付録:母が祖母を看取ったときの不思議な話
昔話:亡き母をもとめて青森県恐山へ
(※)母のブログから転載。発病前、元気だった頃に書かれた話。
青森県・下北半島の恐山・・・
そこは亡くなった方が帰る霊場と知り、私は23歳の時、居ても立っても居られなくなり、夜行寝台車で行きました。
7月の大祭に、青森県各地から霊的な力を持つとされるイタコの方々が集まり、自身に霊を憑依させ 口寄せ(死者との会話)をしてくれると聞いたからなんです。
その年の3月23日の早朝に母が亡くなった・・・
脳梗塞で自宅で倒れ、救急車で運ばれた病院で一か月半の闘病、治療の甲斐もなく、一度も会話もできずに亡くなった。
入院中の看病は、そのとき独身で自由のきく私の役割。
入院当初からずっとまったく意識のなかった母がかすかに目を開け、回復するかのようにみえた最期の数日・・・
その日も治ると信じていた朝のこと。
オムツ替えの終わった母が、その直後に大きな音をさせ下痢をして、再びオムツ替えをしなければならなくなった私は、親不孝にもブツブツ文句を言っていた・・・
汚物の付いた手を洗いながら、ふと鏡を見た私・・・
ベッドから母が私を見ていたの。
その目はとっても悲しげで、何かを言いたげで・・・
その直後、毎朝の容体を診にいらっしゃった婦長さんが、母の異変に気付き先生に連絡。
そう、母は危篤に陥っていました。
下痢状になったのは 肛門が緩んでしまったから・・・
最後の力をふりしぼり 私を見ていたのかな・・・
主治医から「今夜が危ない。家族に連絡を」と言われ、泣きながら姉に電話をした。
そして、痙攣と激しい呼吸をし始めた母の手を握り、私はひたすら「死んじゃイヤだー!」と心の中で叫んでいた。
姉達も駆けつけて母を見守り、私は勧められる食事も取らず、母のそばを片時も離れずにいた。
今夜が危ない、山だと言われた一夜が過ぎ、母の容体が落ち着いてみえた朝・・・
ホッとしたのかな。
急にトイレに行きたくなって・・・
母の手を離し、「トイレへ行ってくる」と姉に言って、用を済ませ、手を洗いながら、一瞬私の頭をかすめた気持ち・・・
「母が持ち直してまた入院生活が続くなら、このまま死んでくれた方がどんなに楽か・・・」
もう一人の私が言う。
「何てことを考えてるの!」
そんなことを思いながら病室へ戻ったら、姉達の母を呼ぶ声が!!
偶然か・・・
このまま死んでくれた方がどんなに楽か・・・
そう私が思った時に、母は三途の川を渡ってしまった!
私は震えが止まらず、泣いて泣いて母に謝り続けました。
一瞬でもあんな恐ろしいことを願ってしまったこと、姉にも誰にも言えず、告白できたのはず――っと後のことです。
恐山に行ったのは半信半疑。
でも、もしも母と会話ができたらと思いつめての、初めての一人旅でした。
大祭の時は、今は亡き人と話したい・・・
そんな思いの人々が全国から訪れて、私が行った時も賑わっていました。
当時、順番待ちの間に年配のご夫婦と会話をした記憶が、今でもうっすらと残っていて、自殺された息子さんへの想いを、悲しみを聞かせて下さって泣いていらっしゃいました。
そして、イタコのお一人に口寄せをして頂いた私・・・
はっきり言って、方言での会話で、残念ながらよく分かりませんでした!
でも、行って後悔はしていません。
この事が切っ掛けになり、数年後にビックリする経験をするのですから・・・
続く。
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