28話

 ロレッタが目を開くと、ぼやけた視界の奥で、囲炉裏に火が灯っているのが見えた。バチバチ音を立てながら、薪を炭へと変えている。


 就寝前、確かに消したはずなのに、どうして火が灯っているのだろう。しばらくぼんやり考えていたが、瞬きを繰り返し、意識や視界がはっきりしてくれば、囲炉裏の横で普段と変わらない様子のリューズナードが胡坐をかいていることに気付いた。彼が点火したようだ。


 彼の回りには、油、紙、刀の部品、小さなハンマーのような物、棒の先に白くてポフポフしていそうな物体が付属した何かなど、ロレッタには名称すら分からない刀の手入れ道具が散らばっている。その中心に鎮座する持ち主は、柄の外れた刃を左手で持ち、右手に持った紙で刃の表面を拭うような動作をしていた。


 人より不器用なリューズナードの手が、迷いも狂いもなく滑らかに動く。体に馴染んだ工程なのだろう。輝きを増した鋼の刃に炉火の橙が反射して、一瞬だけ強く光った。ロレッタは思わず目を閉じ、布団の中で身を竦ませる。


「ロレッタ? 起きたか」


「はい……おはようございます」


「ああ」


 目視で刃の具合を確認し、満足したらしいリューズナードが、これまた慣れた手付きで刀を組み立て直していく。やがて元通りの形状で鞘に収まったそれは、囲炉裏からやや離れた位置に置いてある刀掛けへと据えられた。


 散乱していた手入れ道具がかき集められ、収納ケース代わりにしている水瓶へ次々と押し込まれる。住人たちの善意によって収納家具がプレゼントされてからそれなりに経つが、彼は未だにほとんど使いこなせていない。まともに使用されているのは刀掛けくらいのものだ。手付かずになり埃を被せてしまうのは申し訳ないので、大半はロレッタが使用または管理しているのだった。


「起きたのなら、早めに旅支度を整えてくれ。あまり悠長にはしていられない」


「あ、はい、承知致しました。ええと、何から用意すれば……」


「お前はまず、飯を食え。体力不足で倒れられたら困る」


「はい。……あの、リューズナードさんは?」


「いや、俺の分は要らな――」


 一人で食べるのは寂しい。そんな我が儘を宿した瞳でリューズナードを見詰めていたら、片付けを終えた彼と目が合った。彼はロレッタを見て言葉を打ち切ると、小さく溜め息を吐く。


「……もらう」


「はい!」


 嬉しい返事を受け取り、意気揚々と台所へ向かった。


 手癖でつい、普段の夕食と変わらない量の食事を作ってしまったが、起床間もないロレッタは、それほど食べられそうにない。やむなくリューズナードのほうを多めによそったところ、「お前が食べないと意味がないだろう。何故、俺のほうがこんなに多いんだ」と苦言を呈されてしまった。




 食事と諸々の支度を終え、二人で自宅を後にする。雨は上がっていたが、空を覆う雨雲のせいで村が薄暗く見えた。ぬかるんでいて足場も悪い。リューズナード曰く、またいつ天気が崩れてもおかしくはない、とのことである。


 支度と言っても、今回は長旅を想定したものではないし、何よりサバイバル能力に長けた案内役が一緒なので、持参品も必要最低限で済んだ。ロレッタ個人は、リュックに二人分の外套や水筒、火を起こす道具を詰め込んだ程度。地図も方位磁針も不要で、食料も現地調達できる優秀な案内役に感謝する他ない。


 村の通用口を目指して歩いていると、各々の仕事や井戸端会議で賑わう住人たちの中に、ウェルナーの姿を見つけた。彼もまた、他の住人と立ち話をしている。


 隣を歩くリューズナードに断りを入れ、ロレッタはウェルナーの元へ駆け寄った。


「うん。それくらいなら、二、三日あればできると思うよ。完成したら持って来るから、待っててな」


「よろしくね」


「おはようございます、ウェルナーさん」


「おお、ロレッタちゃん。おはよ」


 会話が終わり、ウェルナーが踵を返したタイミングで声をかける。腕の良い職人である彼は今日も忙しそうだが、ロレッタも依頼したい仕事があったのだ。


「あの、不躾で申し訳ありませんが、お願いしたいことがありまして……。お手隙の際で構わないのですけれど、小さな花瓶を作っていただけないでしょうか?」


「花瓶?」


 先日、リューズナードがくれた花束を活ける為の花瓶である。前回は無残にも萎れさせてしまったので、今回こそは大切に飾っておきたかった。


「ん~……。俺は基本、家具とか設備とか大掛かりなモン担当だから、細かい雑貨やインテリアは、ちょっと違うかなあ……。そういうのはゲルトか、ゲルトのお母さんに頼むと良いよ。あ、俺ちょうどあいつに用事あるし、頼んでおこうか?」


「よろしいのですか? それでは、お願い致します。ありがとうございます」


「いえいえ。それにしても……ふははっ! リューの家に花が活けてあるの、ちょっと面白いな。前までは考えられなかったわ。新婚生活も順調そうで何よりだよ。……お? 噂をすれば」


「ウェルナー」


 遅れてついて来たリューズナードが、ウェルナーに声をかけた。この二人を含めた炎の国ルベライト出身の面々は、共に過酷な環境を生き抜いてきた経験からか、住人たちの中でも殊更、強い絆で繋がっているように感じる。


「これから数日、村を空ける。俺が戻るまで誰も外へは出ないよう伝えてくれ。あと、念の為、いつでも避難できる準備もしておいてほしい」


「はいよ~。最近、外出多いな。次はどこ行くんだ?」


炎の国ルベライトだ」


「へー、炎の国ルベライトね。………………………………はあ!?」


 リューズナードが炎の国ルベライトへ行く、という情報を処理するのに時間がかかったらしい。たっぷり間を置いてから、ウェルナーがリューズナードに掴み掛かった。


炎の国ルベライト!? なんで!?」


「説明している暇がない」


「お前、いつもそれじゃん。たまには事前に相談しろよ!」


「戻ったら説明する」


「ああ、もう……! ……何しに行くのか知らないけどさ。お前、大丈夫なの?」


「…………」


 心配そうに尋ねられ、リューズナードが口籠る。やがて目を閉じ、小さく一呼吸入れると、彼は再び友人の目を見て答えた。


「ああ。俺は、大丈夫だ」


 本人は毅然とした態度で言い放ったものの、対するウェルナーはより一層、表情を歪ませた。付き合いの長い友人を安心させるに足る答えではなかったようだ。


 ウェルナーの視線が、ロレッタへと向けられる。


「……もしかして、ロレッタちゃんも一緒に行くの?」


「は、はい」


「はあ……ほんとに、何しに行くんだよ……。……ロレッタちゃん、めっちゃ重いこと頼むようで悪いんだけどさ。リューのこと、よろしくね」


「! はい、もちろんです」


「俺は、あんな所に戻ったら具合悪くなりそうだから、一緒には行けないけど……いざって時は、リューを引き摺ってでも、絶対に二人で帰って来いよ? 約束できる?」


「はい……!」


 なんだか、嵐の日を彷彿とさせる会話だと思った。ウェルナーも、他の住人たちも皆、常にリューズナードを心配している。その気持ちが本人へ届くのは、一体いつになるだろうか。就寝前のやり取りを見るに、もう少し時間がかかりそうな気もする。


 本人が受け止めきれない分は、一度自分が預かっておこうとロレッタは決めた。


「おい、俺が足手纏いみたいに言うな」


「うるせえ、ポンコツ! お前じゃ信用できねえから、ロレッタちゃんに頼んでんだろうが!」


「ああ?」


 長引きそうな気配を察知し、さっそくリューズナードを引き摺りながら、通用口への歩みを再開したのだった。

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