56話

 この場を切り抜けるには、拘束の破壊と兵士たちの無力化が必須となる。前者に関しては、力技でなんとかなりそうだ。魔力を暴発させるような勢いで思い切り水魔法を放てば、ハンドカフも障壁の檻も突破できるだろう。


 ロレッタにとって不都合な展開は、対人戦闘に臨まなければならなくなること。兵士たちはもちろんだが、最も避けたいのがレオンとの戦闘である。突出した魔力操作の技術を持つ彼が、その力を攻撃に転用した場合、ロレッタが無事で済む可能性は低い。それに、一度でも反抗の姿勢を取ってしまえば、その後の拘束がより厳しいものになる。手を出されないとも限らないし、逃げ出すなんて以ての外だ。


 チャンスは一度きり。それも、かなりのスピード勝負を挑むことになる。


(手枷と障壁を一気に壊して、部屋の外にある転移装置まで走る……!)


 ここではない別の場所へ退避できれば、後は王宮内を奥に向かって進めば良い。リューズナードは国王陛下の元を目指すだろうから、そのうちどこかで合流できるはず。体力の許す限り、とにかく走る。あまりに杜撰な計画だったが、他にまともな案が浮かばないので、もうこれに懸けるしかないと覚悟をきめた。


 目を閉じ、呼吸の乱れを整える。大きく息を吸って、吐いて、吸って、吐いて、吸って、止めて、


(――今!)


 キッ! と目を見開くと、ロレッタはすぐさま魔力を練り上げた。手元が青い光に包まれる。


 兵士たちが警戒して動き出すよりも早く、水魔法を一気に放った。水圧に負けたハンドカフが悲鳴を上げて破砕し、両手の自由が戻る。あっという間に檻の中が水で満たされた。それでもまだ放出を続ける。頑丈な檻が必死に水を堰き止めていたが、やがて壁の一部に亀裂が入り、バリンと割れて水が外へ溢れ出した。


「!?」


 兵士たちの動揺が伝わってくる。王族が創り出した強力な魔法を破ったのだから、ロレッタ自身の身分を明かしたのと同義だ。水の国アクアマリンの王族であることは露見してしまった。もう後戻りはできない。


 溢れた水はそのまま床を伝い、祭事の間をみるみる侵食していった。部屋を丸ごと沈めることまではできないけれど、兵士たちの足が止まってくれれば十分。その間にこの部屋を抜け出して、転移装置まで駆けて行ける。


 かくして、ロレッタが出入り口の扉を目指して走り出した、その瞬間。目を疑うような光景が広がった。


 床を覆っていた大量の水が、燃えたのだ。


 焦げて灰と化したわけではない。後方から現れた猛火が、ロレッタの水魔法を包むように飲み込み、残らず掻き消してしまった。純粋な水と炎の衝突ではなく、魔法同士の衝突だからこそ起きた事象である。魔力の質と量で押し負けたのだ。


 そのまま攻撃されるものかと身構えたが、猛火はロレッタの横を通過し、出入り口の扉まで広がってゆく。間もなく、一つしかない扉が、燃え盛る炎の壁によって覆い隠されてしまった。


「すみません、すみません……! あ、あの、部屋の外へは、出ないでいただけませんか……」


 声のしたほうへ振り向けば、ソファの裏からレオンが顔を半分だけ覗かせ、怯えた目でこちらを見ている。相変わらず、その場を動こうとする気配はない。


 逃走には失敗したものの、お陰でいくらか状況がはっきりした。やはりロレッタでは、レオンに勝つのは難しい。そして、彼はロレッタに攻撃する意思がない。ただ、頑なにこの部屋から出さないよう見張っている。よほどのことがない限り、彼と戦闘になることはなさそうである。


 どうすればこの場を切り抜けられるのか。考え込みそうになったが、視界の端に、こちらへ向かって来る兵士たちの姿が映り込んだことで思考が中断された。各々が深紅の刀や剣を手にしている。力ずくでロレッタを抑え込もうとしているのだろう。近付かれてしまう前に、せめて彼らの足は止めておきたい。


 逡巡の末、ロレッタは彼らの足元へ魔法を放った。つい先ほど目の前で見た、障壁の檻を生成したのだ。ゼロから創造することは難しくとも、誰かが創ったものを模倣することくらいなら、できる。障壁の基礎は体で覚えたし、手本も見たばかりだ。目に焼き付けたそれを、後は出力するだけ。余計なことは考えず、がむしゃらに魔力を練り上げた。


 ロレッタの両手と、呼応するように兵士たちの足元が、青く輝く。やがて床から青い障壁が出現し、強固な檻となって敵を閉じ込めた。綺麗な四面体にはできず、歪な四角の箱状になってしまったけれど、数名の兵士たちを封じるには十分な強度に成ってくれたようだ。内側で兵士たちが得物を振るっているが、障壁が壊れる様子はない。


 ロレッタの額から汗が流れ落ちる。一日動き回ったのと、立て続けに魔法を放ったのとで、体力も魔力も枯渇してきている。頭がズキリと痛んだ。それでも、魔法の出力はやめない。敵を閉じ込める檻も、リューズナードを守る障壁も、強度は落とさない。ふらつく足を叱責しながら、ロレッタは再びソファのほうへ目を向けた。


 視線がぶつかると、ソファの向こうに居る彼は、ビクッと肩を震わせた。しきりに怯え続ける彼に、ロレッタは静かに語り掛ける。


「……神聖なる王宮で無礼を働いてしまったこと、謹んでお詫び申し上げます。貴方様は、炎の国ルベライトの第一王子、レオン・バッハシュタイン王太子殿下であられますか?」


「え…………え、と……その…………はい……」


「左様でしたか。ご挨拶が遅れてしまったことも、重ねてお詫び申し上げます。……私は、水の国アクアマリンの第二王女、ロレッタ・ウィレムスと申します」


「うぅ…………は、はい……」


 ここへ連れて来た時点で分かっていたのか、先ほどの攻防で悟ったのかは分からないが、レオンはロレッタの家名を聞いても、さほど驚いてはいない様子だった。怯えてはいるけれど。


 ひとまず、こちらから下手な行動を起こさなければ、向こうからも攻撃されることはなさそうである。もしかすると、対話によって状況を変えられる可能性もあるのかもしれない。そう判断したロレッタは、慎重に言葉を選びながら話を続けた。


「あの、差し支えなければで良いのですが、どうして私をここへ連れて来たのか、お伺いしてもよろしいでしょうか?」


 なるべく柔らかく尋ねたつもりだったが、その問いに何故かレオンは過剰な怯えを見せる。


「! ……そ、れは…………だって、父さ……陛下に、命じられたこと、だから……っ」


 彼の瞳は、ロレッタのことも、兵士たちのことも映してはいない。ずっと、その奥に居る誰かの影だけを映していた。

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