第3話 カミュ
帰宅したら即、部屋へ向かった。
階段を登る時に先に帰宅していた父が何か言うのが聞こえたけれど、ゆっくり話す気にはなれなかった。どうせマルクスのことを
けれど、そんなこと何回聞いたって婚約破棄は取り消せないし、承諾したのだから私に未練はない。心配なことは、結婚持参金の三倍の額が本当に振り込まれるのか、ということぐらい。
姿見には派手な化粧をした青い顔の女が映っていた。
溜め息を吐いて、もそもそとベッドの中に潜り混む。
ドレスのポケットに忍ばせていたうさぎのカミュを見つめる。カミュは、今は亡き母が私の誕生日に買ってくれた最初で最後のプレゼントだった。五歳の時に他界した母は、私によく似た容姿だったという。
「カミュ……今日、レナードに会ったの」
ギュッと握り締めると、柔らかな毛に覆われた小さな身体からは人工的な香水の匂いがした。きっとドレスに振り掛けられたものが移ったのだろう。あとでお風呂で洗わないと。
「彼ったら、この前の夜の話を持ち出してきてね。たぶん…謝るつもりだったんだと思う。でもそんなの聞きたくない。マルクスから婚約破棄されるよりも、惨めなことだから」
カミュの小さなビーズの目を見つめる。
白いボディはふかふかで気持ち良い。
私は目を閉じてレナードの顔を思い浮かべた。
太陽の光を受けて輝く金色の髪、宝石みたいに美しい緑色の瞳。何より、分け隔てなく与えられる優しさ。
マルクスから友人として紹介してもらった時から、レナードはひっそりと私の心に居座っていた。
だけど、恋と呼ぶにはまだその感情は幼くて、ただ一緒に居れば楽しい、顔を見ることが出来れば嬉しい…その程度の気持ちだった。そうして、そんなぼんやりした気持ちを抱えたままで私は父の言うままにマルクスと婚約した。
「レナードの結婚式は来月ですって。きっと白いタキシードはよく似合うわ。私が参加したらまた皆にヒソヒソ言われちゃうかな……?」
せっかくの式の雰囲気を悪くするだろうか。
晴れ姿を祝いたい純粋な気持ちで参加したいと言ったけれど、花嫁にとっては迷惑かもしれない。ただでさえ婚約者の周りをウロつく女友達というのは不要な存在だから。
マルクスの隣に寄り添うシシーの顔が浮かんだ。
合わせたように真っ白なドレスを着て来た時から変だとは思ったけれど、まさか本当に婚約破棄を申し出るとは。それほど自分は嫌な存在だったのだろうか。
堅物令嬢、という言葉が頭を過ぎる。
なかなかセンスのあるあだ名だ。
そんな堅物令嬢でも恋をしたりする。誰かをどうしようもないぐらい想ったり、触れたくて堪らなくなったりする。マルクスがその姿を知らなかっただけだ。
この三年間の間に育まれた愛を誰が知るだろう。
私は、レナード・ガストラに恋していた。
「レナードには幸せになってほしい。それは本当の思いなの。そうしたら私は…安心して思い出の中の彼を愛すわ」
人形のカミュは何も言葉を返さない。
私は白い肌に頬擦りして眠りに落ちた。
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