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「姫様、閣下からのお手紙ですよ」

「ちょうだいちょうだい!」

 荷物を両腕に持ったルゥルゥが戻ってきてそう言うのに、ナジュマは立ち上がって手紙を渡すようせがむ。場所は大皇国皇宮内離宮、ナジュマの仮住まいである。

 ナジュマは現在皇帝養女として皇女の身分を得ていた。ヨノワリの後宮で生きてきた際の偏った常識を正し、公的な常識を叩き込み、一年後にグランドリー王国に嫁ぐ。その一年の為だけの仮住まいでの暮らしは思うより穏やかに過ぎている。

 大皇国に居を移した際、皇帝の妻、つまり皇后には挨拶を済ませていた。砂漠から夫が突然に連れ帰った女など不安の塊でしかないだろう。実際皇太子や皇女に目通りされることはなかった。必要がないという証左だ。

 しかしナジュマはどこ吹く風、「ヒネビニル殿はどんな男性かわかるかな!」と伯母であるところの皇后に突撃し、延々話し込んだ結果気に入られることとなった。「早く手紙のやり取りだけでもさせた方がよろしいでしょう」と鶴の一声も貰え、結果ナジュマとヒネビニルの文通は始まったのだ。


『私は貴女の思われるような男ではなく、きっと一目で萎縮させるに十分でありましょう。皇帝陛下から聞き及びかはわかりかねますが、正味水を食んでも空気を食んでも育つような大男です。稀なる血統を持ち掌中の珠としてお育ちの姫君には、遠い異国もつらいものと勘案致します。いつでも皇帝陛下にご相談いただき、破棄していただいて構いません』


 だ〜れが婚約破棄なんてするか〜い!

 ナジュマは勢い込んで返信を出した。「チビハゲデブガリヒョロじゃない男と紹介されたのがお前さんなのでぜーったい破棄せんぞ待ってろ!」という気持ちを込めて柔らかに書いた手紙はルゥルゥに「大丈夫です? 変なこと書いてません?」と心配されはしたが、その後も文通が続いているのだから問題はなかったのだろう。

 それにつけても、文面を読むだに確かに穏やかで細やかで優しい男なのだろうと感じる。悪い人間には思われないし、率直に言えば可愛らしくて好ましい。こういうことはナジュマには初めてで、正直恥ずかしくも嬉しいものだ。

 やり取りが続く度、夫人達から大陸共通語を習っておいてよかったし字の書き取りもさぼらないでよかったと思う。しみじみ今までの教育の有難さを感じるナジュマである。

「よかったですねえ」

 手紙を読んでは喜ぶナジュマにルゥルゥも優しい。彼女は唯一共に来てくれた侍女だが、その運命では『熱砂の髪をした真面目な異国の男の妻になる』とあるから、もしかするとグランドリー王国でそういうことになるのだろうか。

 そもそもグランドリー王国はルゥルゥがヒロインになる予定だった国だ。もはや運命は変更されたわけだが、それでも行くことになるのだから定めというものでもあるのかもしれない。

「ねえ、ルゥルゥ。わたしと一緒に知らない国に行くの、不安じゃない?」

 一度そう問うと、ルゥルゥは何を言うのだという表情を晒した。

「今更何がございましょう。ルゥルゥは姫様と共にどこにでも参りますもの!」

 バンと胸を叩くルゥルゥの頼もしさよ。

 昔、ルゥルゥにはナジュマの異能を話してあった。勿論全て話したところで彼女に理解出来よう筈がない。だからナジュマは『未来予知が出来て、選択しなかった未来をも見ることが出来る』という体で説明をし、ルゥルゥの消えてしまった運命を語ったのだ。

(そちらを選べばよかったと言うかなあ)

 うっかり喋ってしまったけれど、失敗だったかもしれない。そうぼんやり後悔を浮かべたナジュマにルゥルゥは問うた。

「その男のひと達って、チビハゲデブガリヒョロじゃあないんですか?」

「どうだろう? この国の男じゃないからなあ」

「じゃあ、その男のひと達って、姫様より美しいですか?」

「それはないんじゃない? わたしより美しい男いる?」

「ですよねえ! ルゥルゥ、美しい姫様のお側で幸せです!」

 力強く言って笑顔を見せるルゥルゥに、ナジュマもすっかり呆れて大口を開けて笑ってしまったものだ。

 ルゥルゥは「ルゥルゥは知らない男のひと達よりも姫様の方が大事です。姫様はルゥルゥにとてもよくしてくださいます。母様にも言われておりますし、ルゥルゥはきちんとお仕えして、終生ご恩をお返しします」ときびきび表明した。ルゥルゥは奴隷身分から救い上げられたこと、それ以降の手厚い生活をきちんと感謝して過ごしているのだ。

 こうした感謝の念をもってしっかり過ごす様がヒロインとして優秀だったのかもしれないが、今の彼女にとってのヒーローはナジュマである。正規ヒーロー達には静かに退場していただこう。

(……そういえばグランドリーは舞台なのだから、登場人物がいっぱいいる筈だ)

 物語は変更されてしまったが、それでも変わらず存在する者はいるだろう。幼少期には楽しんで見たものの詳細はもはや忘れてしまっているナジュマは、とりあえず知る者から順に辿っていく形で索引を引いていった。

(アルティラーデは元々公爵令息の婚約者になる予定だった。その公爵令息は?)


【デレッセント公爵家】


(ん?)

 なんか覚えがあるな。こめかみを突いたナジュマは更に索引を引く。


【ヨナビネル・デレッセント】

 デレッセント公爵家次男。傾国の美姫と言われた祖母に似すぎ、全ての男女を狂わせる男として生まれた。公爵家から王家への鞍替えを画策したアルティラーデの策略で高位貴族家当主に犯され狂い、公爵家で軟禁され表舞台から消える──予定だったが、運命は変更されアルティラーデの実妹テルディラと結婚。剣の腕と肉体そのものとを鍛え、兄ヒネビニルの代わりに公爵家の実務を担っている現在、不埒な企みをする馬鹿はいない。


「おとうとッ!」

 思わず声に出してしまい口を押さえたナジュマはそのまま頭を抱えた。ヒネビニル、序盤に消えるけれど重要な登場人物の実兄ではないか!

(おおー……わたし、もしや物語の中心に入り込むわけ?)

 自ら改変した物語の中に堂々と席を用意されるこの流れ──、

「始末は自分の手で付けろとでもいう気か……?」

 とはいえ、怯むナジュマでは決してない。むしろ余計に面白くなってきたではないか。

「よぅし! ルゥルゥー! 皇后陛下にお目通りを願ってきてー! ヒネビニル殿のことを聞かせてほしいってー!」

 腕捲りをしてナジュマは気合を入れる。ナジュマは難題を与えられればこそ俄然燃える質なのだ。

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