愚者の沈黙、賢者の饒舌

樋川カイト

愚者の沈黙、賢者の饒舌

 未来が殺された。

 それを知ったとき僕は、一瞬何が何だか分からなくなった。

 きっとだから、あんなとんでもない事をしてしまったんだと思う……。


 ────

「ここが、例の『旧校舎の地下』か」

 真っ暗な階段を覗き込んで、僕は一人息を吐いた。

 噂が本当なら、ここに彼女が居るはずだ。

「まぁ、望みは薄いんだけどね」

 噂といっても、どんな学校にでもある七不思議の一つだ。

『旧校舎の地下には、どんな真相も暴いてしまう美少女の幽霊が居る』と言われているらしい。

 僕はこの噂を友人から聞いて、友人はそのまた友人から聞いたらしい。

 何でも、七つ目の不思議は封印されていて、全てを知ると呪われて死んでしまうらしい。

 しかし僕が教えられた話に、他の友人から聞いた話の数を足すと全部で八つの不思議があり、きっと僕は既に末代まで祟られているのであろう。

 だから、今更幽霊に会いに行って、そのまま呪われてしまっても何の問題もない。

 その話が本当であれば……。

「さて、幽霊さんとご対面と行くか。何でも、絶世の美少女らしいしな」

 未来が殺されて直ぐだっていうのに、こんなことを言うのは不謹慎かもしれないけど、こうも言ってないとやってられない。

 だから僕は、努めて明るい声を上げると階段の下の暗闇に一歩ずつ足を踏み入れて行った。


 しばらく黙って下りていくと、十分ほどで一番下までたどり着くことができた。

「思ったよりも短かったな」

 試しに下りて行った奴の証言として、永遠に続くような長い階段と聞かされていたから、十分で降り切ってしまった事に拍子抜けしてしまった。

 その場所は想像通り暗く、床には長らく誰も使っていなかったことを示すように、ほこりが層の様に積もっていた。

 しかし地下特有の黴臭さは無く、それどころか不思議と空気だけは澄みきっていた。

「奥に続く道があるな。……よし、ここまで来たんだから行ってみるか」

 意を決して一歩を踏み出す。何事も最初の一歩が肝心で、それからは特に気にすることもなくドンドン先に進むことができた。

 そうしている内に、少しだけ広い場所に出る。

 そこは部屋の様になっていて、奥には何かを閉じ込める為の檻のような格子。

 そして中央には足の長い机が置いてあり、丁度僕の胸くらいの高さに、何かの塊が置かれていた。

「こんなところまで入ってくる人間は久しぶりだ。まぁ、ゆっくりしていってくれ」

 突然何処からか声が聞こえてくる。

 慌てて辺りを見回すが、何処にも人影らしきものはない。

「どこを見ているんだい? 私はさっきからずっと、君の目の前にいるよ」

 そう言われて目の前の塊を良く見ると……。


 その塊は、紛れもなく少女だった。

 その顔は確かに絶世の美少女で、男なら誰でもお近づきになりたがるだろう。

 それほどまでに少女は美しく、実際に目の前に居る僕ですら、少しだけ心を惹かれた。

 実際には、絶対にごめんだが……。

 それは別に、少女の顔が僕のストライクゾーンから外れていた訳でも、僕の容姿が彼女に釣り合わないと思ったからでもない。

 少女は完全に僕の好みのど真ん中だったし、自分で言うのもなんだが、僕の容姿だってそれほど悪くはない。

 僕がそう思ったのは、もっと別の理由からだ。

 それは少女の身体。

 それだって、スタイルが悪いわけではない。そもそも少女にスタイルなんか関係なかった。

 だって、首から上だけの少女のスタイルなんて分かる訳がない。


「どうしたんだい? 私の顔をジロジロと見て。惚れた?」

「いや、だって、首だけ……」

「ああ、そういう事か。そりゃあ、私は七不思議の幽霊なんだから、体が無くてもしょうがないよね」

「じゃあ、やっぱり本物? トリックとかじゃなくて」

 少女は頷いた、気がした。

「如何にも。私は七不思議のひとつ、地下室の美少女だよ」

 自分で美少女って言った。

 そんなツッコミすら言葉にできないくらい、僕の頭は混乱していた。

「まずはお互い、自己紹介をしよう。私は九重十架。君の名前は?」

「僕は、一ノ瀬相馬」

 何も考えられず、僕は言われるがまま名前を名乗った。

「それで、君は何の為にここに来たんだい? まさか、物見遊山でもないだろうし」

「え? ああ、うん。……君は、噂の通りなら、どんな真実でも見抜いてしまうんだろう」

「まぁね。状況にもよるけど、概ね間違いはない」

「じゃあ、教えて欲しいんだ。未来が、……僕の恋人が何で殺されてしまったのかを!!」


 ────

 未来が発見されたのは早朝。清掃員が第一発見者だった。

 知らせを受けて僕が駆け付けたのは病院の小さな部屋。

 その中央に置かれたベッドの上で、未来は白い布を被せられていた。

「ご家族や恋人の方は、あまりご覧にならない方が……」

 警察官であろう男の制止も聞かず、おじさんが布をゆっくりと持ち上げる。

 まず目に飛び込んできたのは、首を絞められた跡。

 赤黒く変色したその跡は、縄で絞められたことが素人の僕でもわかるほどクッキリと残っていた。

 そして、何よりも驚いたのが頭。

 未来の頭頂部は乱暴にこじ開けられ、本来脳みそがあるはずの空間はポッカリと空洞になっていた。

「どうやら、犯人が取り出して持ち去ったようです。どういった意図でこのような行為に及んだのかは、分かりませんが」

 男の説明が、まるで絵空事の様に聞こえてくる。

 おばさんは大声を上げて泣きじゃくり、おじさんはその肩を抱いてすすり泣く。

 僕は呆然として、何もできなかった。

 それからの記憶はない。気が付いたら待合室のようなところに座っており、おじさんに促されて一緒に家に帰った。

 リビングでは妹の双葉が、心配そうに僕を待っている。

 その顔を見て、僕はどうしても我慢が出来ず、ソファで涙を流してしまった。

「お兄ちゃん、大丈夫?」

「ああ、大丈夫だよ。心配かけてごめんな」

 やっと僕が泣き止んだ時、黙って隣に座っていた双葉が僕に優しく声をかける。

 僕は務めて明るく微笑むと、そっとその頭を撫でる。

 双葉がそれに合わせて目を細めるのを見て、僕は言い知れない安心感を憶えて、今日初めてほっと息をつくことができた。

「どうして。どうして未来が殺されなくちゃならないんだ」

「お兄ちゃん……」

 やり場のない怒り。そんな僕の姿を優しく見守りながら、双葉は今度は逆に僕の頭を撫でた。

「大丈夫。未来ちゃんが居なくても、お兄ちゃんには私がついてるよ」

 その優しい口調に、僕は改めて双葉の大切さ、必要さを知ることができた。


 ────

「ストップ。そこまででいいよ。だいたい分かったから」

「そんな。これだけで」

 僕の回想を制し、彼女は宣言する。

 僕は信じられない思いで十架に尋ねるが、それでも彼女の自信は揺るがなかった。

「と言うより、最初から勘付いていたんだけどね。さっきの言葉で確信したよ」

「それじゃあ教えてよ。何で未来は殺されたのかを!」

 僕が叫ぶと、十架は鋭い眼光で僕を見据えた。

「ほら、また」

「え?」

「最初からそうだ。君は私に、一度も『誰が殺したのか』を問わない。『動機は何だったのか』。それしか問わないんだ。……君は犯人を知っているね」

 僕の身体に衝撃が走る。

 余りの事態に声を震わせながらも、僕は彼女を問いただした。

「そんな、何で僕がそんな事を知ってるんだよ。僕が犯人だとでも言いたいの?」

「いや、それだったら動機だって知っているはずだ。私が行っているのは、君は恋人を殺した犯人は分かっている。だけどどうして殺したのかが分からないから私に聞きに来たんだ。まさか、犯人を問いただすわけにもいかないからね」

 彼女は自信満々に言い放った。

 僕はまだ彼女が言っている事を認められずに首を振る。

「僕がどうやって犯人を知るって言うんだ? 僕は未来のおじさんから、初めて彼女が殺された事を知ったのに」

「それは嘘だね。もう本当のことを話してくれないか?」

「本当の事って……」

「死体の本当の第一発見者は君だろう。そして、君はある事によって犯人を知ることができたんだ」

「ある事って、何なんだよ?」

「君は聞いたことがあるよね? ある科学者の研究なんだが。

 その科学者は、ベルを鳴らす度にマウスに電気信号を与え続けた。

 やがてマウスは、ベルが鳴るたびに電気が走ったように痙攣をするようになったんだ。

 そして、そのマウスの脳を磨り潰し別の健康なマウスに与えたところ、健康だったはずのそのマウスもベルが鳴る度に身体を痙攣させるようになった。

 そして、博士はこう締めくくった。『記憶は継承される』と、ね。

 もう私の言いたい事は分かっただろう。


 君は、

 彼女の脳を食べる事で、記憶を受け継いだんだ」

 僕はもはや、何も言えないほどに衝撃を受けていた。

 どうして彼女はそれを知っているんだ。

 誰にも見られていなかったはずなのに。


 彼女からのおかしなメールでかけつけた時、既に彼女は息絶えていた。

 首には痛々しい絞め跡。目は見開き口からは泡を吹き、顔面は気持ち悪いほどに変色していた。

 何も知らない僕でさえ、一目で殺されたと分かる現場。

 本来ならばすぐに警察に通報しなければいけないのに、僕の頭には一つの思いが芽生えた。

『いったい、だれが彼女を殺したのだろう?』

 彼女は、自分を殺した犯人を見たのだろうか?

 そこで思いついた。脳みそを食べれば、もしかしたら彼女を殺した人間が分かるかもしれない。

 だから僕は、手元にあった物で彼女の頭を開き、彼女の脳みそを食べた。

 咀嚼するたびに吐き出したくなる衝動に駆られるが、それでも我慢して飲み込む。

 その途端、僕の頭の中に溢れ出す思考と風景。

 彼女の死の瞬間が目に浮かんだ。

 そこには、鬼気迫る顔で未来の首を絞める、


 双葉の姿があった。


 ――──

「つまり君は、妹が自分の彼女を殺した理由が知りたかったんだね」

「……うん、そうだよ。教えてくれないかな?」

 僕にはもう、何も隠す必要は無かった。

 だから素直に頷いて彼女の顔を見つめた。

「簡単な話だよ。悋気、つまり嫉妬さ。大好きなお兄ちゃんを取られた事に対するね」

「そっか。そんな事で人殺しを」

 理由が余りにも呆気ないモノだった事に、ただ気が抜けた。

 しかしその理由は何故だかしっくりきて、きっと本当にそうだったのだろうと僕は納得することができた。

 これで、彼女に用は無くなった。

「それで、これからどうする? 私の口でも封じるかい?」

「うん、そうだね。ちゃんと脳まで潰しておかないと」

「それは困る。私はまだ死ぬわけにはいかないんだよ。だから取引をしないか?」

「取引?」

「そう。私なら、君の妹の罪を消し去る事ができるんだ。一回きりしかできないけど、完全にね。どうだい、悪い話じゃないだろ?」

 僕の心は、予想外の言葉に揺れ動いていた。

 罪を消し去る。そんなことができるなら、万が一にも双葉が逮捕される可能性がなくなる。

 僕は、意を決して彼女に尋ねた。

「……本当に、出来るの?」

「それはイエスと取って良いのかな?」

「出来るなら、それに越した事は無いよ」

「出来るさ。それじゃあ、明日を楽しみにして、今日はお帰り」

 その後の事は実は覚えていない。

 気が付くと僕は、旧校舎の廊下に立っていた。

 そして確かにあったはずの地下への階段は、跡形もなく無くなっていた。

「明日、何が起こるんだ?」

 もしかして、さっきまでのはただの厳格で、妹の罪はまだ僕以外に知っていないのだろうか?

 明日になったら、いったい何が起こるんだろうか?

 しかし答えてくれる彼女はおらず、僕は仕方なく家に帰ることにした。


 ――──

 次の日の朝、双葉はいつも通りに僕を起こしてくれた。

 その姿は、ちょっと前に人を殺したことなど微塵も感じさせず、これならバレる事は無いと胸を撫で下ろした。

 そして、僕たちは揃って学校へと向かう。

 兄妹らしく馬鹿話をしながら校門を抜け、階段の辺りで双葉とは一旦お別れだ。

「じゃあ、また放課後な」

「うん、お兄ちゃん。授業頑張ってね」

 笑顔で手を振りあう。僕は階段を一段飛ばしで駆け上がると、自分の教室の扉を開けた。

「おはよう、相馬くん」

 そこには、クラスメイトに混ざって談笑する十架の姿があった。

「十架、どうして?」

「何言ってるの。私の名前は未来だよ」

「ちょっとー、恋人の名前くらい覚えてなさいよね」

 近くに居た女友達の注意さえ、僕の耳には届かない。

 彼女の腕をつかむと、僕は人気のない所まで引っ張っていく。

「もう、乱暴だな。こんな所に連れて来て、どうするつもり?」

「ウルサイ。どうなってるんだ? どうして君が未来って事になってるんだよ」

「どうもこうも。私は幽霊なんだから、人の存在、それも死人の存在を乗っ取ることぐらい簡単さ。これで、君の妹は人なんて殺していないし、私は念願の人の身体を手に入れる事が出来た。一件落着だ」

「ほんとうに、これで良いのかな?」

「どうせ、もう後戻りはできないよ。それはそうと、今度は私から君にお願いがあるんだ」

「……お願いって?」

「簡単な事だよ。……十架って呼ぶのは、二人きりの時だけ、ね」

 そう言って十架――未来は可愛らしく微笑んだ。


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