21話

 自宅に到着すると、リューズナードは真っ直ぐに室内の最奥、寝室として設けられたスペースまでロレッタを運んだ。あっという間にロレッタの使用している布団が敷かれ、靴を脱がされ、横になるよう指示される。抗う気力もないので、ひとまず布団の上に座った。


 水を注いだカップを差し出しながら、リューズナードが心配そうに声をかけてくる。


「大丈夫か? 同行させて悪かった。まさか、あんな話が飛び出してくるとは思わなくて……」


「いえ……私の意思で同行致しましたので、お気になさらず……」


 受け取ったカップから水を一口、喉の奥へと流し込んだ。逆流しそうになっていた胃液を、生ぬるい液体が押し戻していくような感覚がする。


「まだ日は高いが、今日は休んでいろ。サラには俺から話しておく」


「お手数をかけてしまい、申し訳ありません……」


「お前が謝ることは、一つもない。……悪いが、俺は少し出てくる。早めに戻るようにするし、心細ければ誰かに見舞いを頼むが……」


「だ、大丈夫です。少し休めば、回復するかと思いますので」


「本当か? 無理はするなよ」


「はい」


 胸中で複雑な感情が渦巻いているであろう彼に、これ以上の心労をかけたくなくて、精一杯笑ってみたつもりだった。しかし、どうやら失敗したらしい。余計に心配そうな顔をされてしまった。


 それから、何度も名残惜しそうに振り返りつつも、リューズナードは家を出て行った。彼には彼の用事があるのだろうから、いつまでも引き留めているわけにはいかない。淋しさを抑え込み、下手くそな笑顔で見送った。


 一人になると、途端に家が広く感じる。カップを床に置き、力なく布団へ倒れ込んだ。


(……炎の国ルベライト……迫害……復讐……伝染病……)


 フェリクスとリューズナードの会話が、断片的に浮かび上がっては脳内をぐるぐると駆け巡る。もはや何から考えれば良いのか分からないし、考えたところで処理もできない。ただただ、頭が痛い。


 自分が安全で暖かな王宮に引き籠っていた時、外の世界では絶えず残酷な所業が繰り広げられていた。原石の村ジェムストーンに居るのは、そんな世界から命懸けで逃げ延びて来た者ばかり。


 自分がここに居ることが、改めて場違いな気がして、ロレッタはやる瀬なく布団へ潜り込んだ。



 ――――――――――――――――――――



 気配を絶ち、背後から音も無く斬り掛かる。悲鳴を上げる猶予も与えられないまま、役立たずの監視役が一人、無様に地面へ突っ伏した。


 近くに待機していたもう一人の兵士が、驚いて仲間のほうを振り向く。しかし、そこに在るのは気絶した仲間の体だけ。この状況を作り出した元凶の姿は見当たらない。仲間の背中から溢れ出る血液を見て、兵士はゴクリと唾を飲む。


 その刹那、兵士の足元に光る物体が出現した。太陽光を反射するそれは、鈍色に輝く鋼の刀。


 成人男性の視界から外れるほど深く重心を落としたリューズナードが、立ち尽くす兵士の足を目掛けて愛刀を振り抜いた。今度はしっかり悲鳴を上げながら、大の男がみっともなく地面に転がる。無言で傷口を踏み付けてやれば、痛みに悶えて意識を飛ばした。


 兵士たちがそれぞれ所持していた無線機を破壊し、二つの体をズルズルと引き摺って移動する。村からかなり離れた地点の茂みに、リューズナードは兵士たちを投げ捨てた。


 二人共、自力では動けないだろうけれど、かろうじて息はしている。とどめを刺すのは容易だが、時間と体力の無駄だ。どうせこの男たちは、のだから。


 赤い装束の兵士たちを見下ろして、一つ溜め息を吐く。


 本当は、こんなことをしていないでロレッタの傍に付いていてやりたかった。今でさえ、彼女の様子が気になって仕方がない。しかし、何せ昨日の今日なので、周辺の警戒を緩めるわけにもいかないのだ。現にこうして、憎たらしい色の装束を羽織った兵士たちが、村の付近に潜んでいた。あまりに不快で舌打ちする。


 ――フェリクスの話を聞き、頭で理解した瞬間、途方もない怒りで我を忘れそうになった。妹を見殺しにしただけでなく、そもそもの原因を作ったのも国の連中だったなんて。どれだけこちらを愚弄すれば気が済むというのか。復讐したい。やられたからやり返すだけ。そんな稚拙な言葉にも、共感を示してしまいそうになる。


 けれど、不意に重ねられたロレッタの手が、リューズナードを正気に引き戻してくれた。今ここで自分がするべきは、村の仲間たちを守ること。断じて復讐への加担ではない。そんな当たり前のことすら見失いそうになったリューズナードの目を、優しい熱で覚ましてくれたのだ。自分の体のどこかにまた、彼女が好きだと刻み込まれていく心地がした。


 だと言うのに、その彼女には嫌な思いばかりさせてしまっている。挙句、具合が悪いところを放り出して、リューズナードは敵を斬りに来た。もう謝って済むレベルではなくなっている気もするが、謝ることしかできないので、ロレッタが回復したら謝罪の意を伝えようと決意する。見舞いも兼ねて、いつぞやのような花束でも持って行こうか。


 村へと戻る道すがら、ロレッタの故郷である水の国アクアマリンの位置する方角へと視線を向けた。炎の国ルベライトの治安やフェリクスたちの境遇に胸を痛めたらしい彼女に、更なる追い討ちをかけてしまいそうで、話せなかったことがある。


 水の国アクアマリンへ総攻撃を仕掛けに行くという炎の国ルベライトの兵士たち。しかし、水の国アクアマリンには戦闘の心得を持つ国王と第一王女が控えている。その二人を破らない限り、国を陥落させることは不可能だ。他国の王族を落とす手立てなど無いだろうに、どうするつもりなのかと疑問に思っていた。


 だが、フェリクスの言っていたウイルス兵器の話が本当なら、状況は変わってくる。国土を蹂躙され、都市機能や公共機関が壊滅させられた上で、猛毒なんてばら撒かれたら、きっと一溜りもない。戦争を経て疲弊しきった水の国アクアマリンの民たちは、逃げることも、対処することも叶わずに滅亡を迎えるだろう。一般人も、兵士も、王族さえも、全ての人間が死に絶える。


 その兵器が完成間近になったから、フェリクスたちは行動を開始した、という話だった。まだ何かしらの研究段階が残っているのだとしても、兵器の大枠はすでにできていると考えられる。先兵たちが戦っている間に完成させて、戦いが終局を迎えた頃に合流するという形でも、十分に役目は果たせるのだ。


 そう。つまり、このまま順当に水の国アクアマリン炎の国ルベライトの戦争が始まれば、その先で、恐らく。


(……水の国アクアマリンが陥落する……)


 魔法国家の戦争も、陥落も、リューズナードの知ったことではない。原石の村ジェムストーンから離れた場所で、勝手にやっていれば良いと常々思っている。


 ただ、ロレッタが悲しむ姿を想像したら、それはものすごく嫌だった。

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