第20話 不自然な偶然

 昼食を終えたフレイヤとシルヴェリオは、平民区画にある不動産屋へ行った。

 そこはフレイヤが以前住んでいた集合住宅を契約した時にもお世話になった店だ。


 嵌め硝子の扉を開けて中に入ると、白髪交じりの老人の男がカウンターに座っており、眼鏡を持ち上げてフレイヤたちを見た。


「おや、この前退去しに来たお嬢さんじゃないか。今日はどうしたんだい?」

「ええ、実は王都で仕事を見つけたので戻ってきたんです」

「それは良かった。ちょうどいい物件が空いたから紹介しますぞ」


 店主はフレイヤの帰還を心から喜んでくれている。


(前にこの店に来たときは、泣き腫らした顔を見せてしまったもんね……)


 パルミロの店で思い切り泣いた後にここを訪ねたのだ。店主はフレイヤのために茶を淹れて、親身になって話を聞いてくれた。

 カルディナーレ香水工房をクビにされたフレイヤを不憫に思った店主は、フレイヤを励ましてくれたのだった。

 

「あの時はありがとうございました。ところで、以前住んでいた部屋にもう一度住みたいのですが、空いていますか?」

「う、うむ……実はお嬢さんが退去したその日のうちに決まってしまったよ」

「そうだったんですね。あの部屋は居心地が良くて気に入っていたので、少し残念です」

「ほ、ほら、こちらの物件もとてもいいよ。なんたって、家具付きの一軒家だからね!」

「予算が心もとないので、家を買うつもりではないのですが……」

「条件付きで借りられる一軒家だよ。庭の植物を手入れしてくれたら、前の部屋と同じ賃料で住まわせてくれるそうだ」

「一軒家を同額で、ですか?!」

 

 フレイヤは戸惑いつつ、店主が持ってきた書類に視線を落とす。

 書類に書かれている物件は、平民区画の中でも高級住宅街に分類される場所にある。治安が良い場所だが、住むのにはそれなりにお金が必要だ。

 

「ええと……入居条件は、庭にある植物の手入れ。花や果実は好きに収穫して構わない。家賃は入居希望者の以前の住まいと同額……」

「そうとも。いい条件だろう?」

「そうですけど……。住所を見る限り、平民区画の中でもとりわけお金持ちが住んでいる場所ですし、本来ならもっと高い賃料のはずです。それなのに破格の値段で貸してくれるなんて……まさか、曰く付き物件ですか?」

「とんでもない。この物件の所有者にとって思い入れのある場所だから、特別にこの条件で貸してくれるのさ」

「あの、とりあえず他の物件も紹介していただけませんか?」

「う、うむ……実は他の物件は全て入居者が決まってしまったんだ。だからこの物件しか残っていないんだよ」

「そんな……ここしか残っていないなんて……」

「ほっ、本当にいい物件だから、きっと気に入るはずだよ!」

 

 店主がそう言うものの、あまりにも好条件なものだから不安になるのだ。

 

 すると、先ほどまで沈黙に徹していたシルヴェリオがフレイヤの手元を覗き込む。

 

「フレイさん、その書類を見せてほしい」

「はい……どうぞ」

 

 シルヴェリオは注意深く書類に目を通すと、すっと目を眇めた。

 

「なるほど、貴族区画の近くにある場所なのか。それなら他よりも騎士団の巡回が徹底されている地域だから治安がいいのも納得できる。部下から聞いた話だと、平民が一軒家で住むにはそれなりの資金が必要らしいが、借家なら割安で住めるというわけか。……たしかに条件はいいが、話が良すぎて裏を探りたくなってしまうな」

「う、裏なんてありませんよ。本当にたまたま、この物件が貸しに出されたところにお嬢さんが来てくれたのです。カルディナーレ香水工房で苦労したお嬢さんのために女神様が用意してくださった物件に違いありませんな……ははは」

「なるほど。ちなみにこの物件の所有者は?」

「それは先方の希望もあって伏せています」

「……そうか」

「けっ、決して怪しい方ではございませんのでご安心を!」


 店主はベストのポケットからハンカチを取り出すと、額に浮かぶ汗を拭った。シルヴェリオから鋭い視線を飛ばされているせいで脂汗が止まらないのだ。


「フレイさん、悩んでいるのであれば他の店にも言ってみよう」

「う~ん、実はこの店が王都で一番多くの物件を取り扱っているんです。ここで他の物件がないのであれば、他の店もないと思います」

「なるほどな……君さえよければ、しばらくはうちの屋敷タウン・ハウスに泊まるといい。姉上に言えば客室を貸してくれるだろう」

「いっ、いえ、豪邸の中にいると緊張して寛げないので、遠慮します!」

「……君、今までで一番大きな声を出したな……」

「あ、あの、決してシルヴェリオ様の家が嫌なのではないんです」

 

 本音を言うと、貴族の家に住まわせてもらうなんて心臓に悪いのだ。

 ましてやコルティノーヴィス伯爵家は実家を治める領主の家門。そんな雲の上の人たちの家で粗相をしてしまったらと考えると、生きた心地がしない。

 

(それに、豪華で広い部屋にいると落ち着けないから……それなら、一軒家でも平民区画にある家の方が落ち着くはず)


 たとえ数日過ごしてもきっと、あの豪華絢爛たる空間には馴染めないだろう。

 生まれながらにして貴族だったものなら気にしないだろうが、物心がついた頃から平民として育てられたフレイヤは違う。昨夜の宿泊で、身をもって悟ったのだ。

 

「これも何かの縁なので、この物件にします」

「おお、そうかいそうかい。お嬢さんならきっと庭の植物を大事にしてくれるだろうから、この家の所有者が喜ぶだろうよ」


 店主は顔を輝かせると、フレイヤの気が変わらぬうちにと言わんばかりの勢いで書類や鍵を用意した。

 フレイヤが契約書に署名して賃料を支払うと、安堵した笑みを浮かべる。


「それでは、お嬢さんを新しい家に案内しよう」

「よろしくお願いします。シルヴェリオ様はいかがしますか?」

「君がいいのであれば俺もついて行く。部下が住む場所が安全か確認したい」


 シルヴェリオが探るような目で店主を見つめる。冷徹な次期魔導士団長の眼差しだ。

 

「も、もちろん安全ですとも。さあ、行きますぞ!」


 フレイヤとシルヴェリオは店主に連れられ、契約した家の前に辿り着いた。

 件の家は門から玄関までの間に庭があり、色とりどりの花が咲いている。果物の木もあり、まだ青いが実がついている。


「立派な庭……ちゃんと手入れできるか不安です」

「お嬢さんならきっと大丈夫だよ――さあ、中に入ろう」


 フレイヤは庭の先にある一軒家を見上げる。

 王都にある他の建物と同様に、橙色の屋根を持つ新しい住まいは、想像していたよりもこぢんまりとしていて住みやすそうだ。

 壁にはカスタードクリームのような温かみのある色の漆喰が塗られており、開き窓の枠に塗られた深緑色との対比が美しい。

 おまけに玄関の扉には嵌め殺しのステンドグラスがあり、陽の光を受けてきらりと輝いている。


(本当に今日から、この家に住むの……?)

 

 もう契約したというのに、未だに実感が持てない。

 不動産屋の店主に促されて家の中に入ったフレイヤは、ほうっと感嘆の溜息をついた。


 室内の壁は全て白い漆喰が塗られており、明るい雰囲気だ。

 机や壁の取り付け棚には無垢材が使用されているのだが、どちらも手入れされており、新品のように綺麗だ。

 

「あの、この家の所有者はいつまでここに住んでいたんですか?」

「ずっと昔だったそうだよ。思い出の場所だから取り壊さずにおいていたそうだ」

「家の中も庭も綺麗に手入れされていますし、本当に大切にしている場所なんですね」

 

 そのような大切な場所を貸してもらうのだから、自分も丁寧に手入れしよう。そう誓うフレイヤの言葉に、不動産屋の店主は嬉しそうに目を細めた。

 

 フレイヤたちは全ての部屋を見て回った。

 居間と寝室と客室、台所や風呂場や洗濯所――。どの部屋も綺麗に整えられており、入居前に掃除してくれていたようだ。


「あの、この家の所有者にお礼を言ってもらえませんか?」

「お礼?」

「こんなにも綺麗に整えてくださっていて感激したんです。だからぜひお伝えください」

「君は本当にいい子だね。その言葉を聞いたら、きっとあのお方も喜ぶよ」

 

 案内を終えた不動産屋の店主は、玄関でフレイヤたちと別れた。

 彼女たちが見えなくなるところまで離れると、彼は安堵の息を吐いた。


「ふぅ……、若いお貴族様に睨まれたときはどうなることかと思ったが、無事にあのお方からの依頼を終えられたよ」


 店主は店に帰ると、一通の手紙を書いた。

 宛名は前イェレアス侯爵ことロドルフォ・イェレアス。彼から受けた依頼を終えたという旨を簡単に書くと、魔法で外に飛ばした。


「まさかあのお嬢さんのためだけに前イェレアス侯爵様が密かに所有していた家を貸すとはね……。お貴族様はやることが派手だから驚かされるわい……」


 店主は目を閉じ、数日前のことを思い出す。

 急にイェレアス侯爵家の使用人を名乗る男が現れると、前イェレアス侯爵様が所有する物件をフレイヤ・ルアルディにだけ貸してほしいと頼まれたのだ。

 なんでも、フレイヤ・ルアルディへの恩返しのためらしい。


「そういえば、あのお嬢さんはカルディナーレ香水工房の現状を聞いただろうか?」


 店主は口ひげを撫でると、窓の外を眺める。そこには雲一つない晴天が広がっており、今日から始まるフレイヤの新しい生活を祝福しているかのような天気だ。

 

「因果応報というのは本当にあるんだねぇ。女神様は私たちのことをよく見ておられる……」


 そう言い、胸の前で手を組んで女神に祈りを捧げたのだった。

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