第13話 お守りとサンザシの花言葉

「長らく邪魔をして悪かった。そろそろ失礼する」


 シルヴェリオは誓約魔法を自分にかかっていることを確認すると、フレイヤとハルモニアにそう告げた。

 無事にフレイヤとの契約にこぎつけられたから、ここにはもう用がない。


「フレイさん、契約書を貰いにまた明日、店に行く」

「……わかりました。今日中に署名しておきますね」

「ああ、そうしてくれると嬉しい」


 フレイヤが契約書に署名をする――彼女が自分の調香師になる覚悟を決めてくれたのだと改めて実感したシルヴェリオは、密かに安堵した。


 シルヴェリオはまたもやフレイヤに丁寧に礼をとると、踵を返して去っていった。

 フレイヤとハルモニアは二人並び、遠ざかる背中を見送る。

 

「シルヴェリオ様って、初めて会った時は不愛想で冷たい人だと思っていたけれど……友人のために命を懸けたり私を雇ったり、平民の私に対しても紳士的に接してくれるから、本当はいい人なのかもしれない」

「……ああ、そうかもしれないね」

「今度の職場なら、上手くやっていけそうな気がする。……まだ少し、不安だけど」

 

 カルディナーレ香水工房での悲しい思い出が、フレイヤを弱気にさせる。

 心に負った傷は、ひとたびできればそう簡単には消えず、じくじくとした痛みを残してしまう。そうしてフレイヤの前に何度も現れては、彼女の決心を妨げようとするのだ。


 一歩を踏み出さなければならない。だけど、怖いから引き返したい。

 相反する気持ちに苛まれたフレイヤは、唇をきゅっと噛んで俯く。

 

 そんなフレイヤの姿を見たハルモニアは、おもむろに自分が身につけていたネックレスを外すと、彼女の首にかけた。

 ネックレスにつけられているのは、ハルモニアの目の色と同じ水色の透明な石だ。すべすべになるまで磨かれたその石の真ん中には、見慣れない模様が彫られている。

 

「フレイにお守りをあげる。この石には呪いから守ってくれる力があるんだ。石を加工してくれた小人族ドワーフが魔法を付与してくれたんだよ。紐に使っているのは一角羊の毛だから、あらゆる毒を無効化してくれる。そこに私の祈りを加えるよ。フレイの仕事が上手くいくようにね」

「そんなにも特別なネックレス、貰えないよ」

「フレイに必要だと思ったからぜひ受け取ってほしい。調香師になった記念に受け取って?」


 そう言い、ハルモニアが切実な眼差しを向けてくるものだから、返しづらくなってしまった。


「本当に、いいの?」

「うん、フレイが持ってくれていると嬉しい」

「……ありがとう。大切にするね」

 

 フレイヤが水色の石を両手で大切そうに包み込むと、ハルモニアは眩しそうに目を眇めて彼女を見つめた。


 ハルモニアがフレイヤに贈ったネックレスは、本来なら伴侶に贈る求愛の証だ。

 成人した半人半馬族ケンタウロスは精霊界へ行き、そこにある川の畔で自分の目の色と同じ魔法石を見つけて持ち帰ると、小人族ドワーフに加工をしてもらう。そうして出来上がった石に自分の印を刻み込み、伴侶と交換するのが習わしだ。

 

 そのネックレスを贈るということは、フレイヤに告白すると同時に、彼女だけを愛するという意思表示でもある。

 フレイヤは半人半馬族ケンタウロスの結婚事情もハルモニアの気持ちも知らない。それでもハルモニアは、どれだけ手を伸ばしても届かない大切な人に自分の証を渡せた喜びで胸を満たした。

 

「ハルモニア、あのね……実はハルモニアの長就任を祝いたくて、食器やジュースを持って来たの。ケーキは……店でシルヴェリオ様を見つけた時に逃げてしまって、買いそびれたんだけど……シルヴェリオ様から貰ったこのケーキ、一緒に食べよ?」

「ああ、ありがとう。向こうにいい切り株があるから、そこに座ろう」

「こんなにも素敵な贈り物を貰ったのに、私が用意したのは食器とジュースだけなんて格好がつかないなぁ」

「いいや、フレイが私を祝おうとしてくれた気持ちが何よりも嬉しいよ」

 

 二人は森の中を進み、開けた場所に辿り着いた。そこには確かに、フレイヤが座るのにちょうどいい切り株がある。

 持ってきたバスケットをその上に置いたフレイヤは、くんくんと鼻を動かして辺りの匂いを嗅ぐと、近くにある茂みに走り寄った。

 そこにはミントが群生しており、フレイヤは少しだけそれを摘むと、ハルモニアのもとに戻ってくる。


「魔法で綺麗にするから、リンゴジュースの中にいれよう。爽やかな香りがして、ジュースがもっと美味しくなるよ」


 フレイヤはミントに浄化魔法を使うと、グラスに注いだリンゴジュースの上に浮かべた。そして持ってきた皿の上に、シルヴェリオから貰ったケーキを置いて切り分ける。

 ケーキはイチジクやラズベリーと砕いたナッツがスポンジにぎっしりと詰まったパウンドケーキで、雪のように白いアイシングがかかっていて美味しそうだ。

 

「このケーキ、ロードンですごく人気なんだよ! 久しぶりに食べれて嬉しい!」


 フレイヤはふにゃりと笑うと、持ってきたナイフでケーキを切り分け、フォークを添えてハルモニアに渡す。

 二人は並んで座ると、片手にグラスを持って向き合った。


「ハルモニア、長就任おめでとう」

「フレイヤは専属調香師に就任おめでとう」

 

 お互いを祝う言葉を述べて、グラスをかちりと合わせた。

 グラスを傾けてリンゴジュースを飲むと、ミントの清涼感のある香りが仄かに感じられる。


「昔もこうやって、お互いの誕生日を祝ったね」

「ああ、フレイはいつもこのリンゴジュースとケーキを持って来てくれたね」


 その時、ふわりと風が吹き、二人の間を通り抜けた。

 フレイヤは風上に顔を向けて、ぱっと目を輝かせる。


「ねぇ、見て。サンザシが咲いているよ」

「ああ、本当だ。フレイがこの花をたくさん集めて、水と一緒に瓶の中に入れていたことがあったね」

「そうそう。サンザシの香り水を作りたかったの。あの頃は水の中に花を漬けているだけで香り水ができると思っていたんだよね」


 サンザシは春から初夏にかけて開花し、甘い香りを楽しませてくれる。その実は酒や菓子の材料はもちろん、薬にも使われる万能の実だ。そのため秋になると、半人半馬族ケンタウロスたちが収穫してロードンの住民たちに売ってくれる。


「懐かしいな……」


 ハルモニアは小さく呟くと、立ち上がってサンザシの木に近寄る。少しだけ花を摘んで、フレイヤに手渡した。

 

「王都に戻っても、この香りを忘れないで」

「ありがとう。そういえば、サンザシの花言葉は希望……だったね。押し花にして、これもお守りにするね」

「……フレイがこの先、幸多い道を歩けるように、ずっと祈っているよ」


 ケーキを食べ終わり、とりとめのない話をしている間に陽が傾き始めた。暗くなる前に、フレイヤを人里に帰さなければならない。

 ハルモニアは名残惜しい気持ちを隠し、フレイヤを森とロードンを繋ぐ入口まで送り届けた。


「フレイ、どうか元気で」

「ハルモニアもね。王都のお土産を持って来るから、楽しみに待っていてね」

「ああ、待っているよ。ずっと……」


 そう言い、ハルモニアはフレイヤを見送った。彼女の姿が見えなくなると、胸元にそっと手を当てる。今までネックレスが下がっていた場所だ。

 

「サンザシには『唯一の恋』という花言葉もあると言えば、気づいてくれただろうか……」

 

 掌にはまだ、サンザシの甘い香りが残っている。

 ハルモニアは自分の唇に掌を近づけ、そっと口づけた。

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