婚約破棄されたので、ジャーマン・スープレックスをきめます!

エノコモモ

婚約破棄されたので、ジャーマン・スープレックスをきめます!


その日、まさに青天の霹靂のような一報を受けて、ビアンカ・シュミットは激怒した。


そして彼女は心に誓う。かの憎き相手に、ジャーマン・スープレックスをかけることを。






「いよいよここまできた…!」


それから約半年後。ビアンカは復讐の地へ立つ。瞳に宿るのは確固たる情熱と決意。その原動力は怒りだ。


激憤の理由は4つ下の妹、エリーゼにある。ビアンカは早世した両親に代わり彼女を育て、まさに目に入れても痛くない程可愛がっていた。


そんな溺愛する妹がめでたく恋愛結婚をする運びとなり、喜ばない姉が何処にいる。


しかし裏切られた。裏切られたのだエリーゼは。


相手は突然婚約を破棄し、幸せの絶頂にいた彼女を深い絶望の底へ叩き落とした。部屋に閉じ籠り深い哀しみに暮れる妹を前に何も動かないほど、ビアンカは薄情な姉ではなかった。


「おはようございます。ブルクハルト様」


燃え盛るような心中を隠し、彼女は恭しく頭を下げる。目の前で、巨大な影が動いた。


ブルクハルト・ゼーネフェルダー。到底人間には有り得ない風格、頭から聳り立つは二本の角。竜を祖とするドラゴニアの家系である。


(この男こそ、私がジャーマン・スープレックスをかけるべき相手…!)


念のため言っておくと、ビアンカもエリーゼも人間である。可愛らしい妹の恋愛相手にしては大分厳つい相手が浮上してしまったが、心当たりはある。


(エリーゼにはこのご時世、見た目じゃなくて中身を重視しろとは言ったけど程があるでしょ…)


「いい子に育てすぎた…」


人を疑うことを知らない優しいエリーゼの性格に、つい頭を抱える。


「どうかしたか?ベティーナ」

「いいえ。失礼しました」


ごほんと咳払いし姿勢を正す。


ベティーナ。これは潜入に当たり使用している彼女の偽名である。そしてその目的は言うまでもなく、妹の元婚約者だ。そんな野心をおくびにも出さず、彼女は平静を取り繕う。


「尾が棚に当たってしまって…」

「そうか」


そう話す彼女のスカートからは、黒く細長い尻尾。本来人間には存在し得ない筈のそれは、ふさふさで滑らかな曲線を描く。


(“変身”は完璧…!)


ビアンカは努力家だ。魔術を専門とする学校に特待生として入学し、首席で卒業した。


そして現代魔術の真髄は、不可能を可能にすることにある。理論上到底実現不可能な前提条件を、自然界に存在する魔力を利用し現実に具現化させる。


(ここまで辿り着くのが大変だったけど…!)


魔術の使用には非常に厳しい条件や制限が付き纏う。


(毎日1時間のランニング。腹筋と背筋、スクワットを100回ずつ。厳しい食事制限。これをこなして初めて変身できるなんて…)


一見すると厳しめの運動部の日常に思えるが、ここは異世界。全て魔術を発動させるのに必要なことなのだ。


そして少し健康的になった肉体にブラックパンサーをベースにした変身の術をかけ、ビアンカは今に至る。


(全ては身分を隠し、この男の屋敷の使用人として雇われるために…!)


そして今、目の前で黙々と仕事をする復讐の相手を睨み付ける。


ブルクハルトはゼーネフェルダー家当主の三代目。魔族屈指の強面も相まって、人間はもちろん魔族の中でも一目置かれる存在だ。


愛想は皆無で世辞の一つも言わない性格だが、決断は早く正確。いざとなれば自身が表に立つ胆力もある。福祉事業にも手厚く、部下を優秀だと認めれば、年齢や種族に関係なく昇級を行う徹底した合理性など尊敬すべき点も多々ある。


(だからってエリーゼにしたことが、許される訳がない)


ビアンカの心は怒りで燃える。しかし、どちらが悪と言い切れぬ色恋沙汰に対し、私刑を行うのは彼女の主義ではない。何より、一時でも恋慕を寄せていた男を貶めたところで、優しいエリーゼが喜ばないことは誰よりも知っている。


(だからこれは完全に、私の自己満足…!)






「誰だ…?」


夕方。慎重な潜入捜査の末、ビアンカは知った。この時間、ブルクハルトは一人で仕事をする。そして警備は屋敷にこそついているものの、本人は大変に厳つい容姿をしている為に必要性が無いと判断され、彼の警備は手薄になることを。


「ブルクハルト・ゼーネフェルダー…」


そして今、変身を解いたビアンカは彼の前に立つ。初めて見せる人間の姿で、彼女ははっきりと宣言した。


「今こそ私は、復讐を果たす!」


さて。当たり前の話をしよう。ジャーマン・スープレックスは難しい。


相手の背後に回り込み、両腕で腰を固め、自分ごと反るようにして首から打ち落とす。まさに芸術とも言える離れ業だ。


その上相手は異性どころか異種族、そしてこれだけの体格差。普通に考えれば高難易度のジャーマン・スープレックスは元より、腕相撲すら互角になりはしない。いくら妹をからかった近所の悪ガキ共を一人残らず側溝に落としまくった過去があるビアンカでも、いくら最近のストイックな生活により多少筋力が向上していたとしても、こればかりは天地がひっくり返っても不可能と言うものだ。


しかし彼女には魔術があった。不可能を可能に変え、理想を現実に具現化する魔術が。


(その為に必要な条件は揃った…)


体格差が2倍以上ある相手にジャーマン・スープレックスをきめる――それを可能にする魔術の発動条件は、まず相手の全てを把握すること。名前、住所、生年月日、現在の体重、身長、両親の名前、出生時の体重や今日履いている下着に至るまで全て。


もう一度言う。下着など一見まったく関係の無いように見えるが、全て術を組成するのに必要なことなのだ。


「貴方に決闘を申し込む!」

「何…?」


そしてこれが最後の条件。それはジャーマン・スープレックスをかける相手に、決闘を申し込むこと。


(妹の涙も、私の魔術も、全てはこの時のために…!)


今までの苦労が走馬灯のように甦る。


「な…!?」


その日、ビアンカはこれ以上なく綺麗なジャーマン・スープレックスをきめた。






小さな家に寄り添うように生える林檎の木。植えられたのは10年以上前だが、今年も満開の花が成る。


「私の勘違いだったの」


優しく垂れた目尻、柔らかな曲線を描く髪。正反対の性格も相まって、あまり似ていない姉妹だと周囲からは言われてきた。


「ブルクハルトは私のことを思って、身を引こうとしてくれていたの。ほら、やっぱりどうしても、魔族と人間って、良く見られないことも多いし…」


そう話すエリーゼの隣にはブルクハルト。二人は顔を合わせて微笑む。


「それでも二人で話し合って、全てを二人で乗り越えていこうって決めて、婚約を戻すことにしたわ」

「……」


先程から黙ったままの姉を前に、エリーゼは眉尻を下げる。


「お姉ちゃん。心配かけて本当にごめんなさい。婚約の話が無くなった時も、私が悲しんでいる時も、一番怒ってくれたのは、いつもお姉ちゃんだったね」


そう言って、そっとビアンカの手を握る。


「もう心配いらないよ。教会では、私と一緒に歩いてね」


その言葉に、ビアンカは庭先へ視線を戻す。


林檎の木は、遠い昔に家族で植えたものだ。今は亡き両親が遺した思い出は、いつにも増して大きな花を咲かせている。まるで二人の門出を祝福しているようだと、らしくないことを思う。


「喜んで。貴女の幸せが、私の幸せよ」


一抹の寂しさを隠し、ビアンカは穏やかに微笑んだ。


さて。婚約破棄を受けて哀しみのあまり部屋に籠っていたと思っていたエリーゼが、入念な下準備の上に婚約者の家に不法侵入、あらゆる手段で警備兵をなぎ倒し婚約者と直接話をつけたと聞いた時には強く血の繋がりを感じたが、その話は長くなるので割愛しよう。


とにもかくにも、エリーゼは最愛の男と婚約を結び直した。ビアンカにとって、理想的な結末に辿り着いたのだ。


(問題はただ一つ…)


「……誰?」


そう。問題は、妹の隣で優しく微笑む婚約者が、初めて目にする全く知らない人物だったことだ。






(やってしまった…!)


翌日。ビアンカは真っ青な顔で職場に出勤した。いや正確に言えば、今は変身術を使用している為に顔は黒いのだが、人間の姿であったなら誰しもが認めるような鮮やかな青だっただろう。


(まさか、あんな珍しい種族で同姓同名が存在するとは思わないじゃないのよ…!)


そう、竜族のブルクハルト・ゼーネフェルダーは二人いた。そして先日妹の婚約者として挨拶に来たのは、人の良さそうな顔をした、一周り小さめの男であった。


つまりビアンカは、全く何の恨みもないブルクハルト・ゼーネフェルダーに、華麗なるジャーマン・スープレックスをきめたと言うことだ。


(まずは土下座。開口一番に謝罪。その後叩き出されなきゃ、今回の経緯と事情を説明して…)


ビアンカは謝罪に対しても努力家だった。一晩中土下座の練習に励んだため額はひりひりと痛むが、今はそれどころではない。


(よし!行くわよビアンカ!)


華麗なる土下座を決めるべく、彼女は扉の取っ手に手をかける。しかし勢いよく開き滑り込もうと体重をかけた瞬間、扉の向こうから鋭い声が耳に入った。


「捜せ。昨晩この屋敷に忍び込んだ女だ」


その一言に、思わず扉を開けるのを留まった。耳を澄ませば続いて、困惑する使用人の声も聴こえてくる。


「し、しかしブルクハルト様。この屋敷では逃げてきた親子などを保護しておりますから、警備は厳重です。そう易々と外部の者が侵入できるような作りにはなっておりません」


ビアンカとも面識がある初老の使用人はそこで言葉を切り、言いにくそうに口ごもりながら続ける。


「ましてや貴方にジャーマン・スープレックスをかけることなど、人間には…いいえ、魔族と言えど不可能かと思いますが…」

「いいや。目が覚めた時には俺は頭から床に食い込んでいた。これが夢ではなくて何とする」

「なんですと…!?」


主に身体的な面で一族随一とも言える成長を見せたこの主人に、ジャーマン・スープレックスをきめた女がいる――到底神業とも言える所業を前に、使用人の驚愕が伝わってくる。


そしてこのやりとりを扉越しに聞いていたビアンカは察した。


(殺される…!)


ブルクハルトは昨夜突如現れ、ジャーマン・スープレックスをきめられた相手を捜しているのだ。これを復讐が目的ではなく何だと言うのか。一瞬後退りしかけ、彼女はすぐに首を振った。


(いいえビアンカ!これも全て自業自得!)


ビアンカ・シュミットは道義に厚い性格だ。自分の勘違いで他人に迷惑をかけ、それを黙っているなんてことはできない。


(謝罪をしなければ!それでたとえ命を落とすことになろうとも…)


『教会では、私と一緒に歩いてね』


ふと思い出してしまったのは、昨日のエリーゼの言葉。


「……」


最初に婚約をすると聞いてから、何万回と想像した可愛い可愛い妹の晴れ姿。まるで走馬灯のように過るそれを一通り思い起こしたところで、ビアンカは結論を下した。


(何としても逃げ切らなきゃ…!!)


そっとドアの取っ手から手を離す。厚みのある高級な絨毯の上は、靴音は響かない。こうしてビアンカは無事にその場を後にしたのだ。






「ブルクハルト様。何故そこまでしてその女を捜すのですか…?」


さて、ビアンカが居なくなった後。室内では、件の女を捜索に対する打ち合わせが行われていた。積極的に見つけ出さんとするブルクハルトを前に、使用人は懸念を口にする。


「表立って捜索に当たれば、理由を説明せざるを得なくなるでしょう。その…貴方が人間に…」


長く仕える忠臣が気にしているのは、主人の醜聞が外に漏れることだ。ジャーマン・スープレックスをかけられたなど、にわかに信じがたいこととは言え、この主人が冗談を言わないことは誰よりもよく知っている。


「……」


そしてその言葉を受けたブルクハルトは黙り込む。時計の長針が半周したところで、重たい口を開いた。


「…責務を果たさなくてはならぬ」


重く低い声から感じ取れたのは強い責任感。ブルクハルトはそのまま、深刻そうな面持ちで続けた。


「女は言ったのだ。この俺に『結婚を申し込む』と…!」


そう、ブルクハルトは「決闘」と「結婚」を聞き間違えていた。そして今、彼を突き動かすものはそれだ。


「負けた以上、俺は何としても彼女に婚約を申し込まねばならん…!」


結婚の申込みを行った女がどうしてジャーマン・スープレックスをかけるだけかけて失踪するのか――使用人は疑問には思ったが、彼の熱意を前に何も言えない。


「必ず捜し出して見せるぞ…!」


ブルクハルトの瞳は熱く燃える。文字通り脳天を打ち付けられた衝撃は、彼の心に仄かな恋心を灯した。





さて。

ブルクハルトとブルクハルト。多少のスペルの違いはあれど、ビアンカが勘違いをした通り、同姓同名の上に同種族は偶然では有り得ない。二人のブルクハルトと言う名前は、共通の祖父の名が由来である。


要するに、彼らはそこそこ近い親類である。とどのつまり最愛の妹の結婚式にて、ビアンカはジャーマン・スープレックスをかけられた方のブルクハルトと運命的な再会を果たしてしまうのだが、二人はまだ知らない。

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