赤槍の少女と氷の河

あげあげぱん

第1話 起

 昔々、僕がまだ四歳の幼子だった時。


 その頃の僕はまだ遊んでばかりで、父の雑貨屋を手伝うようなことはなかった。


 母は僕が物心のつく前には亡くなっていた。だから、僕は母の顔を覚えていない。


「おとーさん。遊ぼ」

「ううむ。今はちょっと大変なんだが……よし、少しだけお前の相手をしてやるから、続きはまた少し待ってくれよ」

「うん!」


 四歳の僕はまだ言葉も拙くて、毎日のように父にそう言っていた。父は困りながらも、よく相手をしてくれたのを覚えている。


 僕の遊び相手は父ばかりだったが、冬が来るともう一人、僕の相手をしてくれる人が居た。彼女はミラ・カーという名の少女で冬の時期にだけ、僕らの住む村へやって来ていた。


 ミラは十六歳くらいの見た目で長い黒髪が綺麗な子だった。彼女はいつも赤い長槍を持っていて、店に来るたびに山で狩ったという獣を父の店へ売りに来た。その代わり、彼女は村の誰も買わないような本を何冊も買う。それが毎年のお決まりだった。


 彼女が村に来るのは夜だけで、そんな彼女のために父は冬になると遅くまで店を開いていた。


「店主さん、あなたが本を用意してくれるおかげで私は春から秋までの間、暇をせずに済んでいるわ。本当に感謝しているのよ」

「昔からの常連様ですから、毎年あなたのために本を用意して待ってるんですよ」


 彼女へ本を売る代わりに、彼女からは肉を買う。その肉は僕たちが冬を越す助けになる。それに彼女は店に来るたびに僕の遊び相手になってくれる。だからなのか、父は他のどの客よりも彼女には丁寧に接していた。


「ミラ。遊ぼー」

「良いわよ。ハンス君。お姉さんと遊ぼう」


 ミラはいつでも頼めば遊んでくれた。よく店の外で一緒に雪だるまを作ったのを覚えている。


「いつも、うちのハンスの相手をしてもらってありがとうございます」

「良いのよ。店主さん。それとも、あなたも一緒に私と遊ぶ? 昔みたいに雪だるまでも作って」

「私はもうそんな歳ではありませんよ。ハンスと遊ぶのも大変で」

「ふふ、あなたのお爺様も昔、同じようなことを言っていたわね」


 その頃の僕は彼女と父との会話の意味をよく分かっていなかった。ただ、なんとなくは彼女が見た目通りの年齢ではないことを察していた。僕は彼女のことを、いつだったか父が話してくれたエルフという種族だと思っていた。大陸の東にある深い森に住むという長命の種族だ。


 結論から言うと、ミラはエルフという種族ではない。彼女はエルフのように長い耳は持っていなかったし、エルフの魔法を使うこともできなかった。それでも彼女は長命の種族だった。僕が彼女の正体を知ったのはそれから何年か先の話だ。そのことは、また後で話そう。


 その日は確か、二人で雪だるまを作っていたはずだ。どうやったのかは覚えてないが、ミラは家の屋根まで届きそうな大きさの雪だるまを作り見せてくれたのを僕は鮮明に覚えている。巨大な雪だるまを見る幼子は目を輝かせていたはずだ。そんな僕を見て、ミラは嬉しそうな顔をしていたのではないだろうか。


 ミラは小さな子を楽しませる術を熟知していた。それだけでなく、色々なことを知っているのだと彼女は言っていた。彼女が住む屋敷には長い年月をかけて集めた沢山の書物があり、その全ての知識を頭に叩き込んでいるのだと。そう話す彼女は得意気だった。


 僕はよくミラに、彼女が住む場所のことを聞いた。彼女が住む屋敷は村を出て、河を超えた先にある、小さな山の上に存在する。彼女はそこに一人で住む。使用人などはおらず、一人で何でもやらなければならないのだと言っていた。何でもやらなければならないが、代わりに自由気ままに生きていられるのだとも言っていた。


 その頃の僕には不思議だったのだが、彼女は村人のようには働かず、山奥の屋敷で読書をするか、たまに山中で狩りをする生活をしていた。四歳の僕は、ミラくらいの見た目の子はすでに働いていることを知っていた。僕もいずれはそうするのが普通だと思っていたので、村には住まず、自由気ままに生きる彼女を羨ましく思っていたし、憧れてもいた。


 実際のミラは決して自由などない人だったのだが、それも語るのは後にさせてほしい。話には順序があるからだ。


 その日も、ミラは沢山の時間を僕のために使ってくれた。僕にとってミラは憧れのお姉さんであり、大好きなお姉さんだった。ただ、その頃の好意にはまだ恋のような感情は含まれてはいなかったと思う。


 夜も遅くなってくると、流石に僕は起きていることはできなかった。そのころには彼女も帰り支度を始めるのが毎度のことで、彼女は決まって別れる時には「またね」と手を振ってくれた。


 僕は眠くて瞼が落ちそうなときでもミラが帰る時には外まで見送った。とはいえ、睡魔と戦う僕はしっかりと立っていることができず、いつも父にだっこされていたな。


 ミラは帰っていく時はいつも笑っていたが、その笑みは寂しそうなものだった。そして実際に、彼女は孤独だったのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る