ルゥルゥ

 ルゥルゥはヨノワリの貧民生まれで、家族の明日の食事の為に単身奴隷商人に売り飛ばされた。末の子供で女だったからだ。とはいえ土のような肌に焼けた藁にも似た髪、貧民の中の貧民というボロ屑の如き子供は端金にしかならなかっただろう。

 荷物というものはある程度軽くしたいのが世の常、奴隷商人はルゥルゥと幾人かを一番近い後宮に連れていった。国外に持ち出すほどの器量でもない雑多な者に出す食事代が惜しいし、後宮ではいつでも下働きの女を求めているものだからだ。

「おや、随分子供だこと」

 庭先に並べられた奴隷の中、一番に声をかけられたのはルゥルゥだった。あとで知ることだが、この時ルゥルゥに当たりを付けられたのは主人と年齢が近そうであること、そして一から長く仕込めることを考慮したものであったらしい。

「一度借り受けても? 主に面通しをしたい」

「勿論ですとも」

 ルゥルゥを見定めた女性は奴隷商人に許可を取って一時的にルゥルゥを連れ、奥宮へと歩を進めた。この女性はたった一人存在した姫君の乳母メーヤであり、つまり姫君はナジュマという。

 この頃のナジュマは放置されてはいたが唯一の王女ということでその姿形は美しく保たれていた。ルゥルゥは連れられた奥宮の庭先でそんなナジュマを見上げ、こんなに美しいものが同じ生き物とは考えられもせず呆然としたものである。

 しかもその美しい子供はルゥルゥを近くに置くと言う。なんという幸いだろう。即座奴隷商人から買い上げられて感謝するルゥルゥにメーヤは言った。

「私に感謝せずともよろしい。ルゥルゥ、お前を買った分の金はこの後宮から出ました。この後宮はナジュマ姫のお父上であらせられる陛下のものですが、陛下がいらせられない限りお前は姫にその恩義を返さねばなりません」

「はい、メーヤさま」

「これからはメーヤ母様とお呼びなさい」

「はい、メーヤかあさま」

「よろしい」

 素直に頷くルゥルゥはナジュマの傍に置かれる為にメーヤの養女となった。奇跡的なほど短い奴隷生活であったといえよう。

 そうして日々を美しいナジュマに付き従い、メーヤに仕込まれ、ルゥルゥは成長していくことになる。ナジュマは成長するごとに美しく、そして雄々しくなり、誰よりも後宮の主に相応しい。

「世界で一番姫様が美しくあらせられます」

「なんて狭い世界だいルゥルゥ! お前も十二分に美しいよ。けれどいつか、お前にもっと遠くを見せてやれたらいいんだけれどもね」

 ルゥルゥが美しいのはナジュマの傍に侍る為に整えられているからだ。それ以上でも以下でもなく、同じ程度の女は幾らでもいるだろう。

 美しいナジュマ。ルゥルゥを選んでくれたナジュマ。その幸いの為ならルゥルゥはなんだって出来る。どこにだって行ける。

「ルゥルゥも参ります!」

「勿論だよルゥルゥ。ずっと一緒にいておくれ」

 遥か異国ではナジュマは異質で、それ以上に見た目でルゥルゥが異質だった。けれどそれでもよかった。ナジュマさえいればルゥルゥには世界のどこだって天国だ。

「ルゥルゥ、わたしはこの国で必ずヒネビニル殿と結婚するよ!」

 ナジュマが鼻息荒く決心した日、そうと決めたのならそれで十分だとルゥルゥもこの国に骨を埋める覚悟を決めることになる。ナジュマのいるところがルゥルゥの生きるところ。それだけが変わらない真実なのだから。

 そんな日々の中、ナジュマの義妹となるテルディラからルゥルゥに提案があった。

「見合い? ですか」

「ええ。ナジュマはこの家に嫁す。ならば一番近くに仕える貴女にもしっかりとした地盤があったらどうかと思って。強制ではないし、他によい男があるなら言ってくれれば調べるわ。下手な男を身内に置くわけにはいかないからそれは許容なさい。勿論独身を通しても構わないのよ?」

 そう言って紹介されたのはテルディラの夫ヨナビネルの侍従であるヒューロイだ。侍従兼護衛であるという元騎士のヒューロイはルゥルゥに比べたらずっと身体が大きい。

(こんなに小さな女では興味を惹かれるものでもないでしょう)

 ルゥルゥはナジュマと隣り合っても大分背が低いし、全てが小さい作りだ。幼少期にきちんと食事を摂れなかったからだねといつかナジュマが言っていたけれど、大きいのはぺたりと座り込むことが多かったからか尻ばかりである。

 後宮の妃達もそうだったし公爵家の女性達もそうだけれど、女性というものはある程度腰から上の部位が大きくなければいけないようで、そもそもルゥルゥは総合的に小さすぎる。ヒューロイは勿論、他の男性達にも見定められるような存在ではないだろう。

 そんな感じでどうにもならないだろうと思いながらも、テルディラの顔を立てる形でルゥルゥは指定された時刻に中庭にいた。卓の対面にはヒューロイ。仕事上幾らか顔を合わせることはあったけれど、こんな事情で語らいを持つとは思わない。

(それにしても、大きいけれど圧迫感はないのね。気配を薄くしているのかしら?)

 母国の女騎士達を思うルゥルゥはヒューロイの言葉を粛々と聞いている。

「現在公爵家を回す侯爵閣下に従う都合上、伯爵家四男ではありますが子爵位を戴いております。結婚後は伯爵位へ昇叙、侯爵閣下と公爵領一円を回す予定です」

 グランドリー王国は尊い方に仕えるのにも肩書きが必要であるらしい。大変なことだ。

「随分なことです。私には勿体ないご縁でしょう」

 正直にそう言うルゥルゥにヒューロイはほんの少し表情を滲ませた。常日頃堅い顔を崩さない男性だから珍しい。

「私との婚姻において、爵位にかかる社交の類は必要ないものですが」

「それでも伯爵様とは大変尊い地位とお伺いしております。私は貧民奴隷の出ですの。到底見合いませんでしょう」

 にっこりと笑うのは牽制だ。だが、ヒューロイはまるでわからないというようにルゥルゥを見つめた。

「ヨノワリの後宮では身分の差はないものと聞きました」

「はい。身分の差はなく、得た地位の差のみがございました」

「奴隷は奴隷ですか?」

「奴隷といえば全員が陛下の奴隷でありましたでしょう」

「ならば瓦解した今、もはや無関係では? ましてや貴女は奴隷ではなく、姫君の乳母の娘と伺いました」

「義理ではございますが」

「なおのこと。何故わざわざ奴隷だと伝えられるのです? 言わずともよいことを」

 確かにそのとおりだ。しかしルゥルゥは自ら望んでこの席に就いたわけではない。初回から断るのはどうかとテルディラの顔を立てたまでのこと、だからこそ敢えて波風を立てているのだとどうしてわからないのか。

「隠し立ててはと思いまして」

 そっと答えるルゥルゥに反し、ヒューロイははっきりと返した。

「隠すなどという事柄ではありません。貴女は既に乳母の娘で姫君の侍女だ。言わずによい過去を敢えて詳らかにすることは、相手への誠意ではなく貴女の自己満足でしかありません。明らかにのし上がってきた己を誇示するという自己顕示欲で、つまり自らが権力者に愛された者であるという自慢でしょう」

 ──なんてことを言うのだろうこの男は!

 ルゥルゥは怒り心頭に発し、かけ、しかしそれを収めた。ルゥルゥは高貴な方に仕える者だ、これくらい隠し通せる!

「この国で私にそのようなことを言われるのは、きっと貴方とテルディラ様くらいでしょうね」

 言うとヒューロイは苦い顔をしていた。……どうやらテルディラが苦手であるらしい。

「それくらいでないと旦那様をお守り出来ませんので」

「なるほど、主の為ですの」

 ルゥルゥがひとつ頷くと、ヒューロイは肩肘張っていた調子を崩し、ぐっと上体を倒して顔を近付けてきた。そこでようやくルゥルゥはヒューロイの顔をきちんと見ることになる。……ずっと見慣れていた熱砂の色をした髪だということにも、そこで気が付いた。

「謝罪する。──俺は四男だから自由にさせてもらっていて、貴族の腹にものを抱えて生きるやり方はしてこなかったんだ。だから仮面を被ってやり過ごさないと、こうして対応を間違えることがある。……仕える相手の為の仮面なら、君だって何枚でも持つだろ?」

「……全くですわ」

 嫌な相手だなと思いはしたけれど、その点については完全に同意するので謝罪を受けた。けれど、それだけの話である。

 さて、その日の見合いはそれで終わったが、ルゥルゥはその後も幾度かヒューロイとの時間を過ごすことになってしまった。何故かはわからなかったが、あのあと確認してきたテルディラが双方から話を聞いて「これは合う気がするわね」と判断した為と知ってルゥルゥは思わず布を噛んだものである(勿論ナジュマにとめられた)。

「あの人! 仕事となると陰険嫌味効率男なのに! 仕事以外だとノロノログダグダしているんです! こんなに忙しい人生を歩むつもりはなかったんですって! 何アレもう! 調子が狂います!」

「馬が合ったみたいだねえ」

 ナジュマの眼前でキィキィと地団駄を踏むルゥルゥはこの後ヒューロイと結ばれ、公爵家を確かに支えることになった。今はまだ、

「毎回毎回言葉が過ぎるのよこの筋肉犬!! ちょっとは考えなさいよ!!」

「き、筋肉犬!? なんだそれは!!」

 見た目大型犬に食ってかかる、ネズミだけれど。

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