第32話 覚悟

その日ルーカスは家令に命じ公爵家の仕事を全て洗い出させていた。

今までは余裕がなかったこともあり後回しにしてきてしまったが、現状を把握する必要があると感じたからだ。


「これで全てでございます」


出された報告書に素早く目を通し、どれだけのものが自分の管理下にあり、またどれだけのものが義母の管理下にあるのかを確認していく。


そして気づいた。


公爵家の権利の大きな部分を未だ義母が握っていることを。

中でも予算や人事権などまでが義母の影響下のままなのが一番の問題だった。


公爵家の次男でありながら今まで家の仕事に全く携わってこず、そして正当なる後継者ではないという負い目がルーカスの行動を縛っていた。


家の中を、ひいては人員を統括できなかったのはルーカスの落ち度だ。

経緯はどうであれ現在ディカイオ公爵家当主はルーカスであり、ルーカスには公爵家を問題なく管理していく義務がある。


そして二重権力は組織を分断する悪手だ。


「イオエル、君は公爵家の家令だったと思うが」

「その通りでございます」

「これを見る限り、君が従っているのは公爵家当主ではなく前公爵夫人ということになる」


今まで強い物言いは全くと言っていいほどしてこなかったルーカスの厳しい言葉に、イオエルははっと背筋を伸ばした。


「君が従う相手は公爵家当主だ。それは他の使用人たちにも徹底する必要がある」


執務机の上に書類を置き、ルーカスはイオエルの目をしっかりと見た。


「これからすべての報告は私にするように。義母上に任せていた仕事もまずは私のところに持ってきなさい」

「かしこまりました」


侮っていた訳ではないが、どこかしら頼りないと思っていた当主の思いがけない態度に冷や汗が流れていくのをイオエルは感じた。

この青年が決して無能ではないことを突きつけられた思いだった。


「仕える相手を間違える者は公爵家に必要ないということを覚えておくように」

それだけ言うとルーカスはイオエルを下がらせた。


ドアが閉まる音を聞きながら、ルーカスは執務机の椅子に腰を下ろす。

疲れたように顔を掌で覆うと深いため息をついた。


ひとまずこれで公爵家内の情報がルーカスに届かないことはなくなるだろう。


ルーカスは机の引き出しからアリシアからの手紙を取り出した。

心が落ち着く香りをまとう手紙に書かれた内容は、しかしルーカスにとって嬉しくない内容だ。


『しばらく領地に戻ります。また手紙を書きます』


アリシアからの近況を伝える手紙は、二人の間に物理的な距離ができる知らせだった。


アリシアはどんな想いでこの手紙を書いたのだろう。

ルーカスが先日のアリシアの訪問を知ったのはだいぶ後のことで、そのことについての弁明さえできていなかった。


ふと机に置かれた写真たてが見えた。

幼い頃に亡くした母の写真とアリシアの写真だ。


「母上、私の選択は許されるのでしょうか」

独り言が口からこぼれ落ちる。


父セルジオスの愛したイレーネと兄ニコラオスが愛したフォティア。

残されたルーカスはその二人も守っていかなければならないけれど。


『その手で守れるものは少ない。守るべきものを間違えるな』


騎士団長に言われた言葉が頭の中にこだまする。


生きるということは選択の連続だ。

何かを選んだ時に何かを捨てなければいけない時は必ずくる。

大事なものであればあるほどたくさんは持てないから。


覚悟を決める必要があった。


選び、そして捨てる覚悟を。

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