第30話 君は僕に似ているかもしれない その④
※
「宇津呂くん、大丈夫? 日曜日はまだ始まったばかりよ」
「まあまあ大丈夫です。今のところ、橘さんが三人に見えますけど」
「良かったじゃない。美人に囲まれて幸せね」
「おかげさまで」
死ぬかと思った。
僕の家からショッピングモールまで本来なら車で数十分かかるところが、ほんの五分くらいで到着した。
まだ少し目が回っている。
そんな僕を見かねたのか、橘さんは、
「少し予定を変更して、先に休憩しましょう。今ならフードコートも空いていると思うし」
「いいんですか?」
「眼鏡を買うなんて、そう急がなければならない用事ではないもの。早く着いたのだから、その分時間に余裕はあるわ」
それはそうだけど。
時間に余裕ができたのは、朝早くから橘さんがバイクをぶっ飛ばしたからなわけで。
それがなければ僕ももう少し元気でいられたのでは……と思わなくもないけど。
そういうことを口に出すほど、僕は無粋な人間じゃない。
考えてみれば、女の人の腰回りにしがみつくなんて貴重な経験をさせてもらったわけだし、チャラと言えばチャラだ。
自動ドアを潜ってショッピングモールの中に入ると、まだ開店したばかりの時間ということもあり、店内に客は少なかった。
「橘さん、休みの日は家で何をやっているんですか?」
「そうね。多分、宇津呂くんと同じよ」
「僕と同じ?」
僕の休みといえば、特に何もしていないことで有名だ。
むしろ、何もしないための休みと言ってもいい。
「つまり、何もしていないってことですか?」
「もちろん。ということは、やっぱり宇津呂くんも休みの日は何もしていないのね」
「いや、僕は何もしていないことをしているんです」
草一本生えない不毛な会話だ。畳の目の数を数えていた方がまだ有意義だろう。
「自分の生活を肯定するつもりはないのだけれど」
「はい?」
「休みの日に予定が詰まっているというのは、逆に言えば休む時間がないということよ。何もしない幸せというものもあるわ」
「そうですか? 世間的には忙しい人ほど充実している、イコール幸せってイメージが定着している気がしますけど」
「宇津呂くん。私は二十年生きてきて分かったことがあるの」
「何でしょう」
「幸せは人それぞれよ。忙しさの中に幸せを感じる人もいるし、何もしていないことに幸せを感じる人もいる。留年することに幸せを感じる人も」
「いや……」
さすがに最後のは嘘だろ。
「さて、こんな会話もそろそろ終わりにしましょう。宇津呂くん、何か食べたいものはあるかしら。もちろん飲みたいものでもいいのだけれど」
僕らはフードコートの入り口に辿り着いていた。
橘さんの予想通り、当然ながらお客さんは少ない。
妙に空腹を感じると思ったら、そういえば朝から何も食べていなかった。
「だったら、そうですね。実は僕まだ朝ご飯を食べていないので」
「お腹にたまるものが食べたいというわけね。ちょうどそこにステーキ食べ放題のお店が」
「朝からそれはちょっと……」
「あら。ステーキが嫌だと言うのなら何を食べるつもりなのかしら」
この人、主食がステーキなのか?
肉を信頼しすぎてないか?
「せめてもう少し軽いものを食べたいですね」
「白湯とか?」
「僕は修行僧ですか。普通にハンバーガーとかで良いんじゃないですか?」
「あんなアメリカナイズされた食べ物が良いというの、宇津呂くん。すっかり食文化を侵食されてしまっているわね。同じ食べ物を食べている国同士では戦争が起こらないとでも信じているつもりかしら」
この人、ハンバーガーに親でも殺されたのだろうか。
というか、ステーキも十分アメリカナイズされいるような気もするのだけれど。
「じゃあ、違うやつにしますか?」
「いいえ、宇津呂くんの意見を尊重するわ。問題はバーガーの中身ね。何を食べるかという難問を潜り抜けた私たちを待っているのは、どの種類のそれを食べるかというさらに複雑な問題なのよ」
「た、大変ですね。僕はなんとなく決めていますが」
「ちなみにそれは何かしら」
「え? えーと、てりやきのやつを」
「つまり、ハンバーガーという外国の食べ物の中でも、日本人の味覚に合うように開発されたものを選ぶというわけね。まんまと相手の戦略に引っかかったわね、宇津呂くん。もはやあなたはあの黄色い服のピエロの掌の上で踊らされているも同然よ」
ああ、あの。
マスコットキャラの、赤いアフロのピエロ風の男か。
そういえば最近CMで見かけないな。
見た感じちょっと不気味だし、クレームでも来たのかな?
「ところで、橘さんは?」
「私は適当にデザート系のサイドメニューを注文しようかしら。私が買ってくるから、宇津呂くんは席を確保していてくれると嬉しいわ」
「分かりました。……あっ」
「どうしたの? もしかして、サイドメニューはポテトじゃない方が良いのかしら?」
「いえ、ポテトでいいんですが……財布を忘れちゃったので、立て替えてもらってもいいですか? 後で必ず返します」
朝慌てて出てきたから、そう、誰かさんのせいで慌てて出てきたから、うっかり財布を忘れてきてしまったのだ。
誰かさんが音のでかいバイクで迎えに来たから……。
「いいわ。私があなたの分も買ってあげる」
「え、いいんですか」
「良いも悪いもないわ。私の方が年上だし、ちょうど後輩に奢るという経験をしてみたかったところなのよ」
後輩というか、同級生なんですがそれは。
だけど、奢ってくれるのならお言葉に甘えよう。というか甘えるしかない。
本来はこういうとき男性が支払うものなのかもしれないのだけれど、今はジェンダーレス社会。女の人に全額払ってもらう男がいても何の問題もないはずだ。
「ありがとうございます、橘さん」
「お礼なんていらないわ。それじゃ、買ってくるわね」
ライダースーツの女の人が、ハンバーガー屋の方へ歩いて行く。
改めて見るとすごい格好だよな。
一方の僕は純度百パーセントの普段着だ。
今度橘さんと出かけるときは、僕も革ジャンにジーンズくらいのファッションをした方が良いのだろうか。
……いや、橘さんにお願いして普通の服を着てもらって、普通に出かけてもらおう。そっちの方が簡単だし安全だ。
そうでなければまたあのマン島レースでも目指しているのだろうかというバイクに乗せられてしまう。
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