中編:期待していますよ、姪御殿

 薄気味悪く目障りだった霜雪令嬢を勘当した一月後、予定より早くその客人は高階家を訪れた。


「お久しぶりね、汀子さん」

「おりつ伯母様。どうなさったの、いらっしゃるのは十日後と伺っていましたのに。顕久あきひさ様はご一緒ではないの?」


 思いがけない伯母の来訪に、汀子もさすがに驚く。従兄でもある婚約者の不在を問う姪に、律は艶やかな唇で笑った。


「今日はあたくしだけでしてよ。それよりごめんなさい、弟の葬儀にも参列できずに」

「仕方のないことですわ、伯母様たちは仕事で海を渡っていらしたんですもの」


 それを詫びるため、急遽単身本家を訪れたのかと合点し、汀子は伯母を招き入れた。共に中陰壇に線香を供え、応接室に通す。


 律は前当主のすぐ上の姉で、高階財閥を形成する分家のひとつに嫁いだ。本家には結局汀子たち姉妹しか生まれなかったため、分家筋から婿取りをすることになり、白羽の矢が立ったのが彼女の息子だった。容姿も才覚も、まあ本家の婿としての水準には達している。


 本当は、この三月、汀子の女学校卒業を待って祝言を挙げる予定だった。顕久を本家で婿として鍛えつつ、汀子も本格的に後継ぎ教育を受けるはずだったのだが、父の急逝で算段がすべて狂ってしまった。それでも汀子がすんなり当主の座につけたのは、生前の父の根回しと、成人済みの婚約者の存在のおかげだろう。


 茶で一息入れ、父の思い出話や、四十九日の法要後に本格的に話し合われる今後のことなどが話題に上ったが、思い出したように律が口にする。


「まさか姉弟きょうだいの中でいちばん先に亡くなるなんて……。そう言えば、あの子は息災?」

「あの子?」

「離れにいるあなたの姉ですよ」


 本気で誰のことを問われているのか解らず瞬いた汀子に、律はやや声を曇らせた。ああ、と汀子は忌々しげに頷く。


「お姉様でしたら、もう邸にはおりませんわ」

「なんですって」


 律の顔色が変わる。しかし気にせず汀子は晴れ晴れとした調子で続けた。


「この邸を全面改修すると申しましたでしょう? あの離れも取り壊して西洋風の庭園を造成する予定ですの。ですから一足先に、お姉様には出て行っていただきました。嫁にも出せない成人を、いつまでも養っておけませんものね」

「離れを潰す? では本当に、『雪御前ゆきごぜん』を追い出したと言うの!?」


 座卓から身を乗り出す勢いで、律が汀子を詰問する。常に気品ある伯母の剣幕、何より聞き慣れない呼称に、汀子は思わず気圧された。


「雪御前?」

「あの離れに暮らす、白髪の女のことです」

「……?」


 伯母の口ぶりは、「雪御前」が、異母姉だけを指す呼称ではないような言い回しだった。姿勢を正し、長く息を吐いた律は、どう話すべきかと考えあぐねた様子で再度口を開く。


「……あたくしがまだこの邸に暮らしていた頃、あの離れにいたのは、父、つまりあなたの祖父の末の妹でした。あたくしの叔母ですわね」

「その方も、白い髪をしていたのですか?」

「ええ。たまに縁側に出ていたのを見かけたくらいですが」


 朧な記憶を辿るように、律は遠くを見遣る眼差しになる。


「……つまり高階家には、時折髪の白い女が生まれて、その存在を隠すために代々離れに隔離していたということですか?」

「いいえ、そうではなく」


 一種の遺伝病かと汀子は訝しんだが、律は眉間に皺を寄せた。怒りではなく惑いのためだ。


「……あたくしも、父が酔った拍子に口を滑らせたのを聞きかじっただけですの。これは本来、本家の当主にのみ口伝で受け継がれることらしくて」

「でしたら、わたくしにも知る権利はありますわ」


 本当なら、代替わりの際に父から伝えられることだったのだろう。しかし父は急な昏倒から目覚めることなく息を引き取ったため、何も聞くいとまがなかった。


「叔母の前にも、離れには白髪の女がいたのです。彼女が死んだ途端、嫁入りを控えていた叔母は一夜で総白髪になって、離れに閉じ込められて一生を終えた。その叔母も亡くなって、次はあなたの姉が」


 そう、異母姉も生まれたときは、普通の黒髪だったと聞いている。


「白髪の女、雪御前は、高階家の守り神なのだそうです。離れはやしろ、代々そこに、生き神様を祀っていたのだと」

「お姉様が、この家の生き神様……?」


 汀子は虚ろに呟く。戸籍から抜いたのも人から神へと昇華したためか。しかし到底、受け入れられる話ではなかった。


「生き神様だから寿命がある。だけど亡くなってもすぐ、その座は本家の女に引き継がれる」

「その目印が……白髪」


 汀子の乾いた一言に、律は無言で首肯する。


「雪はさいわいゆきにも通じる。彼女を祀るようになって、高階家は繁栄を極めたと言うわ。だから……」


 だから、離れに祀り、逃げられないようにした。


 だから、彼女を追放した、この家の行く末は。


「……有り得ない!」


 きつく握った拳を座卓に叩きつけ、汀子は絶叫した。


「そんなの、単なる迷信だわ。伯母様、世は文明開化、そんな前時代の妄言は通用しなくてよ」

「でも……」

「あんな愚鈍なお姉様に、この家の命運を左右する力なんてあるわけないでしょう!」


 律の言葉を遮り、青筋立てた汀子は本音を暴露する。いつも見下し、使用人にさえ軽んじられていた異母姉が、高階財閥の要であったなどと認められるものか。


「いいこと伯母様、その世迷言はご先祖への侮辱でもありますのよ。高階家の繁栄は、先人たちの努力と才覚によるもの、それを真っ向から否定するおつもりですか?」


 自分が追い出したのは、異相により疎まれた単なる役立たず。断じて、幸運の女神ではない。


 そう必死に自分に言い聞かせ、呼吸を整えた汀子は伯母ににこりと笑いかける。


「ご一新から二十数年。古臭い迷信に頼らずとも、わたくしと顕久様とで、高階財閥をますます盛り立ててみせますわ」

「……ええ。――――ええ、そうですわね。頼もしいこと。期待していますよ、汀子さん」


 律も、まるで己を納得させるかのように何度も頷きながら、ぎこちない微笑を浮かべた。


 その後程なく、何事もなかったように邸を辞した伯母を見送り、汀子もすべて聞かなかったことにする。


 動揺に蓋をして、高階家の当主としての覚悟を改めて心に誓った。



 だが汀子の誓いも虚しく、次の初雪を待たず、高階財閥は瓦解した。


 発端は、前当主の四十九日を終え、離れの解体直後に起こった本家邸宅の焼失だった。雪果ての日に幸御前の白髪をくべた竈から燃え移った炎は、乾燥した空気と春嵐に煽られ、敷地も家人たちも舐め尽くした。


 その後も、貿易船の不備や事故が立て続けに起こったり、歳若い女当主を侮った詐欺に巻き込まれたりと、不運が重なり、またそれが新たな不運を呼んだ。結果、莫大な負債を抱え、代替わりから一年足らずで高階一族は離散した。


 ほんの一時いっとき、社交界の華と持て囃された最後の当主は、外国に売り飛ばされたとも、帝都の片隅で物乞いとして通行人の袖を引いているとも噂されたが、その行方を知る者、案じる者は誰一人いなかった。

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