あなたを忘れる魔法があれば

六花

1:JK①

≪WWW≫


(…………ワールドワイドウェブ?)


 とにかくそれが、探していた「店」の名前だった。



 地方都市の繁華街、小さな店がひしめき合う中に半ば埋もれるように、店名を掲げたその扉はあった。


 軒先で傘を閉じ、おそるおそる扉を押し開く。


 入ってすぐ正面にカウンターがあって、右手には古書がぎっちり詰まった本棚。左手の棚には商品が陳列してあると思われるものの、灯りに乏しいせいで詳しい様子は窺えない。


 ただひとつ、カウンターに、膝上に大きなチョウチンアンコウのぬいぐるみ(どこで売ってるんだろう……)を載せた実寸大の西洋人形が飾ってあって、唯一鮮やかな夕陽の差し込む右の出窓では、白黒の毛並みの猫が丸まっていた。


(……あれ? ここ、道側には扉だけじゃなかった?)


 疑問に思うと同時に、西洋人形がぬいぐるみから視線を上げる。完全な不意打ちに、ささやかな疑問は吹き飛んだ。


 西洋人形……ではなく、西洋人形そのものの容姿の美少女は、私を見てにっこりした。


「いらっしゃいませ」


 でもまさか、一応は「店」に、十歳そこそこの女の子しかいないはずがない。私の疑問を察したかのように彼女は動き、カウンター奥の階段の上に向かって声を張り上げた。


(…………あれ? ここ、一階建てじゃなかった?)

「つるぎ――――! つるぎ! お客さん!」


 ……しばらく待ってみたけれど、二階からは物音ひとつ返ってこなかった。


 少女は、背を向けていても判るくらいあからさまに舌打ちすると、打って変わった完璧な笑顔でくるりと振り返り、殊更に明るい声で私に言った。


「今日は何をお探しですかあ、じぇいけえのおねいさんっ」


 JK女子高生のお姉さん、に不自然なほど力が入っていた。


 一拍置いて、二階で、何かをひっくり返したような派手な音がした。しばらくどたばたと続き、階段を転げ落ちる勢いで二十歳くらいの軽装の青年が下りてくる。十人中八人は「結構かっこいい」と言うだろう。残り二人は多分「ちょっと軽そう」と言う。そんな彼は、私を見て、やっぱりにっこりした。


「いらっしゃいませー」


 露骨すぎるほど露骨な反応に、少女が、こちらも蔑みを隠そうともせず小さな鼻を盛大に鳴らす。


「現金。単純。ほんと莫迦」

「喧しい。俺昨日徹夜でマンドレイクと格闘してたんだぞ、ゆっくり寝かせろよ。見ろこの腕! 咬まれた!」

「全然無傷じゃないの、このナマクラ! それにわたしだって、完全受注生産のアテナ姐さんの機織はたおり受け取りに行ったら、アルテミス嬢も交えて、男なんて生ゴミよね談義・リターンズに朝まで付き合わされたんだから。おかげで軽い男性不信よ」

「……鏡子きょうこ、おまえもうそこ行くな。俺の扱いの酷さに拍車がかかる!」

「ほかに誰が行くのよ。あんたなんか口滑らせたらその場で折られて終わりじゃない」

「…………あ、あの、」


 ぎゃあぎゃあ、と表現するほどでもないけど口達者で理解不能な遣り取りに、そっと口を挟んでみたけれど、無視された。というより気づいてすらもらえなかった。二人とも、私という客の存在を完全に忘れている。


「だいたいおまえ、西洋に傾倒しすぎなんだよ。維新のどさくさに紛れて髪や服どころか店名まで変えやがって。なんだよWWWって。白人至上主義秘密結社かよ」

「それKKKクークラックスクラン!  WWWホワイトワンダーワールドよ!  改名して百年以上経ってるんだからいいかげん馴染みなさいよっ」

「創業以来千年以上『九十九屋つくもや』でやってきたじゃねえかよ、なんで今更」

「漢字の『百』から『一』引いたら『白』なんだから、意味合いは大差ないでしょ。何よそんなに気に入らないのわたしのセンスは」

「あのー……」


 止まない応酬に勇気を振り絞ってもう一度声をかけてみる。と、出窓でまどろんでいた猫が首輪の鈴を鳴らして身軽に飛び降り、ひと跳びでカウンターに上がった。喧々諤々の二人にではなく、私に向かって一声鳴く。


「ニャー」


 私と目を合わせ、軽く首を傾げたその様子が、まるで「ご注文は?」と伺っているようにも見えた。


 それでようやく、長身の青年と小柄な少女も私の存在を思い出してくれたようで、気まずそうに営業スマイルを浮かべる。


「ごめんなさい、見苦しいところ見せちゃったわ」

「ええとそれで、今日は何をお求めですか? お嬢さん」


 大分遠回りしてようやく切り出された本題に、我知らず息を呑む。


 こんな胡散臭い店に、いったい何を探しに来たのか。


 意を決し、私は言った。


「…………レテの川の水って、ありますか」



 賢者の石だとか、人魚の肉だとか、ソロモン王の指輪だとか。


 ここはそういう、神話や伝説にしか登場しないはずの品を取り扱う「店」だった。



「忘却の川の水ね。ありますよ。少々お待ちを」


 青年は実にあっさり頷いて、カウンターから出ると商品棚の並ぶほうへ消える。


 私が知ったのは、SNSの片隅のひそやかな都市伝説だった。《WWW》という店名、扱う特異な品々。全国津々浦々、前触れもなく開店し、跡形もなく閉店する。


 半信半疑どころか、まったく信じられる話ではなかった。だけど、見つけた。


 毎日通い慣れたはずの道に、今日、その扉は確かにあった。


 青年が商品を取りに行ってしまうと、もうすることない、とでもいうように少女はカウンターに座り直し、ぬいぐるみの陰でスマホ操作を再開した。猫もそこに寄り添うように再び丸くなる。


 その無関心な様子に、私は思わず呟いていた。


「……訊かないの、どうしてそんなものほしいのか、って」


 ――――大好きな人がいた。


 だけど、失恋してしまったのだ。


 ……高校で同じクラスになって、隣の席になって、親しくなった。好きになった。


 告白しようかと思ったことも何度かあったけれど、玉砕した場合のことを考えると怖くて踏み出せずにいた。


 だけどそうやって迷っているうちに、秋が来る頃、彼が中学からの同級生で別のクラスの子と付き合い始めたということを知った。……更に皮肉なことに、その子は私と同じ部活でいちばん仲良くしている子だった。


 失恋は辛かった。告白しなかったことを後悔もした。そしてそれと同じくらい、友達を逆恨みしそうになる自分が嫌だった。


 悲しくて苦しくて――――、そんな気持ちを抱えきれなくなりそうになった頃、≪WWW≫の噂を知った。


「レテの川」と言うのは、言ってみればギリシャ版三途の川で、その名は青年の言っていたとおり「忘却」を意味する。この川の水を飲むことで、死者は生前のしがらみから解放されるのだという。……こんなことを純日本人の現役JKたる私が知っていたのは、昔ギリシャ神話をモチーフにした漫画を読んでいたからだ。


 全部、忘れてしまいたかった。この辛さ、後悔、仄かな恨み、――――彼を好きだったこと。何もかもすべて。今では痛むばかりのこの想いから解放されたかった。


 少女はスマホから顔を上げて、言った。


「だって、必要ないから」


 何もかもを見透かすような目をしていた。


「わたしたちは商売人だもの。客が望む品を売るだけ。それ以上の干渉はしない。あなたがどうしてそれがほしいのかも、それを買ってどうなるかも、わたしたちには関係ない。もっと言えば興味もない。だから訊かない」


 澱みなく紡がれる言葉は、その容姿に似つかわしくないほど無情で冷徹だった。多分、彼女の中では明確な線引きがされているのだ。


「――――それに、その気になればなんだって判るしな」

「剣。あんた頭だけじゃなくて口も軽いのね」


 奥から戻ってきて軽口を挟んだ青年に、少女は振り返りもせず容赦ない一言を浴びせる。この程度の暴言は日常茶飯事なのか、青年は気にした様子もなく、香水のような硝子の瓶を私に差し出した。ペットボトルを渡すような気安さで寄越してくるものだから、こちらもつい片手で受け取ってしまう。


「お待ちどうさま。これがお探しの品」

「はい……」


 ……中は確かに、無色透明の液体で満たされている。


 これが、忘却の水。


 本のページ、神話の中にしか存在しないはずのもの。


 それが、今、自分の掌にある。


「寝る前に飲みな。起きたときにはもう、忘れたことすら忘れてる」

「全部?」

「そう。きれいさっぱり。……だから、いいのか?」

「え?」


 質問の意図が解らず瞬く。


「薄めてあるけど、これ、忘れたいことだけ忘れられるほど器用な代物じゃねえから。ここ一年くらいの記憶は殆どなくなるよ」

「剣」


 干渉しすぎだ、と釘を刺す少女に、青年は今度は言い返した。


「ああ。でも、できるだけ客の要望に沿うように、よりいい品を提供するのも商売人の仕事だろ?」

「まあ、そうだけど……、でも、現世うつしよで使っても平気なように希釈するくらいしかわたしたちにはできないわよ。うちだって万能じゃないんだから」


 現世、なんてなかなか日常会話で出てこない単語だなあ、と思いつつ、ここ一年ほどを振り返ってみる。……友達と喧嘩したとか、親に叱られたとか、往来のど真ん中で盛大に転んで恥かいたとか、この一年に限らず、人生にはむしろ忘れたい出来事のほうが多い気がする。


「いいです、それで」


 失恋を忘れたいという想い以上に強く、忘れたくないと思うようなことはない。


「……そう。まあわたしたちは、払うものさえ払ってくれれば聖者も貧者も関係ないわ。総理大臣だって指名手配犯だって『客』として等しく扱う。わたしたちは商売人で――――だからね」


 少女が「払うもの」に言及したところで、ようやく気付いた。ここは「店」、欲しいものを手にするためには支払いをしなければならない。……けれど、自分がここで求めた「商品」は、浮世のものではない代物だ。


 そしてそれは、この店自体にも言えることだろう。扉が浮世に向かって開いているだけだ。この店は浮世とは違う場所――――常世とこよの存在なのだ。


「お……おいくらです、か」


 及び腰で尋ねる。……べらぼうな価格を提示されたらどうしよう。分割払いとか出世払いとか可能だろうか。こちとら一介のJKである。


 けれど。


「ああ。うちは別に金じゃなくても支払い可能だ」

「え?」

「そう。お金以外にも、たとえば髪とか、目玉とか寿命とか――――魂とか。その品と、それを提供したわたしたちの労力に見合うだけの『あなたのもの』を頂くわ」


 やはり浮世離れした台詞、微笑。現実味がなく、なのに妙な威圧感だけはある。知らず、一瞬、鳥肌が立った。


 青年が苦笑する。


「そう怯えなくても大丈夫だって。いくら客が悲壮な覚悟で目玉や魂差し出そうとしても、俺たちの益にならなければ取引として成立しないんだから。その点確かに、通貨ってのは便利な指標だな。価値が万人共通で迷いがない」

「じゃあ……私の『何』を払えばいいんですか」


 声は硬いままだった。はぐらかされそうになったけど、自分の「何か」を自分から削らないといけないことに変わりはない。


 記憶を忘れる水。その代価は。


「そうだな……、レテの川の水程度なら、まあ、」

「それがいいわ。それ、ちょうだい」


 青年の思案を思いっきりぶった切って、少女は私を指差した。――――正確には、私の鞄を。ひょいとカウンターから下りると、鞄を勝手に開けてスマホを取り出し、ストラップを指先で摘まみ上げた。リン、と微かな音が鳴る。


 水琴窟の音を模した鈴だ。


「そんなもんどうするんだよ」

「タマの鈴の代わりにつけるの。鈴より音が小さくて綺麗だわ」

「ミー」


 青年は怪訝な顔をしたが、名を出された猫が少女の足許に寄ってその手許を見上げる。視線から察するに、不満はないようだ。


「い、いいの、そんなので」


 逆に私は、想定外に安い「値段」に拍子抜けして思わず訊いてしまう。こんなもの、千円したかしないかの代物だ。けれど、「そんなもんどうするんだよ」と言っていた青年も頷いた。


「いいっていいって。それだって、言ってみれば川の水汲んできただけなんだし。まあ、妥当なとこだろ」


 悪徳霊感商法の種明かしみたいなことをさらりと言う。


「言ったでしょ。わたしたちは売るだけよ。買ったそれをどうするか、安い買いものだったと思うか高くついたと思うかはあなた次第」

「じゃあ……どうぞ」


 若干不安も感じつつストラップを外して渡すと、大人びて割り切った口を利く少女は丁寧に両手で受け取り、年相応の無邪気な笑みを見せた。


「はい。お代のほう、確かに承りました」

「毎度あり」


 ……一事が万事いい加減な店なのに、要所要所の台詞回しだけは妙にきっちり商人あきんどだ。


「ありがとうございましたー」


 陽気な声に見送られて、わたしは《WWW》を後にした。


 外は相変わらずの雨模様だった。



 その夜。


 ほんの少しだけ想いを巡らせたあと、吹っ切るように《WWW》で買った小瓶の栓を外し、一気に中身を呷って眠りに就いた。

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