第6話 デ・ランタ伯爵令嬢
グレイス・デ・ランタ伯爵令嬢の家を訪問したのは、私がマルクスから婚約破棄を告げられて一週間が経った日のことだった。
昼食は家で軽く済ませたので、私は自分の家のメイドたちが焼いたクッキーを持ってデ・ランタ家の呼び鈴を押した。すぐに髪を七三に分けた几帳面そうな男が出て来る。
「お待ちしていました、イメルダお嬢様」
「お久しぶりです」
「グレイスお嬢様はお部屋でお待ちです」
私は使用人の後を付いて、グレイスの部屋へ向かう。
壁に掛かった肖像画の中ではグレイスによく似た人の良さそうな歴代当主たちが笑い掛けていた。
ノックすると、高い声で返事が返って来る。
私はグレイスが駆けるトットットという足音を聞いた。
「イメルダ~~!!」
「グレイス!会いたかった!」
私の結婚式当日、不幸なことにグレイスは風邪を拗らせて欠席を余儀なくされた。その場に居ないの良いことにマルクスが吐いた無礼な発言に関しては、私はまだ怒っている。
「カミュちゃんも一緒?」
「ええ。カミュも挨拶しましょうね」
鞄から取り出してペコリとグレイスに向けて頭を下げさせる。グレイスは嬉しそうにカミュの頭を撫でて、私たちをテーブルへと呼んだ。
「それで、レナードとマルクスと貴女の三角関係がとうとう崩れたって聞いたけれど……」
私は飲んでいた紅茶を吹き出す。
差し出されたハンカチで口周りを拭きながら、悪い冗談をかますグレイスを静かに睨み付けた。当たり前だけど、婚約破棄の話はデ・ランタ家にも届いているらしい。
私はレナードへの気持ちや、彼との間にあったことをグレイスに話していない。けれども、乙女向けの小説を嗜む彼女はかねてより私たち三人の関係を揶揄って、楽しんでいた。
「三角関係じゃないわ。マルクスがシシーとデキてたの」
「はぁ~ん、なるほどね。義理の妹への劣情とか一番小説的には美味しいけど、実際やられたら心抉られるわ」
「それで式の当日に婚約破棄よ。どう?良い話よね」
「レナード様は!?とうとう相思相愛!?」
「だから、そんなんじゃないってば……」
私はカップの中に砂糖を一つ足す。
「レナードはミレーネ嬢と結婚するんだから。ミレーネお嬢様って言ったら、ほら、騎士団長とも噂があったあの絶世の美女でしょう?」
「くぅ~王子様も隅に置けないわね。結局騎士団長の件は嘘だったわけね。それにしても、イメルダ…大丈夫?」
「どういう意味?」
「マルクスはシスコン大魔王だったわけだし、レナードまで結婚したら寂しいんじゃない?」
「でも、貴女は遊んでくれるでしょう?」
「まぁね。私は生涯独身貴族を謳歌するわ、私の永遠の推しはリッヒハルト辺境伯だけよ!」
そう言って両手を組み合わせてグレイスは目を閉じる。
彼女の眼鏡に三次元の男が映らないことは周知の事実。
リッヒハルト辺境伯とは、彼女の愛読書である『お嬢様は溺れるほどの愛を知る』の登場人物で、主人公を一身に溺愛するイケメンヒーローらしい。
「あのね、現実世界に溺愛なんて無いの」
「………っな!なんて夢のないことを…!」
ショックを受けるグレイスの前で私は自分の手を見つめた。婚約指輪はとっくにドット公爵家に送り返したので、私の薬指にはもう何も光るものはない。
「だいたい真実の愛って何?そんな歯が浮くようなことをずっと言い続ける男居る?居るなら見てみたいわ」
「これから見つけなさいよ」
「え?」
「イメルダ、新しい恋をしてよ」
「…………」
テーブルに置いた私の手に、グレイスの小さな手が重なった。
「私は妄想の中で生きていけるけど、不器用な貴女は違うと思う。マルクスのことは残念だったわ。でも男なんて腐るほど居るから大丈夫」
「………グレイス」
「恋して。それで、私にまた新しい話のネタを頂戴」
「グレイス!」
真剣な話かと思ったら、急に自作のネタ帳を引っ張り出してくるから思わず声を荒げてしまった。
グレイス・デ・ランタが彼女の考える最強の乙女小説を執筆し始めてはや一年が経つけれど、どうやら密かにそれは人気なようで、回し読みはなかなか私の番まで回って来ない。
その設定や人物像まで聞くのは怖くて控えていたけれど、もしかして彼女は私の交友関係を題材にしているのでは……なんて恐ろしい想像を止めて、私はクッキーの包みを開けた。
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