荀子 第二巻

【荀子 第二巻 不苟】

【荀子 第二巻 不苟(1)】

「君子は、行に苟も難しきことを貴ばず、説に苟も察なることを貴ばず、名に苟も伝わることを貴ばず、唯其の当るを貴しと為すのみ」

 君子は、わざと難しい事を行えば良いとは考えない。

 話をこじつけたり、意見に対して1か0で判断すればいいとは考えない。

 自分の名前さえ世界に広まれば良いとは考えない。

 ただ、人としての道から外れない事を良しと考えるのみだ。

 

 例えば、悪人の名前は後世にながく伝えられている。

 だからと言って自分も歴史に名前を刻みたいからと悪事を働いて良い事にはならない。

 ルールに書いてないからと言って、何をしても良いとは考えない。

 

「詩に、物其れ有りとも唯其れ時なり、と曰えるは此れを謂うなり」

 詩経(周代の詩集)に「世界に物(手段)が沢山あるからこそ、善い時期(行動)を選ぼう」とあるのは、つまりそう言う事である。

 

 

【不苟(2)】

「君子は知り易きも狎れ難く、懼れしめ易きも脅し難し」

  君子とは、容易に知己となれるが犬の様に懐きはせず、恐怖を感じさせる事は出来ても脅迫には屈しない。

 

「患を畏るるも而も義に死することを避けず、利を欲するも而も非なる所を為さず」

 危害を被らないように立ち回るが、義に直面しそれを為すためならば死をも避けようとしない。

 利益を得ようとは思うが、悪事によって得ようとはしない。

 

「交は親しくするも比(おもね)らず、言は辯ずるも乱れず、蕩蕩乎(とうとうこ)として其れ以って世に殊なるところ有るなり」

 親しく交流するが、へつらいはしない。

 弁舌の際に暴論を述べたりはしない。

 上記に合わせ、広大で穏やかな心を持っているのが君子であり、まるで世俗とは次元が違う生き様を見せるのだ。

 

 

【不苟(3)】

「君子は能あるも亦好し不能なるも亦好し。小人は能あるも亦醜く不能なるも亦醜し」

 人は君子であれば才能が有ろうと無かろうと好ましい存在である。

 小人であれば才能の有無を問わず見苦しい存在である。

 

「君子は能あれば則ち寛容易直にして人を開き道びき、不能なれば則ち恭敬繜絀(そんくつ)して人に畏み事う(つつしみつかう)」

 才能有る君子の場合、他者に誠実で寛容であり、そして人を教え導く存在である。

 逆に才能がなかったとしても、君子であれば他者の足を引っ張る真似はせず敬意をもって接し、慎重に事を運ぶ存在である。


「小人は能あれば則ち倨傲僻違(きょごうへきい)にして人に驕り、不能なれば則ち妬嫉怨誹(としつえんぴ)して人を傾覆す」

 才能が有っても小人であれば、その生まれ持った才能を鼻にかけ他者に傲慢で驕り高ぶり、手に負えない。

 才能の無い小人の場合、他者に嫉妬して逆恨み、足を引っ張ろうとする。

 

「故に曰く、君子は能あれば則ち人も焉れに学を栄び、不能なれば則ち人もこれに告を楽しむ」

 才有る君子には喜んで人が集い、学を教え受ける。

 才が無くとも君子であれば素直に他者からの言葉に耳を傾けられるので、人は心置きなく助言をする事が出来る。

 

「小人は能あるも則ち人は焉れに学を賤しみ、不能なるも則ち人はこれに告を羞ずと。是君子と小人との分なり」

 小人は才能を有していても人の学ぶ姿勢を馬鹿にし、才が無ければ忠告に耳を貸す事も無いので他者から助言を受けない。これが君子の小人の違いである。

 

 この章でも君子とは先天的に得られる才能の有無ではなく、他人を尊べる生き様が重要だと伝えている。

 

 

【不苟(4)】

「君子は寛なるも而も慢らず」

 君子はゆとりをもって行動するが怠ける事は無い。

 人には寛大であり、傲慢な態度は取らない。

 

「廉なるも而も劌(そこな)わず」

 誠実であり人を傷つけない。

 

「辯なるも而も争わず」

 堂々と意見するが、言い争いはしない。

 

「察なるも而も激(きび)しからず」

 問題点などを明らかにするが、事を荒立てはしない。

 

「寡立(直立)するも而も勝(しの)がず」

 自らの信念を強く保つが、それで人を押しのけようとはしない。


「堅彊(けんきょう)なるも而も暴せず」

 身体が強く丈夫であっても乱暴狼藉に用いない。

 

「柔従なるも而も流れず」

 素直であるが流されはしない。

 

「恭敬謹慎なるも而も容(ゆたか)なり」

 軽はずみな事をせず控えめではあるが、窮屈ではなく大らかである。

 

 理想的な君子像である。

 君だけのSSR君子の精神を手に入れよう。

 

 

【不苟(5)】

「君子は人の徳を尊び人の美を揚ぐるも諂諛(てんゆ)に非ざるなり」

 君子は他人の徳に敬意を払い優れた点を称賛するが、これを行うのは人に対して媚びへつらって取り入るためではない。

 

「正義直指して人の過ちを挙ぐるも毀疵(きし)に非ざるなり」

  他人の犯した間違いを義によって正すために指摘するのは、その人の名誉を傷つけるためではない。

 

 人の善行を褒めるにしても間違いを指摘するにしても、その行いが過剰にならない様、臨機応変に行動するのが君子である。

 

 

【不苟(6)】

 君子は「大心」であれば自然界の法則を尊重して規範とし、「小心」であれば道義を尊重して節度を保つ。

 小人は「大心」であれば傲慢な振る舞いをし、「小心」であれば性欲に溺れる。

 

 上記のような例えを(6)ではそれぞれ10個も用意して、君子と小人の対比を述べている。

 君子であれば有能であろうと無能であろうと、賢くても愚かでも、喜びや悲しみの感情の表現でさえ善い方向へ動く。逆に小人であればどうあろうと悪い方向へ動く。

 

「伝に、君子は両(ふた)つながらに進み小人は両つながらに廃す、と曰えるは此れを謂うなり」

 言い伝えに、君子はどのような性質でも物事は善い方向へ進み、小人はどのような性質でも身を滅ぼす言うのは、つまりそう言う事である。

 

 

【不苟(7)】

「君子は治を治む、乱を治むるには非ず」

 君子とは整った世界を治める存在であり、混沌とした世界を治める存在ではない。


「人の汙(けが)れてこれを脩(きよ)むるとは、汙れに案(よ)りてこれを脩むるとの謂いには非ず、汙れを去りてこれに易(か)うるに脩を以てするなり」

 人が汚れてこれを清潔にすると言うのは、汚れてから清潔にするのではなく、汚れから遠ざかる事で清潔を保とうとするのである。

 

「汙れを去るものにして、汙れを脩むるには非ざるなり」

 君子とは汚れから遠ざかる者であり、汚れを清める存在ではない。

 

 君子危うきに近寄らずの最たる例である。

 

 

【不苟(8)】

「君子はその身を潔くして焉に同じき者も合し、その言を善くして焉に類する者も応ず」

 善い人の周りには善い人が集まる。

 

 馬鹿正直に良い人であれば善人が集う派閥に悪人を受け入れてしまう。しかし、綺麗な衣服を着る際ホコリが付いていたらそれを払うように、暗愚な人間は弾くのが人情である。ストリーマーが自身の配信を荒らす者が現れた際にBANするのと同義である。

 

 

【不苟(9)】

「君子、心を養うには誠より善きはなし。誠を致むるには則ち他事なし。唯仁のみを守と為し唯義のみを行と為すべし」

 君子が真心を育むには「誠」によるより良いものはない。

 「誠」を極めるには、ただ「仁」を守り「義」を行うのみである。

 

「君子は至徳なれば黙然たるに而も喩(さと)られ、未だ施さざるに而も親しまれ、怒らざるに而も威あり」

 君子は徳を極めた存在だからこそ、人々に発言せずとも意を汲まれ、事を行う前から親密にされ、怒らなくとも威厳がある。

 

 君子が上記たる存在であるのは、「誠」の精神を確固たるモノとさせているからとしている。

 この精神が確固でないと、実践の際に行動として現れない。行動として現れないので、口先だけ立派な事を言っても人々は簡単に信用せず、それどころか疑心を持たれてしまう。

 

 

【不苟(10)】

「君子は位は尊くとも志は恭しく、心は小なりとも道は大きく、聴視する所の者は近くとも見聞する所の者は遠し」

 君子は地位が高くとも心に驕りを持たない。

 細かいところに気を配るが、神経質にはならない。

 身近で見たり聞いたりした事でも、得た経験や知識を深められる。

 

「千人万人の情も一人の情こそ是なり」

 千差万別に表れる感情を捉えられるのも、それぞれ一つ一つの感情を知っているからこそである。

 一人の情が折り重なっていくからこそ、千人万人の情が生まれる。

 

「天地の始なる者も今日こそ是なり」

 自然や社会の始まりを知るのも、今日が存在するからこそ遡る事が出来る。今が存在するからこそ、過去を振り返る事が出来る。

 このたとえの様に、君子とは一を聞いて十を知る事が出来る存在なのだろう。

 

「故君子不下室堂而海内之情舉積此」

 故に君子は外に出て片っ端から見聞きせずとも、世界の情景がその手元に積み上がるのだ。

 凡人には難しい行いである。

 

 

【不苟(11)】

「通士」「公士」「直士」「愨士」「小人」この五つがある。

 

「通士」とは、君主を敬い民草を愛し、事が起これば臨機応変に事態を治める存在である。

 

「公士」とは、下級国民に迎合して上級国民の足を引っ張ろうとせず、上級国民に同調して下級国民に苦痛を与える事もしない。

 争い事を仲裁する時も私情を持ち込まず、公平に考える存在である。

 

「直士」とは、目上の人が自分の長所を知らずに居ても恨まず、短所を隠して利益を得ようとはしない。

 自分の長所を良く見せようとしたり、短所を誤魔化そうとしたりせず、堂々と自らの気質を示す存在である。

 

「愨士」とは、何んとない発言でも必ず責任を持ち、何んとない事でも慎重に行動する。

 世間に流されてしまう事を恐れるが、自分一人が良ければ良いとは考えない存在である。

 

「小人」とは、言葉には常に信用を置けず、行動に正しさがない。

 それでいて利益が得られる場では行動力を発揮する存在である。

 

 

【不苟(12)】

「公は明を生じ偏りは闇を生ず」

 公明正大であれば光が生まれ、不正不公であれば闇が生まれる。

 

「端愨は通を生じ詐偽は塞を生ず」

 誠実であれば人との交流が生まれ、詐偽を行えば人との関係は塞がる。

 

「誠心は神を生じ夸誕(こたん)は惑を生ず」

 誠心誠意こそ最上の信用を生み、おおげさにでたらめであると疑心を持たれ混乱が生まれる。

 

 上記の前者と後者の分かれ目が、聖人君子たる者と暴虐非道である者の分かれ目である。

 

 

【不苟(13)】

「其の欲すべきものを見れば則ち必ず前後に其の悪むべき者を慮り」

 自分が得たいと思った(好ましいと思った)物でも、必ずその一面を見ただけで判断せず、反対にそれを嫌う者が居る事を考えよう。

 逆も然りで、自分が嫌いだと思う物でも、他人は好きだと思う物が存在する事を考えよう。

 

「凡そ人の患いは偏してこれを傷つけることなり」

 偏った考え方や行動をして失敗するのは、人類の悪い癖である。

 

「其の利すべきものを見ては則ちその害すべきものを顧みず。是の以に動けば則ち必ず陥り、為せば則ち必ず辱しめられる。是偏し傷うの患いなり」

 利益を得られる機会を見ては、それを得るために起こる害を考慮しない。

 この様に動いてしまうと必ず苦境に陥り、そして恥を晒す。

 これが偏った行いをして自爆してしまう、害ある行動である。

 

 

【不苟(14)】

「人の悪む所の者は吾も亦これを悪む」

 誰かが悪いと思ったものは、自分もそれを同じように悪いと思う。

 誰かが良いと思ったものは、自分もそれを同じように良いと思う。

 多くの人類は、ある程度似た様な善悪の価値観を持っている。

 

「かの富貴なる者には則ちこれに傲り、かの貧賤なる者には則ち求めてこれに順うは、これ人の情に非ざるなり」

 財が豊かで地位や名声が高い者に対してあえて傲慢な態度を取ったり、逆に貧しくて地位が低い者に対して媚びへつらったりするのは、人の自然な心の動きではない。

 

「是姦人の将に以て名を晻世に盗まんとする者なり。険なること焉れより大なるは莫し」

 このような事をするのは悪人であって、世の中が乱れている時に他人の功績を利用して自分の名声を高めようとしている。

 これほど酷い事は無い。

 

「故に名を盗むことは貨を盗むに如かずと曰う」

 不当に他者を利用して名声を盗む行いは、財貨を盗むより醜いと言われるのである。 

 

 

【不苟篇 終わり】

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