第15話 用意周到な上司

 薬草雑貨店エルボリステリアルアルディを出たフレイヤとシルヴェリオは、コルティノーヴィス伯爵家の領主邸に着いた。

 領主邸はローデンの街を一望できる高台にある、海のような深い青色の屋根と白い石造りの壁の対比が美しい建物だ。

 庭園にはいくつものバラが植えられており、領民から献上された珍しいバラの品種を保管するための温室もある。

 

(わぁ、いつ見ても荘厳……)

 

 フレイヤは白亜の領主邸を見上げて感嘆の息を吐いた。

 ここを訪れるのは久しぶりだ。幼い頃は年に一度、花祭の最終日に領民たちのために庭園を解放してくれる日に行くことがあったが、そうでなければここに入る機会がない。

 

 シルヴェリオが門番に話しかけると門が開き、彼の帰りを待っていた使用人たちが揃って出迎えてくれた。

 大勢の使用人に迎えられるという新しい体験にフレイヤが恐縮していると、この邸宅の執事頭らしい貫禄のある男性が、一歩前に出て二人に話しかけた。

 

「おかえりなさいませ、シルヴェリオ様。そしてルアルディ様、ようこそお越しくださいました」

「出迎えご苦労。王都行きの準備はどうだ?」

「すでに終えております。例のものも用意できておりますよ」

「仕事が早くて助かる。フレイさん、馬車の準備ができているからこのまま乗り込んで王都へ行こう」

「はい――って、あの……もしかしてシルヴェリオ様と二人で馬車に乗るのでしょうか?」

「そうだが?」

「……!」

 

 てっきり自分は乗合馬車で王都に戻るものだとばかり思っていたフレイヤは、盛大に狼狽えた。


 いくらシルヴェリオ様が元上司のアベラルドより従業員思いな一面があるとはいえ、貴族と一緒に馬車に乗るなんて気まずい。緊張して胃が痛くなるに違いない。


「お気遣いは嬉しいのですが、私は平民ですので同じ馬車に乗るわけにはいきません。今から乗合馬車の停留所へ行くので、シルヴェリオ様は先に王都へ行ってください」

「王都行きの乗合い馬車は本数が多くないから捕まえられなかったら今日中に出発できないぞ。おまけに、いくつもの停留所に立ち寄るから遅くなる。それならうちの馬車に乗った方が早く着くだろう?」

「そ、そう……ですね」

「途中で泊まる宿代はこちらで持つから安心してくれ」

「え、ええと……」

 

 フレイヤは言葉を詰まらせた。不安なのはそこではないが、そのことをシルヴェリオに言うのは気が引ける。

 もちろん、シルヴェリオの指摘はもっともだ。ローデンと王都を結ぶ乗合馬車の便はさほど多くない。おまけに王都直行便ではなく数カ所の街を通っていくから三日かかるのだ。

 コルティノーヴィス伯爵家の馬車に乗ると、遅くても二日で王都に着くだろう。

 

(だけど、ずっと二人きりなのはちょっと……気まずいよ)


 シルヴェリオは口数が多い方ではないから、馬車の中は静かになるはず。その沈黙に耐えられる自信がない。

 

 どうにかして別々に行動しようと頭を捻るフレイヤだが、シルヴェリオが納得する言い訳が思いつかない。

 そうしている間に、シルヴェリオが新たな一手を投じてきた。

 

「うちの料理人が君のために菓子を用意してくれているから食べるといい」

「うっ……」

「君の好みがわからなかったから、たくさん用意している。俺は食べないから君が食べてくれないともったいない」

「~~っ!」


 せっかく用意してもらった菓子を無駄にするわけにはいかない。しかし、二日間も貴族と同じ馬車に乗るのは気が重い。

 菓子と心の平穏の間に揺れるフレイヤの目の前に、シルヴェリオの手が差し出される。


「さあ、菓子が待っているからもう乗ろう。食べ物は出来立てが一番美味い……だろう?」

「~~っ、食べ物で釣るなんて狡いです!」


 口を突いて出てきた言葉に、周りにいた使用人たちがどよめく。

 今までシルヴェリオに対してそのような物言いをした者がいなかったこともあり、驚いたのだ。

 フレイヤはというと、己の失言に気づいて口元を覆い、恐る恐るシルヴェリオの顔色を窺う。

 

 これがアベラルドなら、顔を真っ赤にして怒鳴ってくるだろう。しかし新しい上司のシルヴェリオは、深い青色の目を数度瞬かせただけで、怒りの色は見えない。

 

「俺が狡い……か」

「も、もも、申し訳ございません!」

 

 淡々とした声で呟くシルヴェリオの感情は、やはり読めない。

 深々と頭を下げて謝るフレイヤの耳元に、シルヴェリオの笑い声が落ちてくる。

 

「ははっ、狡いなんて、生まれて初めて言われたな」

「私の失言でした。大変申し訳ございま――」

「なぜ謝る? 君を菓子で釣っているのは事実だ。さあ、もう出発するぞ」


 促すように近づけられた手に、フレイヤは渋々と自分の手を重ねる。

 

 そうしてフレイヤを馬車にエスコートするシルヴェリオを、使用人たちは温かな眼差しで見守っていた。

 彼らはシルヴェリオが笑っている姿を見たことがなかった。シルヴェリオ・コルティノーヴィスは子どもの頃から表情が乏しく、どことなく影を背負っているような雰囲気を纏っていたのだ。

 そんな彼が心を開き、笑顔を見せられる相手と出会えたことを嬉しく思っている。

 

「シルヴェリオ様の雰囲気が変わりましたね」

「ええ、あんなにも柔らかな笑顔を見たのは初めてです」


 愛人の子どもというレッテルのせいで肩身が狭い思いをしたシルヴェリオを、自分たちでは助けてあげることができずやるせない思いでいっぱいだった。

 歳月を重ねるにつれて彼の抱える影が濃くなり、今にも押しつぶされそうになっている姿を、ただ見守ることしかできなかったのだ。


 これからは幸せになってほしい。そう願う使用人たちは密かに、シルヴェリオとフレイヤが想いを通わせ合う仲になってくることを願うのだった。

 

 そんな中、離れた場所から二人のやり取りを見守っていた男が一人、不敵な笑みを口元に浮かべていた。シルヴェリオの姉の秘書――リベラトーレだ。


「あのシルヴェリオ様が笑うなんて……しかも女性と親しそうに話しているなんて……これから大嵐でも起きるんじゃないか?」


 これまでは浮いた話の一つもなかったシルヴェリオだが、容姿端麗で次期魔導士団長という肩書もあることから、貴族令嬢からモテているという話は耳にしていた。中にはヴェーラに釣り書きを送ってシルヴェリオとの縁談を申し込んでくる家門もあったが、シルヴェリオが断っていたからその話は流れた。

 そのようないきさつもあり、一時期は女性嫌いではないかという噂が流れていたものだ。


「それにしても、フレイちゃんはなかなか面白い子だね。もっと知りたくなったよ」


 リベラトーレは鼻歌交じりにフレイヤの調査書を取り出すと、その束に口付けを落とした。

 

「今回の調査報告を聞いたら、ヴェーラ様はどんな表情になるかな?」


 初めて出会った時からリベラトーレの心を掴んで放してくれない主――ヴェーラ・コルティノーヴィスの、泰然としていて美しく完璧な微笑を崩してやりたい。

 そんな仄暗い願いを胸に、彼はヴェーラの手となり足となり、彼女を補佐している。


「今帰りますよ、ヴェーラ様」

 

 ようやく愛しの主のもとに帰れる喜びを胸に、リベラトーレはその場を離れた。

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