第6章 覚悟
42話
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「ご報告致します! 現在、国境都市フラスタルを含む男爵領のおよそ七割が侵略され、防衛にあたっていた第一、第二中隊もほぼ壊滅状態……!
「…………」
凍えるようなミランダの視線が、机上の図面へと向けられる。共に報告を聞いていた兵士の一人が、図面に乗せられた両陣営の兵力を表す駒を、恐る恐る並べ直した。国境付近の街が赤い駒に埋め尽くされる。さらに、それまで空いていた街の中央部にも赤い駒が並べられると、いよいよミランダは眉間に皺を寄せた。
戦況は良くない。むしろ、どんどん悪い方向へと傾いている。敵の狙いが見通せないのと、敵兵の数を削れないのが手痛い。こちらにはすでに多くの死傷者が出ており、着実に消耗させられているというのに、相手方の戦力は一向に減らないのだ。兵士たちに仕込まれている蘇生魔法のせいで。
気絶させるなり、瀕死にするなりすれば、一時的に戦線から離脱させることはできる。ただ、蘇ることを前提に自死や同士討ちをされると、また戦局が振り出しに戻ってしまう。さすがに、全ての兵士が自身や仲間を殺せる度胸を持っているわけではないだろうけれど、今回はそれを躊躇なくやってのける頭のねじが外れた騎士団長が出陣しているのだから、殊更に面倒だった。
「騎士団長ナディヤ・ベルネットの動向は?」
「は! 数刻前にフラスタルへ侵入し、こちらの兵を突破しながら単独で侵攻。自陣へ向けて合図のようなものを出した後、男爵領地内を通るケイネス運河の支線付近にて、アドルフ団長との交戦に突入した模様です!」
「……そう」
国境付近の領地に被害が出るのは、不本意ながら想定内だ。敵の騎士団長をアドルフに任せるのも、事前の打ち合わせ通りである。ナディヤの足を止めた上で、敵の本陣が男爵領の先で待機させているこちらの本陣とぶつかった時、どう動くのか。そこでようやく、敵の作戦が見えてくるだろうと踏んでいる。
問題があるとするなら、アドルフが腕を負傷していることだった。全力を尽くせる状態であれば、彼はナディヤを単独撃破することだって十分に可能であるとミランダは考えている。しかし、よりにもよって腕を負傷した今の状態では、完全勝利は厳しいだろう。負傷の元凶を作った憎たらしい男の顔と、ついでに、言うことを聞かなくなった生意気な妹の顔までもが頭に浮かび、掻き消すように小さく舌打ちした。
ともあれ、アドルフには負傷による戦力ダウンを織り込んだ作戦を指示してあるので、上手く立ち回るだろう。こちらも準備に動かなければならない。ミランダは周囲の兵士たちを一瞥し、凛と通る声で新たな指示を出した。
「男爵領の防衛は諦めましょう。現在、男爵領内で戦闘を続けている兵士たちは撤退して、本陣と合流しなさい。敵軍は両サイドと中央突破の三方向から攻めてくる。まずは水路を跨ぐ橋を全て破壊して、侵攻ルートを絞りましょう。限られた道から雪崩れ込んでくる敵軍を迎え撃って動きを止め、市街に潜伏させている別動隊が敵軍の背後から加勢して仕留める。これが基本よ。予期せぬ動きをされた場合は、現地の各隊長が適宜対応して。報告も忘れるんじゃないわよ」
「畏まりました!」
「それと、事前情報では、敵軍にも別動隊がいる、という話だったわね。海沿いから回り込ませて、奇襲を仕掛けるつもりなのでしょう。そちらにも、手筈通りに小隊をぶつけて潰しなさい。……私も、少し外へ出るわ。何かあればすぐに報告して。くれぐれも、お父様を部屋から出さないで頂戴ね」
「はい、必ず!」
兵士の返事を聞き届け、静かに立ち上がる。
静まり返った軍議室に、ミランダの足音だけが響く。兵士たちは、気品溢れる所作で歩を進める王女の背中を、ただ黙って見送った。誰かがゴクリと唾を飲む。余計な言葉を発せない緊張した空気が、室内を満たしていた。
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