第29話 迷子のミカラちゃん

「ぬぅ。ここまで濃い酒の精霊は初めてじゃの」


ハイエルフの姫が呆れたように呟く。

人間の魔術の概念では、土・水・火・風の4属性と光と闇の2つを加えた6属性を基本としている。

エルフたちの持つ森羅万象への精霊信仰は、万物全てにそれぞれの精霊が存在する事となっている。

人間の町の夜の歓楽街には色と欲が溢れており、ミルティーユの感覚的には、それぞれに精霊が宿っている。

なかでも1番、酒の精霊の力が強い。

もちろん、ミルティーユには酒の精霊を打ち負かす手段がある。

風で酒の精霊を吹き飛ばし、町中に大木を生やして回ればいいだけだ。


(しかし、それはさすがにできんしのぉ)


「むむむっ!旦那様が女とお酒飲んでる気配がします!」


マハナが第六感を発揮している。


「ん〜主様いないね?」


シャプティも手詰まりだ。

そもそも男性向け風俗店には女性は立入禁止だったりするので、おいそれと中に突撃する訳にもいかない。

3人のエルフが途方に暮れる。

そんな時、小綺麗な身なりの男たちが話しかけてくる。


「やぁ、エルフのお嬢ちゃんたち。どうしたんだい?こんなところで」


酔っ払いのナンパとは違い、何処か洗練された所作だ。

冒険者のそれとはまた違うが、荒事慣れしている気配もある。


(ん―?人間の男じゃの。婿殿とはやはり違うの)


客観的に見れば、くたびれた格好のやさぐれた盗賊職の男よりは、目の前の男たちの方が顔も衣服も良い。


(人間だね)


しかし3エルフたちには特に感想は無い。


「すみませんが今忙しいのですぐに消えてくださいませんか?」


マハナがニッコリ笑って辛辣に言い放つ。

男たちは一瞬鼻白むが、めげずに声をかけ続けようとし・・・


「おい、そんなとこで女ひっかけてる場合じゃねぇぞ!」 


背後から走ってきた年配の男の呼びかけに振り返る。

何やらトラブルらしい。

ミルティーユたちには関係無いのでその場を離れようとするが、さらに重ねられたセリフに足を止める事になる。


「ミカラのヤツ逃げやがった!」


その名前を聞き、3人のエルフ族の耳がぴくぴくと動いた。










少女は家出をした。

最初は、ちょっとした積み重ねだった。

お稽古事が急に増えだした頃から、少し歯車が狂い出した気がする。


(うちなんて名ばかりの没落貴族じゃない)


お家再興に躍起になってる両親に、音楽にダンスに絵画にと、あらゆる教養を身に着けさせられた。


(私は剣を振ってたいのに・・・)


元々は武功により名を上げた名家でもあったらしく、亡くなった祖父からは剣や護身術を教わった。

大好きだった祖父。

葬式では泣きに泣いた。

もしもあの両親が死んでもあそこまで泣けないだろう。


(学校なんて別に行きたくないのに)


王都にある貴族の子女向けの学校への入学が決められた。

下町の友達と別れるのは寂しかったが、学校でまた友達は作れば良い。

彼女は前向きに考える事にした。

しかし・・・


「投資に失敗した」


「貴女へのお稽古事にもかなりお金がかかったのよ?」


「あの商人め、絶対に儲けると言ってやがったくせにっ!」


「ね?貴女の幸せのためなのよ?」


「王都の学園にはもう入学金を全額支払っている。返金は無い。だが、進級した時の学費の蓄えが無い」


「ね?この方は奥様を亡くされて日が浅いけど、幼子を抱えて大変苦しいの。そんな方を支えられる事が、貴族令嬢としての、女としての幸せだと思うの」


「ちっ!成り上がりの守銭奴じゃ我が家の家格とは釣り合わないが、背に腹は代えられん。子供は女だったはずだ。早く男を生んで世継ぎを育てろ」


「そうよ。あの方、王都にも別宅があるの。貴族令嬢なのだから婚約者が居てもおかしくはないから平気よ。これでお家賃がかからずに通学できるわね。旦那様が別宅にいらっしゃった時は可愛がってもらいなさいね?」


「お前はもう無理だ、先は無い。早く男を生め。そうだな・・・ 学校で高位貴族と顔繋ぎしておけよ。孫が出来たらそこからまた血縁関係を拡大できるからな」


もう、無茶苦茶だった。

意味不明だった。

学費や習い事、投資の失敗の補填のために、親より年上の貴族に輿入れさせる?

前妻が亡くなったのは、嫌嫌行かされたお嬢様たちのお茶会で聞いた。

平民のメイドを無理矢理手籠めにして子供を生ませた後、それを実子として育てさせようとした奥方が発狂して病死したらしい。

本当に病死だろうか?

件の子供の母親であるメイドは、その貴族の専属メイドとして、毎日主人の世話をさせられているらしい。


「ああ、もういいや」


少女は全てが嫌になり、家を飛び出した。

そこからはよく覚えていない。

夕方の町へとやってきた。

友達の家に泊まる事も考えたが、迷惑をかけられないので躊躇する。

女神教の教会なら、身寄りの無い子供たちを助けてくれる。

しかし彼女には身寄りもあるし、暖かいベッドで毎日寝て、ちゃんとしたご飯を毎日食べていた。

我が身の不幸を嘆きたいのに、自分こそ1番不幸だと叫べない矛盾。

気づけば夜の歓楽街をとぼとぼ歩いていた。

小綺麗な男たちに声をかけられ、言われるがままについていった。

宿屋のような建物に入った。

女の人の変な声があちこちから聞こえてくる。

しばらくすると、年配だがガッシリした男が現れた。

名前を聞かれ、帰る場所は無いと答える。

すると突然その男に押し倒され、衣服を脱がされた。

我に返った時には、男を側にあった燭台で殴り倒していた。

逃げた。

そこからはよく覚えていない。

気づけば橋の下で身を縮めて息を殺していた。


「わたし、どうなっちゃうのかな?」


白馬の王子様など助けにこない。

むしろ、手を出して相手を怪我させたのは彼女の方なのだ。

衛兵に捕まったら牢屋に入れられるかも知れない。

家に連れ戻されるかも知れない。


「死んじゃおっかな・・・」


土手を登り橋の上へと上がって、川に飛び込めば人生を終わりに出来る。

少女が自暴自棄な考えを思い浮かべる。

そんな時・・・


「見つけたぞ、てめぇ・・・このガキィ」


橋の下に、あの年配の男が現れた。

頭に布を巻き、目を血走らせている。

反射的に逃げようとしたが、反対側にも男たちが現れる。


「ちっ!ムカツクが顔はまずい。おい、お前ら抑えてろ。今この場で教育してやる」


「いやっ!はなし・・・むぐっ!」


布で口を塞がれ、地面に身体を押さえつけられ固定される。

借金で買った綺麗なドレスが泥塗れになる。


(やだやだもうやだっ!誰か助けて―――!)


年配の男が体の上に覆いかぶさってくる。

酒臭い息に吐き気をもよおす。

ゴツゴツした指に乱暴に下着をずりおろされ、少女が心の中で絶叫する。

その時―――


ゴオッ!


風が逆巻き、川の水が吹き上がる。


「うわっ!」


「ぎゃあっ!」


男たちは次々と川に放り込まれた。

別に雨上がりの増水した川ではないし、実は足もつく。

溺死もしないだろう。


「え?え?な、なに・・・?」 


呆気に取られる少女の元へ、3人の人影が現れる。


「なんじゃぁアイツら?婿殿の元に案内させようと尾行してたのに変な道草食いおってからに」


小柄なエルフの女の子が現れた。

身体の周囲に水の輪が出来ていて、緑の髪も風も無いのにバサバサとなびいている。


(今の魔術・・・この子が?)


「んー、1人捕まえて拷問でもしましょうか。・・・ 貴女大丈夫?立てます?」


ハーフエルフの少女が現れ、上着を肩にかけてくれる。

ちなみにその上着は、さっき川に吹き飛ばされた連中の1人の、飛んでく最中に脱げて落とした物だった。


(優しい声、優しい手・・・)


「いいんじゃない?この娘に聞けばさ」


豊満な肉体のダークエルフが彼女の手を握って、立ち上がらせてくれる。


(うわあ。すごい大っきい)


少女は自分の貧相な胸を見下ろす。

まだ成長期が来てないだけだ。

たぶん。


「そういえばそうじゃの。ところでお主、名はなんという?」


リーダー格なのだろうか。

1番小さく見える女の子が、問いかけてくる。

エルフは見た目より年齢が高いと聞く。

もしかするとすっごい年上なのかも知れない。

少女は、震える身体でなんとか立つ。

この震えは、決して恐怖からではない。

流れる涙も、絶望からでは決してない。

その時、丁度昇り始めた朝日が、夜の闇を薙ぎ払っていく。

自分のピンチを救ってくれた3人のエルフに、少女は震える声で名乗る。


「わ、わたしはミカラ。ミカラです。危ないところを助けいただひっ・・・ありがひょぉ、ございまひゅっ」


溢れてくる涙を止められず嗚咽を漏らすと、ハーフエルフが背中を撫でてくれ、ダークエルフはハンカチをくれ、エルフの女の子はお菓子をくれた。










「おはようルーナ。お寝坊なんて珍しいじゃない?」


同僚の受付嬢がニヤニヤしながら挨拶してくる。


「ごめんなさい。ちょっと飲み過ぎちゃって」


ルーナは二日酔いに効くハーブティーを淹れると口に含む。

同僚がつつつと近寄りコソッと話しかけてくる。


「で、どうだった?あの男といたんでしょ?」


「さぁ、何の事かしら?」


(やっば。見られてたか〜〜〜)


ギルドから間近の酒場に入ったのは失敗だった。

冒険者と受付嬢の色恋はやはり多く、特に制限は無い。

ただ、他の冒険者との公平性を保つため、恋仲であるとバレると担当を外されたりもする。


「ミカラだっけ?あれ?そういえばミカラって・・・」


「ああ、そういえばあったわね。迷子のミカラちゃん」


「迷子ってゆーか、家出ね」


やたら尊大な態度の貴族の夫婦が、迷子になったミカラという娘の捜索依頼を出してきた。

迷子というか、明らかに家出だ。

衛兵に頼まないところから、両親に後ろめたいなにかがあるのは明白だった。

ミカラは女性名でも通じる中性的な名前である。

母音がアで終わる名前は総じて女性名である事が多い。

昨夜ルーナの事を散々に抱き尽くしたあの男も、普通ならミカラではなくミカロとかいった名前になる。

しかし特に名付けに法的制限は無い。

国によっては王族と同じ名前や、魔王と同じ名前などは忌避されるだろうが。


「ミカラちゃん、見つかったの?」


「あはは、それがね。あのご両親、クエスト依頼の手付金も支払えなくて、キャンセル扱いになったわ」


同僚が苦笑している。

他に何かあったのだろうか?


「冒険者になりたいんです!お願いしますっ!」


ロビーに響く元気な女の子の声。


「あのね、お嬢様。さっきから何度も言ってるけど、そう甘い世界じゃ―――」


「わかってます。でも、今度こそ私は自分の手で自由を勝ち取りたいんですっ!」


目をキラキラさせて真っ直ぐに受付嬢を見つめる泥塗れのドレス姿の少女が1人。


「もしかして、あの娘?」


「そ、迷子のミカラちゃんよ」 


冒険者ギルドのロビーにいる全員の視線を受け止めながら、少女ミカラは決心する。


(あの人たちみたいになりたいっ!)


自分を助けに颯爽と現れた3人のエルフの女冒険者の姿を思い出す。

白馬に乗っていなかったし、王子様でもなかった。

しかし彼女たちは、ミカラにとって間違いなく救世主だ。


(そういえば、私と同じ名前の仲間がいるんだっけ?)


口ぶりからして、3人がとても信頼してるのがわかった。

自分と同じ名前なのに、なんて凄い女の人なのだろう。

きっと、伝説の女勇者ベオウルフのように強くてカッコいい人に違いない。


「いつか会ってみたいなぁ、ミカラさん」


たまたま支部長会議に参加していたとあるギルド支部長のエルフが、『ミカラというヤツが騒いでる』と聞いて慌てて顔を出すまで、その少女は居座っていた。

ミカラという名の新米女冒険者が活躍し始めるのは、もう少し先の話である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る