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 城下一等地に店を構える『赤い鳩』は中小貴族を主な顧客とした服飾店である。高位貴族を対象とせず既製品もそれなりに扱っているような店がどうして一等地に店を持てるかと言えば、本業が金貸しであるからだ。勿論きちんと公的に許可を得た店であるし、正規の金貸しであるからこそ身綺麗でもある。故にこそ、ハルフォーン伯爵が訪問した途端「ご返済ですね」とすぐ様部屋に通され、にこやかな応対を受けたのだった。

「こ、こんな大金を……!」

 デレッセント公爵家の茶会に出席した娘が焦りを浮かべて帰り、唐突すぎる知らせをもたらしたのが先日のこと。ハルフォーン伯爵は世迷言をと娘の訴えを退けたが、翌日デレッセント公爵家から正式な使者が来てしまっては、その知らせに対応せざるを得なかった。

 娘ケーティニアの婚約者は伯爵自身がきちんと精査し、身綺麗な家の次男を選んだのである。なんの問題もないそれに寄親である公爵家によって横から口を挟まれるなど憤懣やる方ない事態だ。

(借金に女子供? そんな影はひとつもなかった)

 見るからに不満を見せるハルフォーン伯爵に、馬車に同乗する公爵家書記官は「本日確認致しましたら終わりですので。私共も命令に背くことは出来ません、どうかご理解ください」と静かに告げた。そうして連れてこられた店で、……なんてことだ!

「どうしてあの若造一人でこんな大金を借り出せる!」

「伯爵家と子爵家の名前が並べば可能です」

 正当な担保でなかったことを悟った相手は溜息を吐きながら返した。グランドリー王国では爵位は何にも代え難いほど貴重な立場である。爵位があるだけで最低限食べていけるほどの保証になるが、昨今その肩書きに胡座を掻いた貴族の爵位剥奪が相次いでいた。──家の威光は責任と表裏一体である現実を理解しない者が増えた証左である。

 その場ですぐにハルフォーン伯爵家は無関係である旨公式に宣言し、デレッセント公爵家の名でその保証とした。この為の公式書記官であったと、即座伯爵は悟ることになったのだ。

「返済については追って子爵家から連絡させることとする。公爵家から貴族院法務部門と話を付けるので滞りなく進むだろう」

「畏まりました」

 デレッセント公爵家が付いているとなれば金貸しもとやかく言わない。スムーズなやり取りののち、ハルフォーン伯爵は更に頭が痛む現実を見ることになる。

「女と子供……本当に……」

 下町に住む如何にも蓮っ葉な女と子供とが、婚約者が今一番熱を上げている相手だと言うではないか。

「待て、今一番?」

「何人かおりましたようで。今は彼女一筋ですね」

 ──駄目だ。ハルフォーン伯爵は頭を抱えた。己の見る目がなさすぎる。

「書記官殿、このあとの予定について希望があるのだが構わんだろうか」

 最初の態度はどこへやら、ハルフォーン伯爵は問いかける。

「どうせ証拠書類はお持ちだろう。そのまま子爵家にて婚約破棄としたい、お付き合いいただけるか」

 書記官は正面で静かにその意を受け入れ、馬車は速やかに子爵家へと向かった。

 その夜半、件の子爵家であるところのマリーログ家では予想どおりの大騒ぎが起きていた。

「ど、どうして!」

「どうして!? お前が馬鹿な所為だ!」

 初めて我が子を殴ったマリーログ子爵は病を患ったのような顔色でようやく立っていた。彼を奮い立たせているのは次男デレイドへの強烈な怒りだけだ。

「勝手に家名を用いての借金、そして不貞行為! 全て晒されているんだ! 伯爵家どころか公爵家を介して貴族院にまでな!」

「そ、そんな、あの店は口が堅いって!」

「幾ら店の口が堅くとも、お前と女子供の口は緩すぎるだろうが!」

 マリーログ子爵はデレイドを暖炉の火掻き棒で叩きながら泣いていた。伯爵家と破談となっても、せめて二家間で全てが済んでいればよかった。だが、ことはデレッセント公爵家の耳に入り、貴族院に公文書として提出されてしまったのだ。もはや子爵家として資格なしの判断を下されるやもしれず、近い将来爵位剥奪も考え得る。

 ……長男は既に倒れてベッドの住人だ。近々で彼の婚約者の家からも破談の知らせがやってくるだろう。貴族院に文書が出されたのだから一両日中には周知の事実となる。貴族とはそうしたものだ。

「お前が馬鹿な所為で我が家は賠償金と借金の返済で火の車、どう償ってくれるんだ……! 一生働いたところで返す器量もないくせに……!」

 しくしくと泣き続ける子爵夫人を横目に、デレイドは火掻き棒で殴られ続けながら胸中で叫んでいた。

(ハワード殿が信用出来る店だと言ったのに!)

 実際、『赤い鳩』は高い信用を売りに出していた店で、紹介者も貴族であったからデレイドが利用出来たのである。しかし所詮は人生を舐めてかかった男のやること、恋人に吹聴し酒を飲んでは吹聴していたのだから本人の所為でしかない。

 ハルフォーン伯爵の耳目に入らなかったのは彼が結局貴族中の貴族で上澄みしか調査をしなかった点と、デレイドの活動が貴族らしからぬ下町だった点である。

「俺は兄さんを差し置いて伯爵になるんだ! 子爵家なんか兄さんで十分さ!」

 婿に選ばれたという驕りがデレイドの歯止めを利かなくさせた。実際には伯爵代理、全ての権利は伯爵家嫡子のケーティニアにしかないというのに。

 愚かだったのだ。デレイドは愚かだったので身を落とすのが少し早まった、それだけのこと。


【デレイド・マリーログ】

 マリーログ子爵家次男。ハルフォーン伯爵に見込まれ、一人娘ケーティニアの元に婿入りすることになる。後年、伯爵代理となった彼は邪魔な伯爵とケーティニアを毒殺、平民の後妻と連れ子(実子)を迎え入れて長女を虐待する──予定であったが目論見は芽を出す前に摘まれた。デレイドは奴隷落ちし国外へ、愛人と子供もデレイドから来る甘い蜜を吸っていたので同罪とされ国外に出される。マリーログ子爵家は家格を落とし男爵家になることで手打ちとされ、以後田舎から出てこない。




 *




「いやあだねえ」

 くるくると花の入った茶器を回しながらナジュマが言う。先達て馬車が入ったというがハルフォーン伯爵家の馬車で間違いなかろう。対応はラディンマラ夫人達がしているだろうから問題ない。

「馬鹿は馬鹿なことしか考えない。だから自滅するのに学ばないねえ」

「馬鹿は自分のことを馬鹿とは思いませんよ姫様。馬鹿は己が世界で一番に賢いと思っているものです」

「そのとおり!」

 奴隷でも運命が強ければどうにでもなる筈だ。だがデレイド達にその強さはないだろう。ルゥルゥのような強さはそうあるものではないのだから。


 ──姫がその役目ではないのなら、姫の思うまま生きてよいのです。姫には姫の役目がございます。


(思うまま、わたしの周りくらいは好きに掬い上げる。だってわたしの周りは綺麗でいてほしいものな)

 傲慢でよい。貴女は私達のただ一人の姫。

 メーヤを胸に、ナジュマは今日一人の娘の未来を掬い上げて光に照らした。一方で汚泥にある者のことまでは知らない。既に汚泥に沈んでいた責任など、ナジュマには知ったことではないからだ。

(……ハワード)

「ルゥルゥ、お代わりをちょうだい」

 面白く、なってきたではないか。

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