第4話 秘密


 人には誰にも言えない秘密が一つや二つある。


 私にも、死ぬまで胸に秘めておきたい出来事が一つだけあった。それは盗みを働いたとか、人を殺めたなんて内容ではない。どちらかと言うと、私にとっては瓶の中に集めた小さなビー玉のような、キラキラした宝物のようなもの。


 あれは忘れもしない、結婚式の一週間前の話。

 私はマルクスの家で式の進行について話をしていた。


 どういうわけか、その場にはマルクスの旧友であるレナードも居て、三人で酒を交わしながら客人の配置や食事の内容について話し合っていた。実際、マルクスの関心は流しっぱなしにしていたドラマの方に向いていて、私がレナード相手に熱心に自分が決めた内容を語っていただけだったのだけど。


 花嫁はやっぱり白百合、ドレスは軽くてシルエットが広がった感じのショート丈。そんな譲れない私の願望を、レナードは否定するわけでもなく、ただただ笑顔で聞いてくれた。


 私たちはチビチビと各々のビールやワインを飲みながら、好き勝手なことをしていた。そうして夜が更けていくのは嫌ではなかったし、この時はまだ婚約破棄なんて夢にも思わなかったから、私は呑気に当日の様子を夢見たりしていた。


 マルクスのことは愛していない。

 だけど、彼と結婚することでレナードとの友情は維持される。恋心は自覚していなかったけれど、私はぼんやりとそんな狡い考えを持っていた。


 日付が変わる頃、長居し過ぎたと慌てた様子でレナードが帰り支度を始めた。迎えの者はとうに玄関に到着していて、私とマルクスは彼を送って行こうと重い腰を上げた。


 そこへ、シシーが現れた。


 ドット家の養女である彼女はまだ学生で、兄であるマルクスに宿題を見てほしいと言う。こんな時間に?と眠たい頭で不思議に思った記憶はある。


 そしてそのまま、マルクスは帰って来なかった。

 10分が経って、30分が経った。


 使用人が泣き出しそうな顔で「レナード様、お迎えの方が…」と伝えに来たのを見て、私たちは仕方なく部屋を出た。静かな廊下を歩きながら、私は突き当たりにあるシシーの部屋のドアが少し開いているのを見つけた。


 いつもなら気にしなかった筈なのに、なぜかその日は気になって、レナードに断った上で恐る恐る近付いた。何も疑ってはいなかったのだ。ただ、この部屋にマルクスが居るのではないかという至極自然な考えに従っただけ。



(………マルクス…?)


 先ず目に入ったのは可愛らしい木製の勉強机。

 ピンク色のカーテンに天蓋付きのベッド。


 そして、こちらに背を向けるように立ったシシーは爪先立ちになって誰かと熱い口付けを交わしていた。私は彼女の向こうに見える男をよく知っていた。


 赤髪に少しそばかすのある顔。

 それは、三年間ずっと見てきた婚約者だった。


 言葉が出て来なくて、立ち尽くす私の目を柔らかな手が覆った。びっくりして振り返ると、悲しそうな顔をしたレナードが立っていた。私の方が絶対にショックを受けている筈なのに、なぜかレナードも泣きそうだった。


 私たちは言葉を交わさず、玄関まで歩いた。


 怒り狂う御者を宥めて以降はレナードは終始無言だった。送ってくれると言うので私も一緒に車に乗ってしまったけれど、心はポッカリと穴が空いたように暗かった。


 愛していないとしても衝撃的な光景は私の頭に鮮明に焼き付いていた。相手がどこかの見知らぬ令嬢なら、まだ許せたかもしれない。愛のない結婚に愛人が一人二人伴ったとしても、それは珍しい話ではないから。


 だけど、マルクスの背中に手を回していたのは彼の妹のシシーだ。シシーは結婚式当日に、私のヴェールを持って歩く役割を担う予定だった。



「………どう思う?」


 ぼんやりとレナードに問い掛ける。

 私には返事をせずに、彼は御者の名前を呼んだ。


「ダニエル、悪いが俺をイメルダの家で降ろしてくれ」


「また寄り道ですか?もう時間が……」


「自分で帰るから良い。父には言わないでほしい」


「……分かりましたよ」


 レナードが差し出した金貨を見て、ダニエルは渋々といった様子で頷く。私は鈍くなった頭で「彼は夜風に当たって歩きたいのかしら」と考えた。頭も身体も、砂が入ったみたいに重たかった。


 しかし、レナードはなぜか私を送り届けてもその場を立ち去らなかった。メイドに部屋まで同行すると言って、私を支えたままで階段を上り切った彼は、そのまま部屋まで入って来た。


 部屋の中で待機するメイドに、私は少し話をするので二人にしてほしいと伝えた。幸か不幸かその時の夜当番は古くからルシフォーン家に仕える年配のメイドで、何も追求せずにその場を去った。



「レナード…ごめんなさい、」


 迷惑を掛けてしまったことへの申し訳なさと、情けない姿を晒した恥とで私は涙を流した。部屋に辿り着くまで我慢していた色々な感情が、堰を切ったように溢れ出た。


 レナードは私の涙を拭って、頬に触れた。

 私たちは何も話さなくて良いように唇を重ねた。


 慰めなのか、気の迷いなのか。

 なんだって良いし、何であれ褒められた行為ではない。たとえ婚約者の不貞を目撃した後だとしても、私はそれ以上の罪を犯した。結婚を控える王太子と身体を重ねたのだから。


 会話は無くて、名前すら呼ばれない。ただ静かに髪を撫でてくれる柔らかな手付きに安心して私は眠った。


 そして、翌日目覚めた時にはレナードの姿はもう無く、何事も無かったかのように太陽が昇っていた。

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