第9話 パーティー



 お誕生日パーティーの当日、私はやけに早く目が覚めてしまった。時計を見るとまだ四時で、空は暗い。しかし、何度目を閉じてももう眠気は去ってしまったようなので、仕方なくのろのろと起き上がって電気を灯した。


 歯を磨きながら自分の顔を見る。


 クマはあるけれど、そんなに酷くはない。青白い顔は血色が悪く見えるから、チークを丸く入れてもらわないと。髪飾りはどうしよう?私は人のパーティーに呼ばれる際、その人の瞳の色に合わせたアクセサリーを付けるように心掛けていたけれど、会ったこともないセイハム大公子の瞳の色なんて知るはずもない。


 メイク担当に任せよう、という結論に至ったので、大人しく階下に降りて食堂を覗いてみた。さすがに四時とあっては眠そうなコックが朝のコーヒーを飲んでいるぐらいで、まだ巨大な空間自体も眠っているようだ。


 私は部屋に戻って、溜まっていた本の消費に取り掛かることにした。部屋の隅に積み上げられていた本の中には、王立図書館から借りっぱなしのものもある。ギョッとして返却期限を確認したら一週間ほど過ぎていたので頭が痛くなった。




 ◇◇◇




「ごきげんよう、イメルダ様」

「ごきげんよう。お久しぶりですね、ソーニャ様」

「随分と短く切られたのですね」

「ええ、まぁ…気分転換に」


 来てみたら意外と馴染むことが出来た。


 或いは腫れ物には触らない方が良いと、周囲が私に気を遣っているのかもしれないけれど。見知った令嬢たちに挨拶をして回るうちに、いつの間にやら父はどこかに消えており、私は山のように盛られた芋料理の隣で途方に暮れていた。


 挨拶程度なら問題ないが、長い会話は続かない。きっと相手の方も婚約破棄の件は持ち出しにくい話題なのだと思うし、私の近況を確認する上でそこは避けては通れない話だ。


 せめてもの救いは、このパーティーが半面を付けての参加だったことだろう。招待客は皆、受付で動物の面を着けさせられる。私は迷わずにウサギの面を選んだ。まぁ、挨拶される頻度からして、知り合いが見たらきっと私だと一目瞭然なのだと思うけど。


 ポツンとその場に居座るのも辛いものがあったので、カクテルグラスがタワーのように並べられているテーブルに近付いた。シュワシュワと発泡する琥珀色の液体はシャンパンなのだろうか?


 一つ手にとって匂いを嗅いでいたら、聞いたことがある声が背中に刺さった。



「あらぁ!そこにいらっしゃるのはイメルダお義姉様?」


 振り返らなくても声の主は分かっていた。

 私はグラスから顔を離して、来るべき敵に備える。


「あ、もうお義姉様ではなかったわ。ごきげんよう」

「ごきげんよう、シシー。貴女の兄は一緒ではないの?」


 シシー・ドットは黒い猫の面を被っていた。

 彼女のそばに元婚約者であるマルクスの姿はない。いつも双子のようにピッタリとくっついて行動しているから、それは不思議なことだった。


「お兄様はお仕事をしにこの場へ来ているのよ。貴女のようにタダ酒を煽りに来ているわけではないわ」

「随分と攻撃的な物言いをするようになったわね」

「当然でしょう?もう媚びへつらう相手ではないもの」

「なるほどね………」


 私はシシーの被った面を一瞥した。


「その猫の仮面、よく似合っているわ」

「ありがとう。マルクス兄様が選んでくれたのよ」

「ええ。泥棒猫の貴女にすっごくお似合い」

「なんですって……!」


 シシーが前へ乗り出したところで、人混みからマルクスが登場した。慌てた様子で妹の手を握ると、まるで罪人を見るような目で私を睨む。


「どうしたんだ、シシー!?」


 シシーの腰に手を回して私を見る目付きは、仮にも一週間前までは婚約者であった女に対する態度ではない。


「お前が何か言ったんだろう!イメルダ…!!」

「貴方は狐面なのね、マルクス。嘘吐きの二枚舌狐と泥棒猫なんて、本当にお似合いだわ」

「なんだと?減らず口も良い加減にしろ……!」


 激昂したマルクスが片手に持ったワインのグラスを振って、その中身は見事に私のドレスの上に広がった。自分の心はスッキリしたけれど、買ったばかりのドレスに染みが出来たとなれば代償も大きい。


 私は集まって来た野次馬の間を抜けて、化粧室へと急ぐ。後先を考えずに軽率な口喧嘩を繰り広げた自分を反省した。でも、やっぱり対面すると感情は昂る。


 やっと辿り着いた化粧室の前で噂好きの伯爵令嬢たちが集っているのを発見し、私はげんなりした。あの間を通って中に入る気にはならない。


 どうしようかと階段へ戻ろうとしたら、登って来た誰かとぶつかった。



「あっ、ごめんなさい…!」

「いいや。僕が前を見ていなかったから」


 見上げた先でにこやかに微笑むのは、金髪を後ろで結った若い男だった。白い半面はシンプルに目に穴が開いただけで、何の動物もかたどっていない。こんな人は社交界に居たかしら、と記憶を辿っていたら男がゆっくりと口を開いた。


「はじめまして。今日は僕の誕生日を祝いに来てくれてありがとう。君がルシフォーン公爵の娘さんかな?」

「……貴方は、セイハム大公の…?」

「うん。デリック・セイハム、よろしくね」


 トパーズ色の瞳が弧を描いて、デリックは綺麗に笑った。


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