狐の花嫁

たかせまこと

第1話 最初の記憶

「縁。縁、良い名だ。ゆかりとはえにしよ。お前によく似合う」

 低くて優しい声だった。

 誰かにそう言ってもらったのが、おれの一番小さいころの記憶で、多分、五歳くらいの頃。

 どんな成り行きでそうなったのか、おれにはわからない。

 けど、おれ――富田縁・当時五歳――はその日、『花嫁』だった。

 生まれた時からしっかりばっちりちゃんと男だったはずなんだけど、その日のおれは「花嫁さん」と呼ばれて、重たくてやたらと豪華な着物を着せつけられて、顔の上半分を隠す面をかぶせられて、あっちこっち連れ回された。

 理由はわからないし、着せられた着物は重いし、すごくイヤだったのをはっきりと覚えている。

 それで、気がついたら置き去りにされていた。

 今から思えば、祭りが執り行われている神社の本殿だったんだと思う。

 けどそんなこと当時のおれにわかるはずもない。

 一緒にいたはずの母親もいなくなっていて、置き去りにされたのは知らない場所だし、いつの間にか外は暗くて、雨が降っていて風が強くて、雷が鳴っていた。

 それでまあ、案の定というか、お約束というか、幼児あるあるというか。

 心細くて大泣きしていたら、誰かに抱きしめられた。

 暖かくていい匂いがする、でも、知らない人。

「泣くな。我が一緒にいるぞ。な。おまえが泣くと、我も悲しい」

「お、おかあしゃ……おうち、かえる……ゆかち、いいこしゅるから……おかあしゃん……」

 その人は、泣きすぎて息ができなくてえぐえぐ言ってるおれを、しっかりと抱きしめてくれた。

 大丈夫大丈夫と、自分も泣きそうになりながら慰めてくれた。

「縁、縁、大丈夫だ。お前はよい子だ。我が保証するぞ。お前はほんによい子だとも」

 だから大丈夫と強く抱きかかえられて、我と一緒に行くか? そう聞かれた。

 でも、うなずけるはずがない。

 だってその時のおれは五歳児で、ホントに母親に置いて行かれたのかと思って、悲しくて家に帰りたくて仕方なかったから。

 その誰かに抱きしめられてよしよしと慰められて、この人のために今夜一晩だけここにいることになったのだと聞かされて、少しだけ安心して眠った。




 幼いころの、最初の記憶。



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