知らないと言う。もっとも、彼らはフレイヤに酷い仕打ちをしたカルディナーレ香水工房の人間にフレイヤの居場所を教えるつもりなんてさらさらなかったからわざと知らないと言ったのだが、事情を知らないアベラルドたちは焦った。

 

「この代償はきっちりと払ってもらうぞ、ルアルディ!」

 

 アベラルドが頭を抱えていると、扉を叩く音が聞こえてきた。彼が返事をするのを待たずして扉が開き、華奢で小柄な女性が部屋の中に入ってきた。

 女性はふんわりとしたラインが可愛らしい珊瑚色のドレスを着ており、ドレスと同じ珊瑚色の髪には大きなピンクダイヤがあしらわれた髪飾りをつけている。ぱっちりとした目の色は水色で、見る者の庇護欲を掻き立てるような愛らしい容姿だ。

 

「ねえ、アベラルド。話があるんだけど……いいかしら?」

「ベネデッタ……会いに来てくれたのか!」

 

 アベラルドは椅子から立ち上がると、ベネデッタ・カルディナーレ――彼の妻を抱きしめた。この妻こそがリベラトーレの後ろでカルディナーレ香水工房の調香師たちを縛りつけている存在。現セニーゼ商会代表の娘だ。

 二人の結婚は親同士が決めたものだが、アベラルドはベネデッタの可憐な振舞と愛らしい容姿に惚れて彼女に夢中になった。一方でベネデッタはというと、アベラルドの人柄や容姿ではなく地位に惚れていた。

 

 アベラルドは貴族ではないが、エイレーネ王国随一の香水工房の次期工房長だ。そんな彼の妻になれば、貴族ではなくとも贅沢ができるし、彼が父親のように男爵位を貰えば自分は男爵夫人になれる。

 ベネデッタには二人の姉がいるが、彼女たちは野心家な父親の駒となり貴族家に嫁いで苦労している。

 プライドの高い貴族がそう簡単に平民を一族に受け入れてくれるわけがない。二人とも貴族社会の洗礼を受けて身も心もすり減らしているらしい。だからベネデッタは貴族家に嫁ぐことを危惧していた。


(相手も実家と同じように裕福な平民なら好都合だわ)

 

 姉たちの話を聞いた打算的な考えを持つベネデッタは、楽に贅沢をしたいという理由だけでアベラルドのとの結婚を受け入れたのだ。

 

 しかし数日前、アベラルドが従業員を不当に解雇したという話が社交界に広まったせいで、ベネデッタの平穏で贅沢な生活が危ぶまれている。そこで彼女は実家の伝手を使って、アベラルドには内緒でフレイヤの行方を探していた。

 

「お父様の部下が、フレイヤ・ルアルディが貴族区画を歩いているところを見かけたそうなの。故郷から王都に戻ってきたみたい」

「なるほど……だからあいつの田舎に行ってもいなかったのか」

「実はね、シルヴェリオ・コルティノーヴィスと一緒にいたんですって。部下が気になって後をつけたら、二人は香水工房を開く場所を探して不動産屋と一緒に物件を見て回っていたんですって」

「ま、待ってくれ。シルヴェリオ・コルティノーヴィスといえば、あの冷徹な次期魔導士団長だろう?」


 噂好きの貴族を顧客に持っているおかげで、貴族の噂をよく耳にする。その中に、シルヴェリオ・コルティノーヴィスという名は度々出てきた。


 前コルティノーヴィス伯爵とその愛人との間に生まれた子ども。

 冷徹だが魔法の腕前と判断力が買われ、若くして魔導士団の副団長まで上り詰めた人物。次期魔導士団長として囁かれており、血縁の問題があるものの彼との結婚を望む令嬢が多いと聞く。

 

「ええ、間違いなくあのシルヴェリオ・コルティノーヴィスだったそうなの。なぜかわからないけど、あの子の支援者になったみたい」

「支援者だと……ルアルディは何を企んでいるんだ?」

「あなたの元従業員が何かを企んでいても、カルディナーレ香水工房は私とお父様が守るわ。だって国内の仕入れ先は全てセニーゼ商会が契約しているもの。お父様に言って、フレイヤ・ルアルディがいる工房には香料の材料を売らないようにしておくわ。これ以上、アベラルドが辛い思いをしているのを放っておけないから……」

「ありがとう、ベネデッタ。俺の天使……いや、女神だよ!」


 まさか平穏で贅沢な生活を維持するために協力してくれているのだとはつゆ知らず、アベラルドは感激したのだった。


「材料を手に入れられないなら、工房を開くのは諦めるだろう。その頃合いを見計らってうちに連れ戻せば万事解決だ」


 相手が貴族で次期魔導士団長であろうと、調香師の世界を知らない人間であれば自分の敵ではない。そう高を括ったアベラルドはすっかり上機嫌になり、仕事を部下たちに押しつけると、ベネデッタと一緒に買い物に出かけたのだった。

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