三
「ねぇ、どうしよう。風詩先生本当にかっこよくてさ。優しいし紳士だし、本当に付き合っていいと思う?」
翌日の同時間帯、また香乃子先生は話しかけてきた。その表情は完全に恋する乙女で、恐らく背中を押してくれる言葉が欲しいのだと察する。
でも胸に秘めた思い出が、どうしても「付き合ったらいいじゃないですかー!」とは言わせてくれなくて、私はアハハと軽く笑って誤魔化した。
「ああ大変、また今日も一緒に帰る約束しちゃったし、早く仕事片付けなきゃ」
言い終える前に、また先日と同じく階段を上ってくる音がして、部屋の扉が開く。
予想通り、それは風詩くんだった。
「香乃子先生、おもちゃの除菌終わりましたか?」
「あ、実はまだ残ってて……でも、もう少しで終わりそうなの」
「じゃあ、僕がやります。それで一緒に早く帰りましょう?」
一緒に帰りたいという思いを素直に言える彼はなんて可愛らしいのだろう。昔から、そういうところは変わっていないのだと安心する。
でもそれは私に言われた言葉ではないのが、悲しくて堪らなかった。
昨日は断っていた香乃子先生も、今日は「それならお願いしようかな……」と少し照れ臭そうに頼んでおり、見ていてより辛くなる。
二人が幸せならそれで良いという感情と、私を見て欲しいという思いが、天使と悪魔の囁きのごとく、私の中で灰色の何かを生み出しているように思えた。
頼られた嬉しさから、早速動き出す彼。私の近くにあったおもちゃ箱をひっくり返し、除菌スプレーをひたすらかけていく。
話すのなら、今がチャンスだった。もう二度とないかもしれないのだ。
唇が震える。それでも、勇気を出して私は声をかけた。
「私のこと……覚えてますか」
絞り出したその声は、相手に聞こえるはずもなく、彼は私の方を見向きもしなかった。
「あ、あの……」
すると、彼はおもちゃから視線を外し、顔を上げた。ようやく気がついたかと思ったが、その視線の先は書き物に向かう香乃子先生。
ああ……やっぱりもう駄目なんだ。私のことなんて、どうでも良いくらい、風詩くんは香乃子先生しか見えていないのだ。
言葉にならない感情で全身が包み込まれる。失恋だけではない。視界にすら入れないことが、ただひたすらに悲しくて仕方がなかった。
「あれ、あなたたち、まだ残ってたの?」
ガラッと扉を開けながら入ってきたのは、背の低い、白髪混じりの女性。園長だった。
「すみません、もうすぐ終わります」
香乃子先生がそう言うと、何か言いたげな感情を少し抑えて、室内をぐるっと見回した。
「あらやだ、まだこんな汚いの使ってたの?」
園長が私と風詩くんの方へと近づいてきた。
香乃子先生も何かと思い、手を止めて近づいてくる。
「あ、それ子どもたちに結構人気なんですよ」
香乃子先生が園長の視線の先を見て言った。だが園長は余計、眉間に皺を寄せる。
「じゃあ、新しいの買うわ。さすがにもう寿命よ。私がまだ主任だった頃に保護者の方から貰ったものだし。紙袋にでも包んで、捨てといて頂戴」
園長はそれだけ言い残し、部屋を出て行った。香乃子先生は少し悲しそうな表情をして、俯いている。
動かない香乃子先生を見て、風詩くんは立ち上がり、どこからか紙袋を持ってきた。
「僕がやっておくんで、香乃子先生は続きをして大丈夫ですよ」
そう言うと、風詩くんは私の腕を思い切り引っ張った。
「え?」
久々に風詩くんと目が合った。再会してからも、私のことなんて眼中になかったくせに、いきなりのことで驚く。
そのまま思い切り、私のことを紙袋に突っ込んだ。紙袋の口を何度も折り、私の世界が真っ黒に染まる。
最後に見えた世界は、風詩くんの瞳に映る、ボロボロになった人形だった。
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