星祭り

shio

星祭り(短編・完結)

 星祭りの日、いつも思い出すのは、仲呂のことだ。


東峻とうしゅん


 その秀麗な面差しには、少し甘やかな声。八方美人と呼ばれるほどに、誰にでも笑顔を向ける彼。彼は、私たちの軍の軍師だった。将来を期待された、眩しいほどの可能性を秘めた青年だった。次の軍師は、仲呂をおいて他になかった。誰よりも回転の速い頭で、軍の策士となるはずだった。我が国、「楚」を動かす要となるはずだった。


「東峻」


 私は、仲呂のことを、思い出す。

 あの星祭りの夜のことと共に。



 私は、東峻という。楚の国における軍の武将である。将、と言っても、実際はまだ、一部隊を取り纏めるだけの、小さな分団の将に過ぎない。早い話が、部将というわけだ。それもそのはず、もっと上の幕僚の方たちは、私よりもずっと年上で、戦の経験も比べ物にならないほど豊富な人材ばかり。それゆえ、名将、知将と呼ばれ、天下に名を轟かせる方たちがたくさんいる。


 私が、名将が集まっての軍議に初めて参加したときのことだった。白い髭を蓄え、厳格な顔つきの武将たちが集まっているところは、圧倒されるばかりの威厳が漂っていた。思わずその雰囲気に気圧されたのを、今でもよく覚えている。だから、そんな中に一人、私と同じ年頃の青年が居て、大層秀麗な面持ちで微笑していれば、目がいくのも当然だったと思う。まわりは自分よりも、三十は年上の武人ばかり。若者と呼べるのは、青年と、私だけだった。その秀麗な面差しの青年というのが、仲呂ちゅうろだった。

「お初にお目にかかります。我が名は、郭掠が仲家第二子、仲呂ちゅうろと申します。以後お見知りおき下さいますよう」

 仲呂は、恭しく拱手をしながら、同年の私に礼を尽くした挨拶をした。 鮮やかな青色の袍が、仲呂によく似合っていた。私は、隙の無い仲呂の挨拶に驚きながらも、同時に納得していた。

(これが、次期軍師の卵か)

 軍議に参加させて貰えるのは、当然、殿の部下の中でも側近中の側近ばかりだ。これからの戦の行方如何を話し合うためのものなのだから、当然、最重要機密事項である。そんな場に、年若い者が呼ばれる理由は一つ。

 それは、将来有望な幕僚を育てることが目的だ。今は名将と呼ばれている方たちも、いずれは老いていく。後を引き継ぐ有能な人材を育てることは、殿の意向でもあった。そして呼ばれたのが、仲呂と私であった。仲呂は、次期軍師の要として、私は武将として、軍議に参加していた。仲呂は、美しかった。結い上げて巾におさめた髪の後れ毛が、いやに艶っぽい。民族的には、髪は真黒の者が多いのだが、仲呂の髪は薄い茶色だった。肌の色も、常人より白い。滑らかな肌は、いかにも文官といった風情で、私は文官には文官の雰囲気が、武将には武将の纏う雰囲気というものがあるのだと納得したことを覚えている。だが、仲呂は文官ではなく、戦場では剣を取って戦うと聞いて、驚愕した。

「こんな細腕でか」

 仲呂の腕は、私の半分の太さと言ってもいい。私の体格は良い方ではあるが、兎に角、仲呂が細すぎるのだ。仲呂は、いつもの笑顔に少し困った表情で、笑って言った。

「私とて、武人の端くれ。戦場では微力ながら武器を取って戦います」

 目の前の男が、剣を取るところなどおよそ想像もつかず、私はただぽかんと彼を見つめていた。

 それが、私と仲呂の出会いだった。

 私たちは、軍議に参加する年若い者同士ということで、急速に親しくなっていった。私は元来なかなか社交的ではなく、人と親しくなることが難しい性格なのだが、仲呂が私と全く正反対の性格ということが大きかった。仲呂は私とは違い、誰にでも笑顔で話しかける気安い性格だった。

 だが、仲呂も私が思うほど、親しい者が多いわけではなかった。今思えば、仲呂が本当に親しかったのは、私だけだったのではないかと思うことがある。もしかしたら、私でさえも親しく思ってはいなかったのだろうか。一度、部下に仲呂の人となりについて話してみたことがあった。他愛無い雑談の中での話だったが、そのときの部下の言葉は、後々まで深く私に染み付いていた。

「仲呂殿ですか? お優しいし、良い方ですよ。ただ……何ていうのかな、こっちに対して、物凄く分厚い壁があるような、そんな感じがするのですよ。仲呂殿が、他の者に対して優しいのは、周りと軋轢を起こさないためじゃないかと思うことも、あります。東峻殿の方が、私は信頼出来ます。仲呂殿は、何を考えているか分からないところがありますから……」

 部下には正直に話してみろとは言ったものの、こんなふうに仲呂が思われていることは、私にとって、晴天の霹靂とも言えた。仲呂が、周りに対して、壁を作っている?

 私が鈍いのか、そのような壁は感じたことがなかった。しかし私は、仲呂には何も言わなかった。だがずっと気になっていた。

 まるで、心臓に小さな棘が一つ取れずに刺さっているような、そんな思いを持ちながら。

 春に出会い、早くも二回目の夏が近付いてきた。

 あれは星祭りの日だった。天の川の両岸にある、牽牛星と織女星とが年に一度再会するという七月七日の行事だ。その日の夜は、街もお祭り騒ぎで、それぞれに飾りつけをされた露店がずらりと立ち並んでいた。子どもたちは親に手を引かれ、華やかに火の燈った提灯や、桃飾りで覆われた店内を冷やかしながら行き交っている。遠めに見ると、たくさんの提灯は夜空に浮かぶ天の川のようで、眩しくて目を細めた。

 そもそも、私が何故そんなところに居るのかというと、軍の仕事の一環だった。星祭りの日は、多くの人間が街に出て来る。何と言ってもお祭りだから、物盗りや酔漢も少なからず居る。そのような輩を取り締まるのが、軍の決まり事だった。街の人たちに良い印象を抱いて貰うことは、軍に取っても重要なことだ。戦のとき、兵が足らねば民から募らねばならないし、兵を養うには兵糧が欠かせない。その兵糧も民からの頂き物だ。そんな街の人たちに、せめてもの恩返しをと、星祭りの日の警備を命令したのも、私たちの殿だった。殿――楚の将は、人望厚く、仁義と道を知る、器の大きい人柄だった。だからこそ、皆従い、尊敬し、仲呂や私がついて行こうという気になるのだ。露店の喧騒を見るともなしに見ていると、仲呂が姿を現した。

「やあ、東峻。お勤めご苦労様です」

 にこにこと微笑みを湛えながら、仲呂は私に器を差し出した。手にヒヤリとした温度が気持ちよい。それよく冷えたガラスの杯に入った、真赤な液体だ。顔を近づけると、甘い果実の匂いがふわりとした。

「何だ?」

山楂酒さんざしちゅう

 さらりと仲呂が答えたので、思わずほう、と言いかけたが、よくよく考えてみると、酒である。

「仲呂! これは酒ではないか!」

「そうですね」

 仕事中に酒を飲むなど、四角四面な私には考えられないことであった。だが仲呂は涼しい顔だ。

「今日は年に一度の星祭りなのですよ? 少しくらい東峻にも楽しみがなくては。それに、そんなに強いお酒じゃありません」

 仲呂に促され、私は杯に口をつけた。甘酸っぱくて、あまり酒らしくない。子どもでも飲めそうな果実の味だった。

「美味い」

「それは良かった」

 仲呂は、私の横にある岩場に腰を下ろした。ここは、露店からは少し外れたところにある。露店の様子がよく見渡せる、丘のようなところだった。程近いところにありながら、露店の光も人々の喧騒も、おぼろげにしか聞こえてこない。そのおかげというべきか、星がよく見えた。

「今夜は、牽牛と織女も仲良く過ごせているのでしょうね」

「そうだな……」

 冷たい酒で喉を潤しながら、空を見上げた。空は、一面途切れることなく星が並び、一際星が集まったところは、まごう事なき天の川と言える。それは、圧巻とでもいうべき眺めだった。

 星空に見入っていると、仲呂が小さく詠じはじめた。


「迢迢たる   牽牛星

皎皎たる    可漢の女

纎纎として   素手を擢げ

札札として   機杼を弄す

終日      章を成さず

泣涕      零つること雨の如し

可漢は     清く且つ浅し

相去る     復た幾許ぞ

盈盈たる    一水の間

脉脉として   語るを得ず」


 古詩十九首の中の一説である。仲呂は学問において非常に優れていたので、そらで詩を暗誦することが得意だった。

 私もこの詩は知っていた。牽牛と織女のことを詠った詩で、機織の上手だった織女が、牽牛との恋に溺れ、機織が出来なくなってしまうというものだ。それに怒った天帝が、二人の仲を裂くために、天の川で二人を隔ててしまった。二人は、その川の両岸で見詰め合うだけで、語ることは出来ないという意味の詩だ。

「牽牛と織女に限らず……人間は、誰だって、そうなのかもしれませんね。見詰め合うことは出来ても、語ることは出来ない」

 俯いて、仲呂は静かに言った。私がここに居ることなど見えていないような、独白のような呟きだった。

「……仲呂?」


 そっと呼びかけると、仲呂は私の存在に初めて気付いたかのように、目を見開いた。

「すみません、東峻。詮無いことを言ってしまいました」

 では、私はこれで、と立ち去りかけた仲呂を、思わず呼び止めた。少し離れたところで、仲呂が振り返った。私と仲呂のその距離は、天の川に隔てられた牽牛と織女のようでもあった。

「仲呂!」


「……東峻?」

 言いたいことがたくさんあったが、どれも頭の中でぐるぐると回るばかりで、文章が紡ぎ出せなかった。何か、何か仲呂に言いたかったのだが。喉元まで出そうになった言葉を飲み込んで、一言言った。

「これ、ありがとう」

 仲呂が持ってきてくれた、酒の礼だった。我ながら情けなくなるほどの口下手である。もう少し私が器用な人間なら、あのときどこか気落ちしていた仲呂を励ますことも出来たはずなのだ。しかし、仲呂はそんな言葉にもふわりと笑って答えた。

「いいえ、気にしないでください。では、また明日」

 言って、いつものすっとした仕草で、丘を下っていった。星祭りの夜のことだ。それより後、私は星祭りのことを何度も思い出すことになる。

 仲呂の妙な噂を聞いたのは、それから幾ばくも経たない日のことだった。星祭りの日から少し後、仲呂は体の具合が思わしくないと言って、よく軍議を休んでいた。幾度か見舞ったが、これという病状はなく、ただ顔が青白く、疲弊している様子が見て取れた。なので、安静にしてよく養生するようにと言って、何日かが経った。そんなときのことだ。


「仲呂が、春を売っている……?」


 部下からこっそりと聞いたことだった。仲呂が、夜な夜な、軍の男を連れ込んで、春を売って金を稼いでいるというのだ。その部下も、私に話すつもりはなく、仲間に話しているところを偶然聞いた私が問い詰め、ようやく吐かせたことだった。

「歩兵の間では、かなりの噂になっています。どれも下っ端の兵ばかりですから、上の方たちにはまだ漏れていないんじゃないかと」

 私は、呆然とした。そんな馬鹿な。あの、聡明で秀麗な仲呂が、そんなことをするはずがない。

「でも、相手になった奴が実際に居るんですよ。吸い付くように滑らかな肌だったとか。女より良くて、あれなら幾ら金を払っても惜しくないと言ってましたよ」

 仲間内で下世話な話をしていたことが、私にバレたことで大胆になったのか、その雑兵は下卑た笑いを漏らした。何を考えるまでもなく、手が動いていた。その雑兵の頬を殴り、呻き声を上げながら倒れるさまを、いきり立って見下ろした。

「……二度とそのようなことを言うな! もしまた口にするようなことがあれば、私が直々にお前を殺してやる……!!」

 殺してやる、などという言葉を使ったのは、生まれて初めてだった。だが、そのときの私は、現にそのような気持だったのだ。

 雑兵は、這うようにして、上擦った悲鳴を上げながら逃げて行った。

 それでも私の気は収まらなかった。そんな馬鹿な、そんな馬鹿なことが――――。信じられなかった。まさかと思った。だが、言い知れない不安が、私の心の中を支配していた。仲呂が女を連れ込んでいるの間違いじゃないのか? それなら、まだ何とか我慢が出来た。勿論、それも規律に反することには違いないが――――。


 私は、我慢が出来なくなって、仲呂の部屋を張ることにした。夜中に仲呂が誰かを連れ込んでいるかどうか確かめるのだ。仲呂の部屋の前にある、庭の茂みに隠れて、見張ることにした。もう深夜の零時を過ぎているが、誰も来る気配はない。やはり、偽の情報だったのだろうか。


 そう思い始めたときだった。


 廊下を、一人の男が辺りを伺うようにしてやってきた。身なりから見るに歩兵だろうと思われた。その兵はおっかなびっくり、足音に気を付けながら、仲呂の部屋の扉を軽く叩いて、何事かを告げた。すると同時に、仲呂の部屋の扉が薄く開き、素早く男を招きいれた。私は茂みから体を起こし、目を瞠ったまま、数分を過ごした。今見た出来事は夢だったのか? 夢であればどんなに良かったか。私は茂みの中に隠れたまま寝てしまったのだと思いたかった。だが、残念なことに、私の体は起きていた。私は茂みから出ると、静かに仲呂の部屋の前を伺った。誰もいないのを確認すると、廊下へ上がり、姿勢を低くして、扉に耳をぴったりと近づけた。こんな姿を他の者に見られたら、大恥である。中から聞こえてきたのは、ぼそぼそと喋る人の声だった。内容は分からない。

(もしや、軍のことか……?)

 仕事の話だったのだろうか、と思うや否や、何かが軋る音がした。認めたくなかったが、寝台の音に違いないと本能が告げた。そして、すすり泣くような、女のような、声――――。私は、せり上げる思いを抑えて、目をきつく瞑った。


 ――仲呂の声だ。


 男にしては、甘やかな声は、もう聞きなれて間違うはずもない。目の前に闇が流れ込み、何も見えなくなった。仲呂の声は、今やはっきりと聞こえるほどに、大きくなっていた。まごう事なき、喘ぎ声だ。それに呼応するように、男の声が聞こえる。

 私は、剣の柄を握り締めた。握りすぎて、ぎゅう、と変な音がするほどに。一、二、三を数えて、仲呂の部屋の戸を勢い良く開けた。


「動くな!!」


 私は刀身を鞘から素早く抜いて抜刀した。想像した通り、寝台の側に脱ぎ散らかされた着物が散らばっており、その寝台の上には、見慣れぬ男と、組み敷かれた仲呂が居た。歩兵と思われる男の顔は真っ青で、慌てて仲呂の上から退くと、素っ裸のまま自分の着物を引っつかみ、逃げ出して行った。残されたのは、仲呂と私だけだった。

「……見つかってしまいました、ね」

 驚くこともなく、最初から分かっていたような、諦めたような笑みで、仲呂は言った。私は剣を収めなかった。ただ憤りに任せて、切っ先を仲呂に突きつけた。

「どういうことだ」

 仲呂は、惜しげもなく肌を晒していた。腰から下は敷布が掛けられているので上半身だけしか見えないが、白く滑らかな肌は、およそ男にはないようなものに思われた。

「何故こんなことをしている。軍の下の階級では既に噂になっているぞ」

 怒りを露に、私は問い詰めた。しかし、仲呂は、何も答えなかった。

「何故だ! 言え!」

 私は悲鳴のような声を上げた。だが仲呂は微笑んだまま、何も言わない。いつかバレることなど、仲呂の頭を持ってすれば簡単に分かるだろうに。弁解して欲しかった。仕方のない事情があったのだと言われれば、私も納得出来るだろうと思った。しかし、仲呂は、何も、一言も、答えなかった。

「東峻。辛いでしょう」

 仲呂は私の足に目を向けた。何のことを言っているのか、すぐに察しがついた。仲呂の乱れた姿を見て――不本意にも、私のものは、その「兆し」を見せていた。

「黙れ」

 鋭く、遮る。だが。

「今夜のお相手は逃げてしまったし、私と楽しみませんか? 私なら、東峻を巧く慰められると思います――」

「黙れっ!!」

 私は剣を床に叩きつけた。もうこれ以上、何も聞きたくなかった。今までの仲呂と同じ人物とも思えない。いつもきちんと結われている髪は、今は腰のあたりまで真っ直ぐに下ろされ、淫蕩な気配を漂わせている。

「お願いだから……止めてくれ」

 私は深く傷ついていた。涙声で、そう懇願すると、仲呂は悲しそうな顔をした。久々に見る、笑顔以外の表情だった。

「仲呂……何故こんなことを……。事情を、話してくれないか。やむを得ない事情ならば、今回のことは殿には報告しない。だが私に事情を話さない場合は、殿に報告するが、良いか」

 こう言えば仲呂は話してくれるだろうと思った。どうしても、お金の要る事情があったのだと言ってくれたら、私の心も休まるのに。

 しかし、仲呂は答えなかった。

 頑ななまでに、その唇を開くことはなかった。互いに見合いながら、半時が過ぎた。


――見詰め合うことは出来ても、語ることは出来ない。

 星祭りの日の、仲呂の言葉が脳裏をよぎる。分かり合えないものなのかもしれない。星だけでなく、人も。


「分かった。仲呂がそのつもりなら、私は殿に包み隠さず報告しよう。それでいいな?」


「東峻のなさる通りに」

 仲呂は引き結んでいた唇を、やっと開いた。それは、これまで聞いたどの言葉より、悲しい言葉だった。

 私は殿に報告をした。出来るだけ、仲呂が罰を受けないように取り計らったつもりだったが、その心配は無用だった。殿は、仲呂を罰することなど考えもしなかったようだ。殿は、仲呂を呼び出し、金が要るのならば、自分が援助する、出世払いで返してくれれば良いとまで言ったそうだ。

 けれど、仲呂はその申し出を断った。

 金が要る理由は、一言たりとも口にしなかったらしい。仕方ないので、殿は、仲呂に色事はほどほどにと、注意勧告をするに留めた。将来有望な軍師を、こんなことで失うわけにはいかないと、そう考えてくださっているようだった。私も、殿のはからいに感謝した。

 しかし、ほどなく始まった戦で、仲呂は自ら前線で戦うことを申し出た。前線で戦うことは、危険も非常に大きく、熟練した将たちでさえ、並大抵のことではない。なのに、鎧の重みで倒れそうな体をした仲呂が前線で戦うことなど、どう考えても無謀だと思われた。殿は、仲呂が前線で戦に臨むことを承知したが、老練の武将と共に戦うことを条件とした。仲呂はあの事件の後も、あくまで冷静で、微笑を絶やさなかった。

 私は、あの日以来、仲呂と話すことはなかった。身を案じてはいたが、仲呂のあんなところを見てしまって、何と話しかけたら良いかなど、分かるはずもない。

 そうこうするうちに、仲呂は、戦へと旅立った。私は前線ではなく、後方援軍を担当していたので、その報せを聞いたのは、かなりの時間が経ってからだった。


「仲呂殿が、亡くなりました……!!」


 そのとき私は、兵たちと祝いの酒など飲んでいて、思わず酒杯を取り落とした。楚軍は勝利した。しかし、仲呂は――――。

 部下の話では、仲呂は勇ましく敵陣に乗込み、勇敢に戦ったのだそうだ。だが、やはり体力の面で劣り、弱ってきたところを、敵に挟み撃ちにされたらしい。

 私は報せを聞いたとき、手が震えて止まらなかった。体のどこが震えているのかも最早分からない。ただ膝をついて、襲ってくる後悔に耐えた。

「仲呂殿は、もしかしたら、死ぬつもりで赴かれたのかもしれません。己の命を顧みないような、そんな戦い方でした。あの細腕で想像も出来ないほど、たくさんの敵を討ち取られましたから……」

 嗚咽を漏らしながら、一緒に戦っていた兵たちは言った。


 仲呂……。


 仲呂…………!


 仲呂………………!!


 私が仲呂と過ごした日々が一気に甦ってきた。星祭りの日、酒を差し入れてくれたこと。 


 いつも微笑していた優しい笑顔。

 策を語るときの聡明な横顔。

 はっとするほど、艶やかな物腰。


 初めて会ったときから、私は彼しか見えなかった。

 何よりも、誰よりも大切な、友であったのに………。



 私は、剣の切っ先を喉に当てた。

 全くの無意識だった。

 部下に引き剥がされて、ようやく我に返った。

 仲呂はもういない。

 優しく聡明な、あの仲呂は、もう、いないのだ。

 後で聞いたところによると、仲呂は、病気の母が一人居たとかいうことだった。

 仲呂が私利私欲で金を欲する者でないことは分かっていたが、何故金が要るのかは分からなかった。彼は、軍師として既に相当の金額を貰っているはずだからだ。

 母親が病気というのも、根も葉もない噂で、本当かどうかは分からない。

 ただ、理由があるなら、私には話してくれればよかったのにと思わずにはいられない。

 今となっては、本当は理由などなかったのかもしれないし、言いたくなかったのかもしれない。

 どちらなのかは分からない。


 ――見詰め合うことは出来ても、語ることは出来ない。


 だから、私も仲呂を見つめるだけしか出来なかったのだ。

 しかし、私は仲呂のことを思い出す。あの星祭りの夜のことと共に。


 ずっと、これからも、いつまでも――――。

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